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Berlin 1993〜94 / 90年代のベルリン①

日本の大学では英米文学専攻だったので、安易な考えで卒業したらアメリカかイギリスに1年くらいまずは住んでみよう、と思っていた。

そして、その下見も兼ねてまだ行ったことのないヨーロッパに一人で旅をした。

ビートジェネレーションに興味があったので、在学中にサンフランシスコやニューヨークにはそれまでにたった一度ではあるけれど足を運んでいたためだ。

ルートはざっくり決めただけ。ロンドンIN、パリOUT。後は好きに動いてみる。そこで、イギリス各地(ランズ・エンドからウェールズ、果てはエディンバラまで)を転々とした後、アムステルダムからベルリンまで来た時点で、疲れが溜まったのか体調を崩し風邪を引いた。

93年のベルリンの夏は天気が悪く、かなり肌寒かったように思う。街は灰色でがらーんとして寂しげだし、ひとりで道を歩いていてもガチャガチャと声をかけられることもなかった。

ベルリンはロンドンともアムステルダムやパリとも違い、当時はまだ救いようのないほど地味で暗い街だったのだ。

宿泊先のユースホステルもなぜかすぐ側に娼婦が立っているような辺鄙な場所にあってますます気が滅入った。どこまで行っても退廃的。

それなのに、なんだろう?一番リラックスしてマイペースで歩ける街だったのだ。

アレキサンダー広場でミュージシャンがパフォーマンスをしているのを見ていると、のびのびと楽しそうに踊っているグループがいた。

今から思えば、観光客相手のスリにでも遭いそうな状況だが、何だかくったくのない笑顔につられて打ち解けてしまう。そこで知り合ったのがミシェルというアルジェリア系フランス人で、彼に「東ベルリン側は面白いよ。コルヴィッツ広場付近を歩いてごらん。」と教えられた。

当時のコルヴィッツ通り(プレンツラウワーベルク地区)には今みたいなピカピカの高級アパートなんて一軒もなく、下を歩こうものなら今すぐ崩れ落ちそうなバルコニー付きのアパートが並んでいただけだ。

プレンツラウワーベルクのBla Blaだったかな?「ペチャクチャカフェ」的なネーミングのカフェでAkademie der Künste(芸術アカデミー)で開催中の何やら不思議な展示内容のフライヤーを見つけたので、ふらっと覗きに行って見た。芸術アカデミーがまだティアガルテンの側にあった頃だ。

そこには今までに見たことのない混沌としたカオスが。。平日の夕方だったからか、ほとんど見に来ている人もいなかったように記憶している。

そして、ミラールームのような展示に入ってみると、全身真っ赤なライダースーツのようなものに身を包んだ人物が近づいて来た。製作者のCaptain Space Sexご本人である。とまあ、見るもの会う人全てが意味不明で面白かったのだ。

カタログはあいにく日本に置いてきてしまっていて、手元にないがネット上でカタログ表紙の写真が見つかったので載せておこう。

因みにこの表紙の網タイツを履いているのもキャプテン。

なんとYouTubeの映像が見つかったので貼っておこう。あのミラールームも登場している。

そして、この人物が住んでいた(今から思えば不法占拠のスクワットだと思うが)のが何を隠そうコルヴィッツ通りだったというわけだ。

ミシェルの言ったことに、「なるほどー!」と大納得したのは言うまでもない。

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