今朝、ジョギングを終えて帰宅しようと公園の出口に向かって歩いていると、母親らしき怒鳴り声が聞こえてきた。
いつもは鳥のさえずりが聞こえる静かな朝の公園。彼女の大きな声は周囲に響き渡っていた。
どうやら幼稚園に子供が行きたがらずに愚図っているらしい。
「いい加減にしなさい!仕事に行かなくちゃいけないんだから、こんなところでボイコットするのはやめて!」
かなり長い間(母親にとっては永遠に感じられる)、男の子がぐずぐずと何かを訴えており前に進めないのだろう。母親の怒りはすでにマックス。そんなお母さんの恐い顔や怒鳴り声に責め立てられ、泣き声がさらに大きくなる。
渦中でなければ、冷静に状況を俯瞰できるのだが、時間もない、子供は動こうとしない、時間ばかり経つ、という魔のループにハマるとそれどころではなくなる。
この状況、実際に子供に愚図られた経験のない人から見ると、ヒステリックな母親と可哀想な子供、という風にしか映らない。どうして朝っぱらから公共の場で怒鳴り散らす必要があるのだ、と眉をひそめる人もいるかもしれない。
この母親の気持ちが痛いほど分かり、手助けできないのが辛かった。
急いでいる時やゆとりのない時に限って、小さな子供は駄々をこねたり、体調を崩して幼稚園を休んだりするのだ。
週末までに6人分(6時間分)のドイツ語インタビューを日本語に起こさなければならない時に限って、怪我をし病院に通う必要があるのが子供。ロケが来週からというタイミングで風邪をひいて休むのが子供。
親の予定通りには決して行かないのが小さな子供のいる生活なのである。
日本でも最近では共働きの家庭が増えてきているが、ドイツでは女性も仕事を抱えていることがほとんどだ。
幼稚園でも挨拶がわりに「最近、仕事どう?」というくらい、育児をしながら仕事をするということが当たり前になっているし、周囲からのプレッシャーも多い気がする。
周りの知人を見渡しても、娘が3歳になるまで授乳をしていたポーランドとドイツ人の両親を持つ女性だけが、子供たちをギリギリまで幼稚園にも入れず手元に置いて育てていた。
「ポーランド人は家庭を大事にするのよ。私は出来るだけ子供たちのそばにいてあげたい。」
自分のメンタリティーはポーランド人だ、という彼女の意見は例外である。
長女を出産した時にはまだ会社で働いていたため、妊娠中から保育園の空きを探し、あちらこちらに問い合わせをした。「保育園落ちた。日本死ね。」みたいな状況は何も日本に限ったことではない。
ベルリンでも保育園・幼稚園の数や保育士の数が慢性的に足りておらず、妊娠中から動かないと地区によってはなかなか保育園の席が確保できない。
長女はそれでも11ヶ月のときにはすでに保育園へ入れることになった。10件くらい、ギリギリ徒歩範囲内の施設に電話で問い合わせたり、直接出向いての交渉の末、ひとつだけ何とか入れてもらえることになったからだ。
「両親期間」という出産後8週間の期間が終われば職場復帰が待っていたので、後がない状況だった。入ることは決まっても、復帰までに慣れ保育がうまく進むのかやってみなければわからない。
おまけに保育園にせっかく入れても冬の寒さが厳しいドイツ。幼児はすぐに保育園からあらゆる強力な菌を自宅に持ち帰ってくる。初めの1年はそんな具合で、常に体調が悪かった記憶しかない。
今朝の母親と息子のやり取りを見て、自分が大変だった時のことを思い返してみた。我が家の子供たちも小学生1年と4年になり、ずいぶんと手が掛からなくなった。
補習校の宿題や現地校のドイツ語問題など、また別の難しさは出てくるが、精神的に極限の状態に追い込まれる、というようなレベルの大変さからは抜け出た気がする。
街角で大変そうな親を見かけたら、責めずに何か手助けできないか立ち止まって考える余裕を持ちたい。