Systemsprenger / システムクラッシャー

今年のベルリン映画祭で時間的にタイミングが合わずに観られなかった映画が一本あった。

Systemsprenger

© kineo Film / Weydemann Bros. / Yunus Roy Imer

フォスター・ファミリー、生活共同体、特別学校。ベニーはどこへ行こうが、すぐに飛び出してしまう。嵐のような9歳児は青少年課が「システムクラッシャー」と名付けるほど。そんなベニーの願いはただひとつ。かけがえのない愛、安心できる場所、そう、ママのところに帰ること!しかし母親のビアンカは行動が予想できない自分の娘のことを恐れている。ベニーに居場所がなくなり、解決策も見えなくなった時、反暴力トレーナーのミヒャは怒りと攻撃の螺旋から彼女を自由にしようと試みる。

あらすじを載せておいたが、明るい映画では決してない。

救いがあるとすれば、ラストシーンくらいだろうか。

娘がちょうど10歳なので、9歳の主人公の女の子の境遇を思うと、どうしようもなくやりきれない気持ちにさせられる。ある意味、彼女を取り巻く状況にはまったく救いがないからだ。

完全な負のスパイラル。

期待と裏切り、失望と絶望、のようなもの。

そして9歳児の持ち得る怒りと攻撃性には度肝を抜かれる。

それでも、子供らしい一面も彼女にはまだ残っている。

そのアンバランスさが切ない映画だ。

子供を持つ親には今すぐ観てほしい映画であるし、そうでない人たちにも一度は観ておいてほしい映画である。

「母親」あるいは「父親」であることの意味を真っ向から問いかけられるような強さのある映画だ。

子供の未来を大人のエゴや暴力で潰してはならない。

Systemsprengerは第69回ベルリン国際映画祭で銀賞を受賞している。

Regie, Buch: Nora Fingscheidt

Helena Zengel (Benni)
Albrecht Schuch (Michael Heller)
Gabriela Maria Schmeide (Frau Bafané)
Lisa Hagmeister (Bianca Klaaß)
Melanie Straub (Dr. Schönemann)
Victoria Trauttmansdorff (Silvia)
Maryam Zaree (Elli Heller)
Tedros Teclebrhan (Robert)

Claire / クレールが探す「幸せ」な「普通」の日々

今日は珍しくフランス発のコミックの紹介をしたいと思う。

アマゾンでタイトルを見ただけでは正直、読みたいとは思わなかった類の本だ。
クレール パリの女の子が探す「幸せ」な「普通」の日々。

パリの女の子と言われても、また偏ったキラキラしたパリジェンヌのお話かと勘違いしてしまう。

内容紹介を見ると、表紙の雰囲気とは少し違った内容であることが分かる。

今を生きる、悩める女性に贈るフレンチコミック。

仕事は順調。でも恋愛は長続きせず、結婚は夢のまた夢。
そんな「今」を生きる30代中盤、独身の女性の
シビアな悩みと、これからをどう生きて行くのかを描いた物語。

ただ、ここまで読んでもまだ余りピンと来ない。30代中盤、独身というキーワードのせいだろうか。

しかし、今回はある知人の紹介で読んだ方がいいよ、と勧められた。前回のお薦めがドンピシャだっただけに読まないではいられないではないか。とにかく自分の人生において、こういった類の人の存在はとても重要である。

さて、半信半疑ながらもページをめくっていくと、完全にこの本の謳い文句や表紙のデザインのせいで、その内容が全く伝わっていないことに気付かされた。

何ともシビアでストレートな内容だったからだ。

パリジェンヌのキラキラした生活などそこには微塵もなく、一人の自立した女性の仕事、男女づきあい、悩み、結婚観、出産などについて赤裸々に描かれていたからだ。

特に性生活や同棲、結婚に至る下りは女性だけではなく、男性にも読んでほしい内容になっている。

もうすぐクリスマス。シビアな現実に気付いてもらうため、今後の関係をより良いものにするためにもパートナーにとって最適な贈り物になるかもしれない。

そう言えば、生理バッジに関するサンドラ・ヘフェリンさんの記事にもこんな下りがあり、ハッとさせられたので引用しておこう。

「ニッポンでは『自分から言うのは恥ずかしい』『自ら求めるのはおこがましい』という気持ちがあって、思いやりの行為を相手の親切心や良心に委ねる傾向があります。」

ここが変だよ、ニッポンの生理バッジ!「ただいま生理中」を公にする違和感について 

この日本的な思考に対しても、クレールの女友達はバッサリ切ってくる。

著作権の問題があるが、1ページだけスクショを貼っておこう。

クレール、ぜひ一度読んでみてください。

Hospitieren in der Grundschule / ドイツの小学校で授業参観6

ドイツの小学校で授業参観5に続き、6では1年生の算数の授業の様子についてまとめてみようと思う。

内容が重複する部分もあるかもしれないが、もう少しお付き合い下さい。

ウォーミングアップとして担任の先生が両手をさっと上げて、指の数を言わせるゲームを数分間、子供たちと行う。

その次はVerliebte Zahlen「相性のいい数」、足すと10になる組み合わせの練習をしていた。

5+5
9+1
8+2
6+4

6+3=6+4-1
5+6=5+5+1

あくまでも10のまとまりを大切にする考え方だ。

ウォーミングアップが終わったところで、この日は数式を新しい方法で表すやり方を先生がまず黒板に書いて説明し、その単元をワークブック(p.71)で各自解く、という流れだった。

3+7=10
10-7=3

足し算と引き算を⇆で一度に表す方法だ。ワークブックの①と②はクラス全員で解いていく。みんなが解き方を把握したところで、それぞれが残りの問題を解いていた。

⇆の意味をすんなり理解できない子供にはワークブックのFlexとFloraのキャラクターがすごろくのコマを行ったり来たりする、という場面を想像させて理解を促していた。

授業の最後には足し算、引き算ゲームをみんなでやっていたのが面白かった。3人1組で先生が出した足し算や引き算の問題を一番早く解いた子供が次のグループに進める、というもの。

計算の速さを競うことで、指で数えたりせず、10までの計算を習得させるのが狙いだという。緊張して慌てる子、計算の強い子、声が小さくて聞こえなかった子など子供の個性も見え隠れしてなかなか面白かった。

一番自分の席から離れた席まで進んだ子供にはみんなで拍手。こうやって身体を使って楽しく計算を覚えるやり方はいいなぁ、と感じた。

8月に入学したばかりの1年生。2時間目になれば集中力もかなり落ちてくる。子供たちが飽きないようによく工夫された授業だった。

Hospitieren in der Grundchule / ドイツの小学校で授業参観5

さて、ドイツの小学校で授業参観4に続き、今日は1年生のクラスを参観してきました。先日と小学校は同じ。

昨日の印象では2年生のクラスが静かでまとまりがある、とお伝えしましたが1年生も同じようにきちんとした様子。

机の配置は4人ずつのグループに分かれ、黒板の方に一斉に向いているわけではなく、先生が前に立って話しているときは子供たちは先生の方に身体を向けて聞き入っている。

授業の始めに「今日は何曜日ですか?」という質問をするようだ。最終的に日付まで付けて今日は何年何月何日何曜日まで言わせていた。

Heute ist Donnerstag, der 28.11.2019.

あれれ?1年生で我が家の子供たち、ここまでちゃんと言えていたかな?

それはさておき、授業は先生が予め書いておいた黒板のドイツ語のテキストを見ながら進められる。子音ごとに単語を読んでいく練習に加え、読点・疑問符・感嘆符などについても学習をする。

黒板に書かれたドイツ語。句読点はあえて付けられてはいない。色分けされているのは子音の区別を明確にするためで、Fiebelメソッドではないかと思う。

昨日の2年生の担任もこれまでの「聴覚を元に書く」やり方はもうしていない、という話だったので、ベルリンでもようやく元来のFIebelメソッドに戻す方向になったのかもしれない。

黒板に書かれた文章を生徒に読ませながら授業が進められていく。全て読んだところで、内容を把握したかどうか先生が子供たちに質問する。

Wer ist in der Schule? (誰が学校にいますか?)

Was muss Milo machen?(ミロは何をしなければいけませんか?)

内容が理解できたところで、次は四角で囲まれたクイズをみんなで考える。答えが出たところで、今度は黒板の文章で足りないものは何か、と先生から質問が出される。

ここで、読点や疑問符、感嘆符の話に移行するわけだ。

授業の構成がきちんと考えられていて、とてもわかりやすい。

昨日の2年生の授業でテーマは「秋」だったが、今日のテーマは「冬」だった。

ここでは疑問文を作るために必要な疑問詞 / Fragewörter (Wer, Was, Wo, Womit)などの話と疑問符についての導入があり、後は絵を見せながら子供たちにどんどん発言させていた。

先生が一通り新しい単元についての説明をしたところで、3つのレベルに合わせたプリントが配られる。

レベル3

写真のプリントはレベル3で一番難しいテキストだった。25人中(ひとり欠席)の中、このプリントを渡されていたのは5人の子供たちだけだ。

プリントを写し、子音を分ける波線を入れ、クイズに答えその絵を描く、というのが残りの授業時間内の課題である。

この1年生のクラスも先生に話を聞いたところ、ドイツ語に問題のある子供はひとりもおらず、非常に教えやすい、ということだった。それは45分の授業を見ているだけでもすぐにわかる。

クラスにはトルコ、デンマーク、スペイン、イギリス、日本のルーツを持つ子供たちが在籍しており、国際的なことには変わりはない。

どの子供も集中して静かに作業しているし、授業にもとても積極的に参加していたからだ。やはり母語の習得が学習の基礎になるのだな、と改めて思った。

担任の先生がDDR出身の方で教え方も丁寧で工夫されており、とても分かりやすかったのも印象的だった。

Drohbriefe und Stalking / 脅迫状とストーカー

ツイッターでストーカーの話が少し出たので、ドイツのストーカー (Stalking / Nachstellung) 事情について少し調べてみた。

その前に、実際に自分がベルリンで体験したストーカーまがいの出来事について書いてみよう。

ベルリンにやって来て2年半くらい経った頃だろうか。友人の頼みで受けた新聞のインタビュー記事などにも原因があったように思うが、ある日、自宅アパートの郵便受けに手書きの小さな紙が入っているのに気が付いた。

なぜかご丁寧にかなり下手な英語で書かれており、鉤十字マークがいくつか入ったものだった。

何がよくないかと言えば、郵便で送られて来たものではなく、直接投函された紙切れだったということだろう。

今から思えば、完全に個人を狙ったストーキングである。

しかもそこに書かれていたのはかなり物騒な話であったので、翌日大学にその紙切れを持って行き、講義を一緒に受けていたドイツ人学生に見せてみた。

「これは家にひとりでいたらヤバイでしょ。今日は一緒にいてあげるよ。」

と、何人かの学生が家に来てくれたのを覚えている。

すると、なんとその翌日にまた紙切れが投函されていたのである。

「お前は、昨日の20時に家にひとりでいなかっただろう。〇〇すぞ!」

いやいやいや、大概物騒である。例のマークは相変わらず書かれたまんま。

なぜ、家で誰かと一緒にいたと分かったのだろうか。同じアパートの住人ではないかと考えた。そうであれば、こんなところに住んでいれば何をされるか分かったものではない。

仕方がないので、当時家族のようにお世話になっていたドイツの父に相談してみた。

「出来るだけ早くその家を出なさい。」即答である。

ひとりで住むのが不安であれば、家に来ていい、とさえ言われた。感謝しかないではないか。結局、父のような存在であった方の家で共同生活を始めるきっかけになったのだが、その父の息子も改装中のアパートがあるから住めばいい、と言ってくれたりもした。プレンツラウワーベルクの給水塔のすぐ側にあったアパートだ。

警察でも事情を説明したが、その時に言われたのが、ストーカーはほとんどの場合が自分の知っている誰かである場合が多い、ということだった。

思い当たる人はいますか?と聞かれたが、思い当たるわけがない。

その件が最初で最後だったわけだが、ドイツにもこのようにストーキング行為をするものもいれば、ストーキングの被害にあう人もいる。私のケースは相手が明らかに外国人に対する敵対心丸出しだっただけに非常によろしくない。

ドイツにおけるストーカーの件数を現す統計グラフを見つけたので参考までに貼っておこう。

ドイツにおけるストーキングの件数は連邦刑事庁(BKA)によると年々減少方向にある。刑法典(Strafgesetzbuch)はストーカーを他人をその意思に反して付け狙い、その人物を暴力で脅す行為だと定義している。

2015年には2万1070人がストーキングの被害に遭っている。統計に加えることのできない届出のない件数を足せばその数はさらに増えるだろう。

女性が男性の4倍ほどの割合でストーキングの被害に遭っていることが統計庁のデータで見ることができる。また、ストーキング被害の37%が以前のパートナーによるものだということだ。

参照記事:Stern / Diese Grafik zeigt, wie viele Menschen Opfer von Stalking werden

Hospitieren in der Grundschule / ドイツの小学校で授業参観4

さて、ドイツの小学校で授業参観3の続き。2時間目は算数の授業です。

テーマは時計。

Wie spät ist es?

まずは1年生で学習した内容の復習。

2 Uhr (nachts)
14 Uhr (Nachmittagszeit) — +12で考える

時計の分針を動かしながら、「はい、10分待ちました、20分、じゃあここなら何時何分になりますか?」

5.00 Uhr
5.30 Uhr — 午後だと17.30ですね。

↑ここまでが宿題の内容の復習。

今回の小学校はベルリンでも最も古い歴史のある小学校なので、設備そのものは古く、教室にも黒板しかない。モンテッソーリの教育方針を取り入れているのも特徴で、数年前まではJahrgangsübergleifendes Lernen (JüL)という1年生から3年生までが同じ教室で学習する方法が採用されていた。

ただし、JüLを効果的に実践するための教室や教員の確保ができておらず、理想ばかりが先行し現場の教員の負担も大きく、特に3年生がきちんと勉強できない、といった様々な弊害が出ていた。

前任の校長が退職したタイミングで、あまり機能していなかったJüLのシステムは廃止され、学年ごとの学習に変わったのはつい最近のことである。

さて、話が少しそれてしまったが、時計の学習にも実際に針を動かしたりしながら道具を使って学習するのがモンテッソーリのやり方なのだそうだ。計算の学習でも、特に指を使って計算することを禁止したりすることはないのだとか。

3人の生徒だけが学習速度が速いようで、全く別の課題を与えられ、廊下の机で取り組んでいたのが印象的だった。日本の小学校では能力のある子供も強制的に一斉授業に参加しなければならないからだ。

その3人の男子生徒は先生の目が届かない廊下でも、きちんと課題を解いていた。おまけに4年生で初めて出てくる分数の概念まで問題に出ていたのには驚いた。

時計をクルクル回して、「今、何時?」というレベルでは全くないことは明らかだ。

担任の先生の話では、ドイツ語とは異なり、算数に関してはレベルに大きな開きがあること、ドイツ語であれば多少の間違いがあっても学習を進めることができるが、算数は一度つまづくとそこから先に進めなくなる、といったことを伺った。

また、先生の方針として基本的な計算方法は暗記が大切だと考えており、1+1,2+2,3+3などの計算や掛け算の九九などは宿題を出し、テストも行うとのことだった。

日本の小学生の国語(日本語)力や算数のレベルはドイツのそれに比べると格段に高い。ドイツの小学校では例えば算数ならば、

1年生:20までの数
2年生:100までの数
3年生:1000までの数

を扱うが、2年生の段階で「53の前の数は?」と聞いた時にパッと答えられる子供は少ないという。

53: drei und fünfzig — 「3と50」という風に読む。

ドイツ語の数の数え方が複雑なことに所以しているのかもしれないが、日本の小学生で53の前の数を言えない子供がいるようには余り思えない。

算数については、確かにドイツ語の授業とは違い、生徒間でかなり差があるように感じた。1枚のプリントをやる必要のない子供と1枚のプリントを半分しかできない子、数題しか問題をこなせない子供と45分間でできる課題の量にかなり差が出ていた。

授業の終わりに、授業中の作業に対する自己評価をこの小学校でもさせていた。「はい、あなたちは2つしか出来ていませんね。それはちょっと少ないと思います。自分でもそう思ったのね。きちんと評価できていますね。」

と、先生が言っていたのが印象的だった。

余談になるが、ミッテ地区と隣接するヴェディング地区の教員の話では、新入生として小学校に入学してくる子供たちの中には鉛筆が持てない子供や授業中に机の下から出てこない子などがいるという。もはやこうなってくると、ドイツ語の授業以前の問題になってくるので、現場の教員の苦労は計り知れない。

Hospitieren in der Grundschule / ドイツの小学校で授業参観3

ドイツの小学校で授業参観12で授業参観の印象をまとめたが、今回はベルリンのミッテ地区にある別の小学校での授業参観の様子を紹介しようと思う。

読書を促すためのLesepass

今回の小学校は前回の小学校と登校時の様子からすでに違う。朝、学校にやって来た子供たちはまず中庭に集まる。

授業開始10分ほど前にベルがなり、その合図で子供たちが一斉に教室に向かう、というシステムだ。前の学校では保護者の姿が校庭にもたくさん見られたが、こちらの小学校では保護者の姿はほぼ見られない。

自主性をより重んじている印象を受ける。

8:15に1時間目が始まる。担任の先生が前に立って授業中にやるべきタスクを一通り説明する。ここは同じだが、生徒の態度が明らかに前回とは異なっていた。

皆、きちんと先生の方を向いて静かに聞いているのだ。

この歴然とした差は一体どこから!?

今日のタスク:

  • Lernwörter:新出単語の練習
  • 7 Wörter mit Partner gegenseitig diktieren:7つの単語をパートナーと組んでディクタート練習
  • Übungsblatt (Die Normen groß schreiben, Die Fehler finden und verbessern, ):練習プリント(大文字で書くべき箇所を探して書き直す問題、正書法の問題、テーマは秋)

内容を先生が一通り説明した後、再度、子供にその内容を言わせてクラスのみんなで確認。

と、ここまでほぼクラス全員が静かに集中して聞いているのが大きな違いである。立ち上がったり、歩き回ったりする生徒もいない。座り方もきちんと指導されているようだ。

一番驚いたのは、同じ小学2年生のドイツ語の授業なのに、こちらの小学校ではすでに筆記体で子供たちが問題なく書いていたことである。筆記体どころか、先生の話す内容を理解できない子供が多い印象を受けた前回の授業風景とは全く違っていた。

よくよく見ていると、クラス全体のドイツ語力が高く、授業の進み方もスムーズで滑らかなのである。

言われたことがわかる子供がほとんどなので、先生のところへ質問に行く子供も減り、集中して作業することができるのだろう。とにかく教室は一貫して静かだった。

少しでもうるさくなると、先生がすぐに注意しており、注意されても改善されなければ一緒に作業をしているパートナーとは離れてひとりでする必要がある。先生も授業中の生徒たちの態度にかなり厳しい。

ひとしきり、グループでの作業が終わったところで、今度はクラス全員で問題プリントの答え合わせが行われた。

これも、生徒のドイツ語力に差がありすぎると機能しないやり方だろう。

「はい、タイトルを見てください。どこをどう直せばいいですか?わかる人。」

先生が尋ねると、手を上げる生徒もかなり多い。授業にも積極的に参加している子が多かった。

担任の先生にドイツ人の保護者が全くいない家庭の子供がどれくらいいるのか尋ねてみると、25人中たったの4人。デンマーク、サラエボ、アメリカ出身の両親を持つ子供たちだ。しかも、その少数派の子供たちのドイツ語力にも特に問題がない、という返事だった。

先生曰く、「ドイツ語のレベルが高いのは、この小学校の周りに住んでいるのはアカデミックな家庭が多いからだと思います。保護者も教育に熱心ですし。日本のそれとは違いますが、子供たちにも勉強ができるできないに関して、かなり近いプレッシャーのようなものはあると思います。」

ここでもまた家庭学習による生徒の学力差の話になった。色々と考えさせられる。

Brautraub / 誘拐婚

「誘拐事件」というキーワードがまだ頭に残っているせいなのか、今朝ツイートを眺めていたらジョージアの山岳部においていまだに存在する誘拐婚の記事に関する投稿を見かけた。

ジョージアのトビリシがトレンドになっている、というのもTL上で話題になっていただけになんとも不思議な組み合わせだった。

ジョージアと誘拐。

リンクとして貼られていたのは2010年に書かれたニューズウィーク日本版のもの。

グルジア北西部に広がるスバネスティ地方のカフカス山脈に存在するある「伝統」についての記事だ。

ゼモ・スバネティ(Zemo Svaneti)は96年にその建造物群が世界遺産にも登録されている。トビリシからはマルシュルートカ(маршрутка)という旧ソ連圏諸国でよく見られる小型の乗り合いバスで12時間ほどの距離にあるらしい。

写真で見る限り、自然の豊かな美しい山岳地帯である。

だがカフカス山脈は古くから、スバネティの女性たちを外界から遮断し、その未来を閉ざす存在でもあった。好きでもない男に誘拐され、レイプされた揚げ句その相手と結婚する—-こんな恐ろしい「伝統」が現在まで続いている。誘拐される割合は女性の3人に1人に上る。

女性たちは家族の元から誘拐され、中世から残る石塔の中に隔離され、最終的に結婚させられる。

誘拐犯と結婚 それが私の生きる道 NEWSWEEK日本版より

誘拐された上、石塔の中に隔離され、最終的には結婚を強制される。一体、いつの時代の話なのだろうと首を傾げてしまいたくなるが、現在に至るまで続いている「伝統」だとされているというのだ。

誘拐された女性が隔離される石塔は、かつて侵略者の攻撃を防ぐ住居だった

Photographs by Stephane Remael

自分もかつては誘拐婚の犠牲になり、今では娘を持つ母親が「自分の娘が誘拐されるくらいなら死んだ方がましだ。」というコメントに何とも言えない気持ちにさせられた。

Ushguli community, Svaneti, Georgia Photo by Florian Pinel

続いては、グルジア(ジョージア)、誘拐婚というキーワードで検索してヒットした記事についての紹介である。

中央アジア、キルギスタンでも同様の誘拐婚というのが横行しているらしい。

実際に誘拐婚の犠牲になった女性たちの声を拾っている映像を見つけた。

「私の母は結婚のために誘拐されました。私の姉もそうです。ほとんど全ての親戚が誘拐されているのです。」とこのショートフィルムでキルギスの若い女性は告白する。彼女も16歳で誘拐され結婚を強要されている。「私は結婚について何も知りませんでした。彼を愛していなかったので、それは難しいことでした。与えるより他に選択肢はありませんでした。でも、私の心を与えることは決してありませんでした。」

キルギスでは10人中1人の女性が18歳未満で結婚している。国連人口基金(UNFRA)の調べによると、誘拐婚によって多くの子供の婚姻が起こっているということだ。

しかし、誘拐婚はキルギスでは違法である。2013年以降、婚姻の強要は7年までの禁固刑の対象となっている。それにもかかわらず、実際には誘拐婚に携わるものが罪を追求されることは稀なのだという。

キルギスでは誘拐婚について認知を広げるために、ドキュメント映画プロジェクトが進行中だ。声を上げなければ希望はない、誘拐婚をいずれ過去のものにしたい、という思いでこのプロジェクトは進められている。

参照記事:ニューズウィーク日本版 / 誘拐犯と結婚 それが私の生きる道
Girls not brides / The child brides of Kyrgyzstan: kidnapped and forced to marry

Kälte und Dunkelheit / 冬の寒さと暗さ

最近、色々と考え事をしていて正直あまりよく眠れない。

よく眠れないので、朝起きてもかなりボーッとしていて、機能していない。

機能していない、要は疲れていて日常の些細な物事に集中できていない、と言えばいいだろうか。

そんな状態でもジョギングをすると、一時的に目は覚めてきちんと走れるのだから人間の身体は本当に不思議だ。

走り終えると、またどっと疲れて睡魔が襲う。しかも、空腹にも襲われる。もはや二重苦。そんな時は「一体、なんの罰ゲームなんだ。」と自分自身にちょっと呆れる。

それでも、仕事も家事も育児もこなさなければいけない。

まぁ、生活なんてそういうものだ。

きちんと眠れようがそうでなかろうが、1日にやるべきことの量というものは大体決まっていて、それが減るかと言えば全くそうではないからだ。

眠れていない分、いつもはなんてことのないタスクでさえ、こなすのに倍以上のエネルギーが必要になる。

自宅からスーパーへ買い物にいく道中。自宅から学校へ子供を迎えに行く道中。

ふと歩くのでさえ苦痛になる時がある。

「あー、これはよくないな。」と感じる。

人間誰しもこうして調子の良くない時はある。そんな時はできるだけその状態を受け入れて、仮眠できるときは仮眠をして身体を休めるしかないように思う。

「ま、仕方ないよな。いつまでも続くわけでもないし。」

潔く諦めることも肝心だ。

苦手週間というかもはや月間になりつつあるが、やはり自分の苦手なことばかりまとめてやろうとすると、具合が悪くなることはよくわかった。

それでも、進歩があったのだから良しとしたい。

苦手なことをすることで見えたことも多かったからだ。

自分がどんな状態であれ、時間は時を刻むのをやめることはないし、ある意味容赦無く時は進んでいくものだ。

時間に置き去りにされないように、よく寝て毎日をいい状態で過ごせるように、この暗くて寒い時期を乗り越えようと思う。

ベルリンの冬にはいつまで経っても慣れないけれど、冬は冬なりの良さがある。

こんな風に自分と向き合って静かに文字を綴るとか、そういうことは恐らく冬の方が向いている。

それに、静かすぎて思考が内向きになり過ぎれば、ポケゴーに出かければいいのである。暗くても寒くてもポケゴーだ。

特に目的地を決めずに車を走らせるのもいいかもしれない。

当初やりたいことをリストアップしておこう。

ロシア語(Duolingoがまだ一通り終わらない)
・読書(Erich Kästnerがまだ終わらない)
・車の運転をスムーズに
・部屋の整理(頭の中の整理)

進行中のプロジェクトを具体的に形にする
・マイプロジェクトに取り掛かる

書いてみると、それほど難しいことでもなさそうだ。

やはりもう少しきちんと寝ることにしよう。