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Volksbühne am Rosa-Luxenburg-Platz / カストロフ退任とフォルクスビューネの行方

「偽善者の企み。モリエールの生涯」 ミハイル・ブルガーコフより

今、見ておかないといつになるかわからない。5時間15分という長丁場と予備知識のかけらもない演目に気圧されしつつ、まだ残席の残っていた上記の劇を観に行く事にした。

カストルフは恐らく天才なのだろうし、役者も個性派揃いで素晴らしい。余りのレベルの高さに5時間はあっという間に過ぎてしまっていた。

好みはあるだろうが、「東」好きの私にはピッタリはまった気がする。そこで、前々から色々と疑問も多かったフォルクスビューネについて少しまとめてみようと思う。

フォルクスビューネ・アム・ローザ=ルクセンブルクプラッツ。ベルリンに住んでいる人であれば、足のついた車輪のロゴを見るとピンと来る人も多いのではないかと思う。

フリードリヒ・シラー「群盗」上演の際に作られたシンボル / 「反抗的で扇動的」な劇場人のために

この劇場は、ベルリンミッテ地区のローザ・ルクセンブルク広場に本拠地を構えている。ポーランドに生まれドイツで活動したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家であるローザ・ルクセンブルクに因んだ広場を敢えて名前に採用しているのも、いかにもこの劇場らしい。

フォルクスビューネの歴史を振り返ると、その発端は労働者教育の一環として、労働者にも定期的に観劇できることを目的として設立されたドイツの観客動員組織だったことがわかる。

社会主義労働運動と呼応して1890年に自由民衆シアター(Freie Volksbühne)が発足。1914年には会員の寄付によって自前の劇場を持つようになり、ピスカートルが首席演出家となって社会主義革命を呼びかける演劇の推進に努めた。

ナチス時代には活動停止を余儀なくされるが、終戦後に再び活動を再開する。旧東ベルリンでは劇場が残ったが、観客組織は解消した。

ドイツ統一後、ベルリンの演劇界は例にもれず大きく変化するが、東ベルリンに本拠地を持っていたフォルクスビューネは、東西ドイツ統一後、1992年に旧東ベルリン出身の演出家フランク・カストロフが劇場監督に就任する。

フォルクスビューネの建物の上にOST(東)と掲げられているように、東ドイツの伝統や思想を引き継ぐという態度表明をしているかのようだ。この「東」的というのは、西側の資本主義、今日のグロバリゼーションの流れに批判的に対峙する、といった意味合いも含まれているに違いない。

このような反骨精神溢れるパンクな劇場だったわけだが、ベルリンという街自体がそうであるように、とうとう路線変更を迫られる時が来たようだ。

カストロフが今季限りで退任し、次期劇場監督に決まったのがベルギー人のキュレーター、クリス・デーコンである。カストロフの後がまに据えられるプレッシャーは計り知れないほど大きいはずだ。それでもデーコンに舵取りを期待するしかないのだろうが、既に昨年の6月にフォルクスビューネの劇団員らが公開書簡でベルリン市へ契約の白紙撤回を求めている。納得のいかない決定にはとことん対抗するのもドイツ流である。

どちらかというと、無骨で地元に根付いた劇場文化が、営利主義のスタイリッシュでモダンなただの「エンターテイメントの箱」に成り下がってしまうのだろうか。

劇場の上に掲げられている”OST”のサインも「歩く車輪」のオブジェ、ロゴもカストロフ退任後には姿を消してしまうらしい。

ベルリンの本来もつ味というか「らしさ」が様々なジャンルで失われつつあるのは寂しい限りだ。
DON’T LOOK BACK.
フォルクスビューネの今後に注目したい。

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