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外国語習得のために必要なこと

つい先ほど、ツイッター上で知り合ったフォロワーさんから「marikoさんはドイツ語やその他の言語をどうやって習得されてきたのでしょうか。」という質問を受けた。

そこでふと思ったのだ。「語学習得とは一体どのレベルを指すのだろう。自分は一体これまでどのように外国語を学んできたのだろう。」と。

日本での義務教育時代を振り返ってみても、正直言って英語の成績が飛び抜けて良かったわけでは全くないのである。10段階評価で7くらいだった記憶がかすかにある。常に安定して良かったのは「国語」の方だ。そう、日本語。

それなのに高校3年生の時、担任の先生に「英米文学科の推薦を受けてみないか?」と進路指導の際に問われた。中高6年一貫教育の学校だったため、高校受験もなし。割と自由な校風だったため、勉強をそれほどしなくなってしまい、気付いたら進路を決めなくてはならない年になっていた。

このままでは一浪しないと国立の大学には行けそうにもないなぁ。困った。1年無駄にするのであれば、外国には興味があるし、英米文学科であれば扱うのは「文学」であるし、英語を学んでおけば海外にも近づけるかも。

誠に安易な考えであるが、ダメ元で推薦入学枠に入れるかどうか申請してみることにした。結果、推薦枠に入れることになり小論文を提出し、それに関する面接を大学で受け合格。正規の大学受験をせずに進路が決まった。

小論文を見てくださった国語の先生には何度も釘を刺されたものだ。「お前みたいな性格なら楽して入れる大学ではなく、きちんと勉強して行きたいところに行った方がいい。」

先生の言うことが正しかったのかどうかは今となっては知る由もないが、とにかく大学では気の合う知人もほとんどできず、早く卒業してベルリンに行くことしか考えていなかった。サークルなどにもノータッチ。コンパとはなんぞや、というレベル。心の友は数えるほどで後は図書館に通うのみ。

さて、大学の4年間で英語力は伸びたのだろうか。英文に触れる機会はもちろん増えるが、翻訳が中心のセミナーが多く、会話などの実践的な語学力が付いたようには思えない。大学在学中に会話スクールに行ったり、休暇中にアメリカで数週間ホームステイをしたり。

大学3回生の時に旅先で出会ったベルリンという街に興味を持つようになってからは、第二外国語だったドイツ語の方に力を注ぐようになった。ドイツ語学科のドイツ語の授業に潜り込んだり。会話スクールでも英語と並行してドイツ語も取るようになった。

当時はまだネット環境がなかった時代だが、今は日本国内にいてもオンライン学習やポドキャスト、YouTube、Netflixなどあらゆる媒体で外国語学習が可能な時代になった。ただ、ひとつ言えることはまずは日本語の文法書を手にとること。日本語で外国語の基礎文法を勉強しておくこと。

現地で語学学校に行く場合でも、現地後で外国語を学ぶのは初めはなかなかハードルが高い。文法の説明がさっぱりわからない、ということにもなりかねない。基礎の文法と必須単語力があれば簡単な会話は割とすぐにできるようになると思う。

しっかりとした土台があれば後は現地に入って日々の積み重ねでレベルアップしていくより他はない。最初は何を言っているかも聞き取れないのが、時間と共に少しづつ分かってきて自分でもアクティブに発言できるようになってくる。

そうして、ある程度理解できるようになってくれば、後は簡単な本を読んだり、ニュースを追ったりして表現のバリエーションを豊かにしていく。今、実践しているのは毎日ドイツ語での音読をする、ということ。何事も継続したトレーニングが大切、そんな風に感じている。

英語やロシア語も使っていないと錆び付いてしまうので、こちらの二言語も本当はもう少し何とかしたいところだ。余りにもストイックだと続かないので、こちらの言語についてはオリジナル音声で映画を観たり、本棚に積まれている原書を時々手に取って読んだり、ということはもう少し意識してやった方がいいだろう。

習うより慣れろ、というのも一理ある。習得したい言語圏で実際に生活する、特に仕事をすると使わざるを得ないので「就職」も言語習得には早道かもしれない。

当たり前すぎることしか書けなかったが、少しでも参考になれば幸いです。

英語学習歴:中高6年間+大学4年間、その後モスクワのインターンで半年使用、現在は仕事で使ったり使わなかったりという程度。

ドイツ語学習歴:大学で第二外国語、ベルリンで語学学校→大学入学資格取得→制作会社勤務時代に実践的に学ぶ。

ロシア語学習歴:ベルリンの大学で2年半(ドイツ語でロシア語を学ぶのは非効率!)、モスクワの病院で半年間インターン、現在はほとんど使う機会がなく後退。

最後にもうひとつ。何を学ぶにもそうだと思うが、語学学習にも終わりはないと思っている。継続は力なり、これに尽きます。そして習得した言語で何を学ぶのか。言葉はあくまでも手段でしかないのでその先を考えた方がいいかもしれない。

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