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Jarosławiec / ヤロスワビエツ ポーランドのバルト海②

前回の続き。西ポモージェ県内のヤロスワビエツ近郊の小さな村、イェジェジャニについて少し触れたが、この地域はポメラニア地方としてかつてポーランド、デンマーク、スウェーデン、ドイツが領有権を求めて争った歴史がある。第二次世界大戦まではドイツ領であり、ドイツ領時代はヒンターポンメルン(後ポンメルン)地方と呼ばれていた。現在のメッケルンブルク=フォルポンメルン(前ポンメルン)と対になっていたわけだ。
この「ポンメルン」という名はスラヴ語から来ており、 po more – (Land) „am Meer“=「海辺の」という意味であるらしい。
ナチス・ドイツ時代にはこの地方のドイツ人住民とポーランド系住民はポメラニアから強制追放されている。
歴史的に見ても非常に興味深い土地である。
さて、複雑な歴史背景を持つポーランド側のバルト海沿岸の街、ヤロスワビエツ。ドイツのバルト海沿岸の街とはまた違う雰囲気を持っていた。
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漁師の街であるため、海岸には漁船がいくつも無造作に並んでいたのが印象的だった。

そして、この人だかり。そして、ドイツではバルト海の風物詩であるビーチ・チェアがどこにも見当たらない。ポーランドの人々は棒に布が巻いてあるもので自分たちのプライベート空間を確保するようだ。相方は「ドイツにも昔はあったよ。」と言っていた。
もうひとつ不思議だったことが監視付きビーチ。上の写真でも小さく見える旗の付いた高いチェアに監視員が座っていたのだが、なぜかそのすぐ隣のビーチで毎日のように人が溺れて救出騒ぎがあったことである。ピーっと笛が鳴り、救出隊数名がロープと浮きを持って駆けつけるのだが、その度に海水浴に来ている人々が一斉に事故現場を見つめるのだ。
確かに波は少し高かったが、なぜ毎日救出騒ぎが??ポーランド語が出来れば地元民に事情を聞けたのだが、あいにくこの謎は解けないままだった。笛が鳴るたびに走って様子を見に行っていた子供達曰く、「ドイツ人のパパと子供ふたり。血が出てた。」「ポーランド人のママがお水飲んで泣いてた。」「ポーランド人のパパと子供ふたり。ケガはしてなかった。」だったんだそうだ。
ちなみに、私も一度少しだけ沖に出ていたらピーっと笛を吹かれた。すみません。

20度前後で水温は低かったが、波打ち際で遊ぶのは楽しかったようだ。チェコの山もいいが、ポーランドのバルト海も悪くない。

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