Lebensraum und Stabilität / 住処と安定

とにかく昔から落ち着きがない子供だった。

本の虫だった割には自転車で近所の道を爆走するのが大好き。ブレーキをかけずにカーブを曲がったら、ちり紙交換の軽トラックに激突。気付いたら溝に転がり落ちて膝を擦りむいていた。9歳の頃だろうか。

恐ろしいのは、そのまま自転車に乗って友達の家に遊びに行ってしまったことだ。後で母親から「ちり紙交換の人から電話があったけど、どこ行ってたの?」とあきれ顔で聞かれたのを覚えている。

高いところから飛び降りるのも好きで、失敗して派手に流血したり、これまた急な坂道を自転車で一気に下り、田んぼに自転車ごと突っ込みそうになったりもした。

そうかと思えば、小学校6年生までは真面目なガリ勉タイプで通知表はオール5。「協調生がある」という項目だけがいつも3だったような群れない一匹狼タイプ。同級生とは折り合いがあわず楽しい小学校生活だった、とはお世辞にも言えない。

自分の子供はここまでひどくないので良かった、というべきだろう。

大人になった今でも、落ち着きのなさは当時のままである。

清水の舞台から飛び降りる(モスクワで就職!?)のは朝飯前だし、自分で言うのもなんだが、いつまで経っても落ち着く気配がない。

そういえば、一度付き合った相手から「子供ができると落ち着くんじゃない?」と言われたことがある。子供がいても落ち着いているようには微塵も見えなかったロシア人にこんなことを言われても。とにかく全く説得力がなかったのは記憶している。

その当時はベルリンとモスクワを行ったり来たりしていたのであるが、「家」とか「居場所」、「住処」というのが自分の中では常に最重要テーマだった。

とにかく落ち着けないのは居心地の良い住処がないからだ、と。

だから当時のことを振り返るブログのタイトルも「the borderline / 境界線」にした。ドイツなのかロシアなのか。ベルリンなのかモスクワなのか。自分の中で確固たる芯のようなものが欠けており、文字通りフラフラと行き場なくさまよっていた辛い時期についての回顧録のようなもの。

ロシア語で会話ができるようになろう、ロシア語で仕事ができるようになろう、ロシア人を理解できるようになろう、ものすごい熱量で努力をしていたのだろう、ある日突然、バーンアウトした

ロシア語やロシア人に振り回されることに、モスクワの理不尽さや生活にただただ疲れたのである。

そう、「海外生活と外国語疲労」でドイツ語に疲れる、という話をしたが、それ以前にとっくにロシア語には疲れてしまっていたわけだ。

ベルリンに戻った後の約半年間はそれこそ精神的にかなり参ってしまった。

銀行口座の残高は下がりっぱなしだし、台所のシンクの下に備え付けられたバスタブにもウンザリしていた。ポンプでお湯を汲み出すとか何!?

2000年初期の東ベルリン側にはまだよくわからない類のアパートがたくさんあったのだ。

そのうち、縁あって制作会社に就職し、初めてまともなアパートで一人暮らしをすることになった。バルコニーからテレビ塔も見える最高のロケーション。

のはずだったが、アパートには備え付けの家具もなく、また必要性も感じていなかったので机と本棚くらいしか揃えなかった。寝室にはそれこそマットと服をかけるハンガー、本の入ったままの段ボールがいくつか転がっている状態。

これがベルリン生活から7年経った状態だと言えるのだろうか。否。

最初から定住する気がない人のアパートにしか見えない。生活感ゼロ。

まぁ、でもその状態がある意味、自分には一番落ち着くのかもしれない。

長くなりそうなので、今日はこの辺で。

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