一時帰国の際、中高時代の恩師と同級生に奈良で会うのが恒例になっている。
今年は連絡が遅れ、出発まで数日というタイミングで何とか全員の都合が付きお会いできる運びとなった。
奈良へは既に一度足を運んでいた(「奈良での1日」)ので、ランチの後は恩師の自宅の近くにある平城宮跡に行くことになった。
平城宮跡といえば、中学生や高校生の頃はまだ何も建っておらず、ただただ広い敷地が広がっていたのを近鉄線の車窓からよく眺めていたものだった。
当時はまだ遺跡の発掘作業などが行われていたのだと思う。
今では「平城宮跡歴史公園」と名前を変え、公園基本計画をもとに事業が進められている。
平城宮跡歴史公園は、奈良市内に広がる特別史跡平城宮跡を計画地とした国営公園。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つでもあり、平城宮跡の保存・活用を図る目的で、平成20年度に事業化されている。
その中でも西大寺から一番近い、「第一次大極殿院エリア」に足を運んだ。
奈良の学校に6年間通っていても、この敷地内に足を踏み入れるのは初めてのことだった。
手付かずの自然に囲まれた第一次大極殿院。まだ完成していないためか、観光客の姿もここではほとんど見られない。
とにかく広大な敷地と自然に囲まれた静かな場所だ。
高御座(たかみくら)とは、日本の天皇の玉座を指す。この第一次大極殿院は天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていた。
鴟尾(しび)は屋根の一番上(大棟)の両はしにつけられる装飾部分。鴟尾は出土はしていないそうだが、当時、格の高い建物には乗せられていたためこの建物になかったとは考えにくく、平安京大極殿のためにつくられたと想定されている鴟尾をもとに約2メートルであると考えられている。
このように細かなディテールなども含めとても丁寧に復元されている印象を受ける。
第一次太極殿院の側には復元事業情報館も併設されており、復元に関する展示を見ることができる。ボランティアの方々も常駐されており、色々と展示についてお話を伺うことができた。
ここでは様々な行事なども行われているようだ。
ボランティアの案内係のおひとりはベルリンの壁崩壊直後にベルリンに行ったことがあるということで、昔話に花が咲いたりもした。
一期一会とはまさにこういうことを言うのだろう。
朱色についてのお話が中でも興味深かった。これまで「朱色」は鉛や鉄などが使われていたが、鉛が人体に良くないことから使用ができなくなっており、従来の神社仏閣専用塗料の「朱色」より暗い色が用いられている、とのことであった。
春日大社の「朱色」もその内、このような暗めの「朱色」になってしまうのだろうか。
朱雀門エリアの方には飲食が可能なレストランや土産物のコーナーもあるようなので、機会があればまた行ってみたいと思っている。
参照HP: 平城宮跡歴史公園