No Problem / Nur Probleme

久しぶりのフォルクスビューネ。
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劇場の中に足を踏み入れて驚いた。開演10分前だというのにいつもの活気がない。バーやフロアでガヤガヤと立ち話に花を咲かせている人々がいない。ホール入り口付近で開演を待ちわびて行列を作っている人々の姿もない。
そして、いざホールに入って2度びっくり。幕も降りていて、きちんとした普通の劇場に様変わりしていたからだ。カストロフのフォルクスビューネは観客席を取っ払い、コンクリートを敷いて傾斜を付け観客はそのまま直に座ったり、長時間公演の際はビーズクッションを敷き詰めて客席にしたりと観客席も含めたホール全体が舞台装置になっていた。
「ここってこんなに狭くて窮屈だったっけ!?」というのがデルコンのフォルクスビューネに対する第一印象だ。
開演5分を切ったところで、間違いなくカストルフ時代からフォルクスビューネにいたと思われるモヒカン頭の劇場の女性スタッフが「自由に席を移ってください。後列の方は前に移動してください。」と後方の観客に声を掛けた。そのくらい空席が目立っていたからだ。前の方に詰めて、やっと前から8列目くらいまでが埋まるくらいだろうか。

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Nicht Ich. Szenenfoto, Volksbühne Berlin 2017. Foto: David Baltzer

さて、ベケットの三部作。1本目のNicht Ichでは、演出効果のため非常灯を含む全ての照明が落とされ、文字通り真っ暗闇の中、虚空にぽっかりと浮かぶ真っ赤な口がかなりのスピードでモノローグを紡ぎ出していくというスタイル。
ドイツ語のテンポが速いのと、演出なのだろうが途切れることなく延々と続くモノローグ、視界に入るものは暗闇に浮かぶ口ばかり。変化がないので途中でモノローグを理解しようと努力することを放棄してしまう。内容はある女性の過去とそれに伴うトラウマのようなもの。
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  Anne Tismer in “Tritte” an der Berliner Volksbühne © David Baltzer

 
2本目のTritte。舞台は相変わらず暗いままだが、白のドレスで身を包んだ俯き加減の女性ひとりによって、舞台の前方を9歩進んでは折り返し、また9歩進んでは折り返すという動作が延々と続けられる。彼女は自身の中にふたつの声を持っており、どうやらそれは年老いた母とその娘らしい。
3本目のHe, Joの囁きかけるようなペースダウンした女性の声で意識が遠のいてしまった。
ベケット作品の人物は何かに囚われている。過去に囚われている女性に、出口のない状況を自分の頭の中に作り上げている女性。そして、トラウマを抱えているのであろう男性。声には抑揚がなく、全体的なトーンも暗い。
正直に白状すると、シアターで寝落ちしたのはこれが初めてだった。
なぜか?もちろん、ドイツ語の理解力の問題もあるとは思うが、一貫して観客を置き去りにする演出にその理由があるのではないか。デルコン氏がプログラムに敢えて反カストロフ的な作品を持って来たのかどうかは知る由もないが、あの巨大なシアター空間を敢えて真っ暗にすることで、フォルクスビューネ独自の空間の広がりを消し、登場人物はたったひとり。舞台上でのダイアログすらなく、一方的なモノローグのみで観客とのインターアクションなども論外な演出だったのだから。
ベケットの三部作を観れたのは別として、フォルクスビューネでなくとも、例えばギャラリーのビデオインスタレーションとしてでも良かったのではないか。特に1本目はヘッドフォンをしながら映像を見る方がもっとセリフがダイレクトに入ってくるように思えた。
とまあ、この日は70分ほどであっさり終わった上演に半ば拍子抜けして劇場を後にしたのだった。あの妙にワクワクさせられる一体感に覆われていたフォルクスビューネが懐かしい。
 

Intendant Chris Dercon tritt zurück / クリス・デルコンの退陣

フォルクスビューネの劇場監督クリス・デルコン退陣。
え、さすがにまだ早すぎるのでは?
と一瞬目を疑ったが、彼の就任とそれにまつわる一連の騒動を考えると、なんの不思議もない流れなのかもしれないな、と思い直した。
ベルギー出身のキュレータ畑であるクリス・デルコンのフォルクスビューネ劇場監督就任。そして、それに対する風当たりが相当キツかったのだろう。多くの劇場関係者が批判した「イベント小屋」とやらに一度は足を運んでおくべきだろう、と考えを改めチケットを購入することにした。
シアターやダンスにそれほど詳しいわけではないので、プログラムを眺めても全くピンと来ない。何となくアンテナに引っかかったサミュエル・ベケットの劇作品とダンス・パフォーマンスの二演目を観てみることにした。
それがこちら ↓


Samuel Beckett
Nicht Ich / Tritte / He, Joe
Schauspiel
ca. 75min
In deutscher Sprache

 Jérôme Bel
The show must go on
90 min
Englisch


ところが、いざチケットを購入しようとオンラインでサイトを確認したところ余りの残席の多さに愕然とした。ベルリンの他の劇場でも、1ヶ月を切った公演チケットが半分以上も残っているというのに余り出くわした経験がないからだ。
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5月4日の公演分でまだ上のように残席だらけ(4/16現在)なのである。これはさすがに購入する側としても多少の不安が残る。この演目、果たして面白いのか!?
どうしてここまでチケットが売れないのだろう。ましてやサミュエル・ベケットのNicht Ich / Tritte / He, JoeはWalter Asmus監督作品である。Asmusは1941年にリューベックで生まれ、サミュエル・ベケット本人には1974年に当時の西ベルリンにあったシラー劇場で出会っており、彼の有名な戯曲「ゴドーを待ちながら」の演出のアシスタントを経験しているのだ。Asmus監督は言わば、70年代後半からサミュエル・ベケット作品を世界中で公演してきたサミュエル通だとも言える。
Der Regisseur Walter Asmus, geboren 1941 in Lübeck, begegnet Samuel Beckett 1974 am Schiller-Theater im damaligen Westberlin, wo er dem Autor und Regisseur bei seiner berühmten Warten auf Godot-Inszenierung assistiert. Diese Begegnung ist der Beginn einer philosophisch und formal prägenden Arbeitsbeziehung und Freundschaft, die bis zum Tod Becketts 1989 anhält. Seit Ende der 70Walterer Jahre inszeniert Walter Asmus Becketts Stücke weltweit. – Volksbühne HPより
全プログラムが仮にこのような状況なのであれば、デルコン退陣の理由もある意味納得が行く。
一連の騒動のせいで、私自身も気分的な理由からVolksbühneから足が遠のいてしまっていた。どんな気分なのかと言われれば、今のベルリンを覆っている空気とでもいうべき「ジェントリフィケーション」の気配がする対象を毛嫌いする態度、とでも言えばいいのだろうか。
既存の価値を尊重せず、ズカズカと土足でベルリンに足を踏み入れて来る外資に対する不信感のようなもの。「またか。」という一種の諦めに近いようなもの。
このようなネガティブな態度から新しいものは何も生まれないのかもしれないが、せめて既存の価値は尊重して欲しいものだと常日頃思っている。
これによってさらにハードルの高くなったカストロフの後任者探し。Volksbühneの今後の進展に期待するより他はない。正式な劇場監督が決まるまでは、代理の劇場監督としてシャウシュピール・シュトゥットガルトのクラウス・デュル(Klaus Dürr)に白羽の矢が立ったようだ。

 

"Doch Kunst" / ベルリンとシアターの関係

9月からクリス・デルコン率いる新生フォルクスビューネが始動した。一筋縄では行かないだろう、と予想はしていたが仕事で朝ホテルに向かう途中、ふと劇場の入り口付近を見るといつもより人だかりが多い。
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正面入り口の上には青い横断幕、「DOCH KUNST」(やはりアートだ。)の文字。
と、ここまで書いて放置していたが、仕事も一段落したので続きを。
結局、このフォルクスビューネの平和的占拠は警察の介入で9月22日から29日までの1週間ほどで終わってしまったようだ。
アクションを起こしたのは芸術家集団「Staub zu Glitzer」(ダストから宝石を)。広報担当はフォルクスビューネの総監督に就任したクリス・デルコン個人やそのチームに向けた運動ではないこと、暴力やアグレッシブな行動からは距離を置いていることをプレス発表の際に改めて強調した。
しかし、何よりも今回の争点になっているのはデルコンの示すフォルクスビューネの方向性に反発する「反ジェントリフィケーション」のようだ。
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ローザ・ルクセンブルク・プラッツのフォルクスビューネは彼らのようなアクティビストや一部の市民にとって、ベルリンの至る所で加速中のジェントリフィケーションや文化のマーケティング化、企業誘致、社会からの排除などに反対表明をする「最後の砦」のような意味合いを持つシンボリックな場所なのだろう。
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95年からベルリンの変化を身をもって体験している者としては、彼らの主張は「そうあるべき」至極当然のものだ、という反面、時代の素早い変化について行けないと感じる人々の叫びなのかもしれない、という考えもどこか拭いきれない。
ベルリンの街も私自身も、これまで自分たちが参加して街づくりをしてきたと自負する昔からベルリンに住んでいる誰もが日々の生活の中で時代や街の変化を肌で感じ、多かれ少なかれ違和感や葛藤を抱いているのかもしれない。
10月3日のドイツ統一記念日に、そんなことを考える。
西ドイツと東ドイツ、西ベルリンと東ベルリン。物理的な壁は消滅したが、頭の中の壁はまだまだそこに存在しているだろうし、その壁がこれからのドイツの行方を大きく左右する要因のひとつになることは間違いないだろう。それは先月24日の選挙結果からも明らかだ。
ベルリンという「壁」の存在した特殊だった街も、時間とともにパリやロンドンといった欧州の普通の一都市に並ぶ日もそう遠くはなさそうだ。それでも、フォルクスビューネのような地元民のコミュニケーションのハブである「最後の砦」は残した方がこの街のためになるはずだ。
そして、今日もフォルクスビューネ前の広場で夕方から野外コンサートが行われるんだとか。

Volksbühne am Rosa-Luxenburg-Platz / カストロフ退任とフォルクスビューネの行方

「偽善者の企み。モリエールの生涯」 ミハイル・ブルガーコフより

今、見ておかないといつになるかわからない。5時間15分という長丁場と予備知識のかけらもない演目に気圧されしつつ、まだ残席の残っていた上記の劇を観に行く事にした。

カストルフは恐らく天才なのだろうし、役者も個性派揃いで素晴らしい。余りのレベルの高さに5時間はあっという間に過ぎてしまっていた。

好みはあるだろうが、「東」好きの私にはピッタリはまった気がする。そこで、前々から色々と疑問も多かったフォルクスビューネについて少しまとめてみようと思う。

フォルクスビューネ・アム・ローザ=ルクセンブルクプラッツ。ベルリンに住んでいる人であれば、足のついた車輪のロゴを見るとピンと来る人も多いのではないかと思う。

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フリードリヒ・シラー「群盗」上演の際に作られたシンボル / 「反抗的で扇動的」な劇場人のために

この劇場は、ベルリンミッテ地区のローザ・ルクセンブルク広場に本拠地を構えている。ポーランドに生まれドイツで活動したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家であるローザ・ルクセンブルクに因んだ広場を敢えて名前に採用しているのも、いかにもこの劇場らしい。

フォルクスビューネの歴史を振り返ると、その発端は労働者教育の一環として、労働者にも定期的に観劇できることを目的として設立されたドイツの観客動員組織だったことがわかる。

社会主義労働運動と呼応して1890年に自由民衆シアター(Freie Volksbühne)が発足。1914年には会員の寄付によって自前の劇場を持つようになり、ピスカートルが首席演出家となって社会主義革命を呼びかける演劇の推進に努めた。

ナチス時代には活動停止を余儀なくされるが、終戦後に再び活動を再開する。旧東ベルリンでは劇場が残ったが、観客組織は解消した。

ドイツ統一後、ベルリンの演劇界は例にもれず大きく変化するが、東ベルリンに本拠地を持っていたフォルクスビューネは、東西ドイツ統一後、1992年に旧東ベルリン出身の演出家フランク・カストロフが劇場監督に就任する。

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フォルクスビューネの建物の上にOST(東)と掲げられているように、東ドイツの伝統や思想を引き継ぐという態度表明をしているかのようだ。この「東」的というのは、西側の資本主義、今日のグロバリゼーションの流れに批判的に対峙する、といった意味合いも含まれているに違いない。

このような反骨精神溢れるパンクな劇場だったわけだが、ベルリンという街自体がそうであるように、とうとう路線変更を迫られる時が来たようだ。

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カストロフが今季限りで退任し、次期劇場監督に決まったのがベルギー人のキュレーター、クリス・デーコンである。カストロフの後がまに据えられるプレッシャーは計り知れないほど大きいはずだ。それでもデーコンに舵取りを期待するしかないのだろうが、既に昨年の6月にフォルクスビューネの劇団員らが公開書簡でベルリン市へ契約の白紙撤回を求めている。納得のいかない決定にはとことん対抗するのもドイツ流である。

どちらかというと、無骨で地元に根付いた劇場文化が、営利主義のスタイリッシュでモダンなただの「エンターテイメントの箱」に成り下がってしまうのだろうか。

劇場の上に掲げられている”OST”のサインも「歩く車輪」のオブジェ、ロゴもカストロフ退任後には姿を消してしまうらしい。

ベルリンの本来もつ味というか「らしさ」が様々なジャンルで失われつつあるのは寂しい限りだ。
DON’T LOOK BACK.
フォルクスビューネの今後に注目したい。