子供の頃、家ではゲーム禁止だった。さすが親だけに子供のことがよくわかっていたのだなぁと思う。真っ当な判断だし、感謝もしている。
ゲームを与えられなかったから、というわけではないが、小学生の頃は読書にハマって夕飯を返上するくらいの勢いでミヒャエル・エンデの「果てしない物語」やC.S.ルイスの「ナルニア国ものがたり」を読んでいた。
「ここではないどこか」が舞台の冒険物語が好きだった。
任天堂からマリオ・ブラザーズが世に出たときもファミコンなど以ての外で、友達の家でやらせてもらっても、日頃プレーしていない私はひとつめの穴で何度も落ちてしまい先に進めなかった。
苦い思い出だ。
唯一、家でやったことのあるゲームらしいゲームといえば、クリスマス会のビンゴゲームで当てたゲームウォッチくらいだった。
ゲームウォッチはタイミングさえ掴めばすぐにクリアできてしまい、延々と同じことの繰り返しになる。檻から飛び出すライオンを椅子で止める、みたいなゲームだったように記憶している。
音も原始的でライオンが飛び出しそうになると、ビーッと警告音が鳴るくらい。懐かしくなったので、YouTubeで検索してみるとちゃんとアップしている人がいたので、リンクを貼っておこう。
いや、すごい。これはストレスが溜まりそうだ。
そんなわけで、初めてプレーした電子ゲームがこのゲームウォッチで、ベルリンで同僚のカメラマンの置き土産として譲ってもらったプレーステーション2でファイナルファンタジー10をプレーしたときは心の底から感動した。
なんだこれは!時代が違う、と。当たり前である。
グラフィックやサントラの美しさ、ストーリー展開の面白さにどハマりし、案の定、睡眠を返上してクリアする羽目に。当時、一緒に住んでいた相方はドン引きしていた。
1983年ゲームウォッチ→2008年FFX(ファイナルファンタジーX)→2019年ポケモンGO
こんな段階を踏んでゲームをしている人も珍しいのではないかと思う。
前置きが長くなりすぎたが、ポケモンGOをベルリンでプレーしていると、ポケストップになっている街の名所(?)をより知ることができるのが非常に楽しい。
散歩している際に、「これなんだろう?」という疑問に全て答えてくれるような感じなので、普段よく歩いている近所の豆知識が自然に増えるのだ。
散歩しながらポケモンはゲットできるし、街のちょっとした別の顔を知れたりもするので、一石三鳥くらいの価値がある。
- ポケモンのキャラが可愛い
- 普段とは違う景色が見られる
- 散歩が楽しくなる
- ブログのネタにできる
難点はといえば、
- ポケモンGOに夢中になりすぎて、写真や動画にまで手が回らなくなる。
- スマホの画面ばかり見ていると人にぶつかりそうになる。
- 歩きながらモンスターボールをスワイプすると、明後日の方向に飛んでいってしまい、ポケモンを逃してしまうことがある。
- ポケモンGOに時間を吸い取られかねない。
ポケモンGOと歩いた近所の景色についてはまた次回、ご紹介しよう。