せっかくオデッサまで来たというのに、前回の「ポチョムキンの階段」で終わってしまうのはもったいない。
アルカディアビーチを見に行こう!
アルカディアビーチに続く道を歩く。
まさか、こんなに混んでいるとは。。ビーチに着くと、ドイツのバルト海とはまったく異なる光景が目前に広がっていた。
ぎっしりと所狭しに並べられたビーチチェアにパラソル。
反対側の方にあった、人のいない桟橋も写真にも撮っておいた。同じ場所にあるとは到底思えない。
泳ぐ準備はしていたのだが、あまりの人の多さに辟易してしまい海に入るのはやめておいた。チェルノブイリ博物館で見た汚染マップがまだ頭から離れていなかったのもその理由だろう。
断っておくと、写真のアルカディアビーチは2006年のものだ。今のアルカディアビーチはかなり高級感あふれる(そしておそらく嫌味で悪趣味な)ビーチに姿を変えているようだが、当時はまだ地元民で賑わっていた。
スマートフォンの普及やITの進歩で世界中どこに行っても、経済および情報格差は広がる一方だ。そして、どこへ行っても同じようなカフェに同じような内装のアパートが観光客向けに作られるご時世となってしまった。
現代の東欧の住民がどう考えているのかは分からないが、古き良き(?)東欧テイストのようなものを感じるのは年々難しくなってきている。
グローバル化やIT化とは世界を没個性にスタンダード化してしまうものだろうか。
列車の旅がしたかったので、オデッサから列車で2時間半ほどの街、ベルゴロド・ドネストロフスキー(Білгород-Дністровський / Belgorod-Dnestrowski)へ行ってみることにした。
ベルゴロド・ドネストロフスキーはウクライナ南西部、オデッサ州の港湾都市。オデッサからイズマイル経由でルーマニアに至る黒海湾岸の国際鉄道の一駅が置かれている。黒海沿岸沿いを走る列車でルーマニアにも入ってみたいものだ。
こちらの写真を見て、これが何かわかる人がいるだろうか。2006年にはまだオデッサ駅にはこんなものが設置されていた。行き先ボタンを押すと、パタパタと音がして時刻表が出てくるシステムだ。モスクワでも見たことがない代物である。
駅のホームに繋がる駅舎の裏側には「英雄の町、オデッサにようこそ!」と掲げてあった。オデッサに着いた人を出迎える言葉だ。
さて、ベルゴロド・ドネストロフスキー行きの列車に乗り込み出発を待つ。
しかし、いつまで経っても列車は出発する気配がない。
待つこと2時間。
「いつ出るの?」
「今日中には出るよ。」
という車掌さんの言葉を受けて、出発を翌日にしたのは言うまでもない。
2時間もよく待っていたものだ。ひとり旅なのでどうにでもなるし、正直どうでもいいのである。この日は列車には乗れたが、1ミリも進まずに終了。
何を見に行ったのかというと、ベルゴロド・ドネストロフスキー要塞(ドニエストル川沿いの白い砦)と呼ばれる9世紀にスラブ人によって建設された小さな砦である。
1918年までと1940~44年にはドイツ風にアッケルマン(Аккерман)と名付けられた。
現在の呼び名はグーグルマップ上ではアッケルマン(ベルゴロド・ドネストロフスキー)要塞、公式HPではベルゴロド・ドネストロフスキー(アッケルマン)要塞となっている。
ヨーロッパの歴史は複雑すぎて、この小さな砦に関してもギリシャから古代ローマ、民族移動時代に東スラヴ、モルダヴィアと様々な歴史が絡み合っているので、到底シンプルに説明することは不可能だ。
人里離れた無名の観光地を目的もなくブラブラ歩く、というのも悪くない。