Räuberrad ist längst zurück / フォルクスビューネのシンボル

フォルクスビューネの正面に設置されていた同劇場の非公式シンボルである「足のついた車輪」が2018年の秋に元の場所に帰ってきた。

Räuberradはフリードリヒ・シラー「群盗」上演の際に作られたシンボル で「反抗的で扇動的」な劇場人のために、という意味が込められて制作されたものなのだとか。

直訳すると、「群盗車」だが、わかりにくいので勝手に「足のついた車輪」と呼ぶことにする。

アレクサンダー・シェールとOSTのロゴ

カストロフの任期中に慌てて観に行った「偽善者の企み。モリエールの生涯」。公演中にこれまで劇場の屋根の上に設置されていたOSTの看板が演出の一環として外されたのにも驚いたが、最終公演の日には劇場前のシンボルが引き抜かれようとしていたようだ。

これらのアクションも方針の違う新劇場監督クリス・デルコンに対する劇場側の意思表示だったと思うが、撤去された車輪はそのままフランスのアヴィニョンで開催された舞台芸術フェスティバルに合わせて「亡命」していたらしい。

アヴィニョンで設置中の「足のついた車輪」

世界最高の舞台芸術フェスティバルとして、スコットランドのエディンバラ、オーストラリアのアデレードと並ぶ、フランスのアヴィニオン・フェスティバル。

このフェスティバルを始めたのは俳優で演出家のジャン・ヴィラール(Jean Vilar)。1947年に支配人を兼ねていた国立民衆劇場 (Théâtre National Populaire)で夏に野外演劇をしないかと提案され、その提案に乗ったのが始まりだ。

ヴィラールもフォルクスビューネのカストロフと同様、ファシズムやモラルの破綻に長年晒された戦後、一般市民に開かれた演劇を目指していた。もしまだヴィラールが生きていれば、フォルクスビューネのシンボルの「亡命」を喜んだことは間違いないだろう。

そんな縁もあり、カストロフは任期期間中に行われた最後のフランスでの客演に合わせて、「足のついた車輪」を引っこ抜き、三等分してトラックにひょいっと積んで持って行ってしまった(所有者のベルリン市との合意の元に)。

フェスティバルが終わった後はどうなるのか?とメディアでもとりあげられたが、客演後には引っこ抜いた時に壊れた足や錆びた部分などがベルリンのオーバーシューネヴァイデ(Oberschöneweide)にある金属会社にて修復された。

「足のついた車輪」はこうして見た目はそれほど変わらないが、必要な部分に修復が施され、一年後に再びフォルクスビューネの正面広場に戻されたのである。

見慣れた街角の風景がまたひとつ失われた、と意気消沈ものであったが、帰ってきたというニュースを見つけた時は本当に嬉しかった。

街の人たちに愛されているシンボルを簡単に撤去してしまわないで欲しい、と心から思う。ベルリンの広告塔も残せるものなら残して欲しいものだ。

参考記事:Der Tagesspiegel / Das Räuberrad ist im Exil angekommen
Das “Räuberrad” blieb standhaft


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