決断するということ 〜 Entscheidung 〜

気付いたら人生の半分以上をベルリンで暮らしていることになるが、ここに至るまで何度かベルリンに留まるか否かどうかの決断を迫られるような場面があった。

現在、コロナウイルスによるパンデミックで日に日に行動が制限される中、そのような選択に悩んでいる方も多いことだろう。

有事の際には普段なら意識して考えずに済んでいることも、即座に判断して行動することが求められることもあるだろうからだ。

自分はどうかといえば、これまでは思いつきや勘だけに頼って行動してきたので、ここでは気の利いたことは実は何一つ言えない。

モスクワに行くか行かないか、という決断に迫られた時は「こんなことは恐らくもう2度とないだろう。」という興味が勝ってしまい行ってみることにした。

東京で仕事のオファーがあった時は「今さら満員電車に乗って通勤し、遅くまで残業をすることは恐らくできないだろう。」というのが決め手になった。

仕事の面白さや優れた上司や同僚の存在などは別にして、だ。

判断材料は常に「自分が一番大切にしたいことは何か。」なのではないかと思う。そして、うまく行かなかった場合に逃げ道があるかどうか。

モスクワで就職の話があった時には万が一のことも考え、ベルリンに問題なく戻って来られるようビザ関連もクリアにしてベルリンを後にできたのが大きかった。

90年代のモスクワなど外国人を守ってくれるはずがない。モスクワの外資系企業だってどんな無茶振りをしてくるのか皆目検討が付かないわけだ。

東京での就職については、通勤や仕事のシュミレーションをした時に、都心でひとりで住む自分というのがあまりうまく想像できなかったことが大きいだろう。

ベルリンのガランとした無機質で生活感のないアパートでひとりで暮らしている自分の方がしっくりきたのだ。

私のその時々の判断材料など所詮この程度だった。

今は家族がいるので、ひょいとどこかへ行けるわけでもないし、幸か不幸か適当な判断だけでは行動できなくなっている。

判断材料としてまず第一に「子供」のことを考える必要もある。

自分だけで判断できるのであれば、とことん考えて自分で納得いく結論を出し、とにかく動いてみることだと思う。もし判断違いをしたとしても、またやり直せるのだから。

先延ばしにしていた決断を今下さなくてはならなくなった、くらいの気持ちでいればいいのではないかな。

それにしても、ここまで先行きの見えない状況になったのも初めてかもしれない。日常ができるだけ早く戻ることを願いつつ。

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