年に一度の恒例になっている一時帰国。2018年も小学校の秋休みに10日間の休暇許可を各学校の校長からもらい計23日間の滞在となった。
日本の一時帰国についてはまだここでは綴ったことがないのだが、ふと思い立って今年の帰国を振り返ってみることにした。
大学在学中に長期休暇を利用して、英国を中心にアムステルダム、パリ、ベルリンを周ったことがある。そしてその時に一番しっくりきたベルリンに当初は1年の予定で大学卒業後にやってきたのが1995年のことだ。
ところが、海外生活の1年目など未知との遭遇続きであっという間に終わってしまい、紆余曲折の末、気付けばもう20年以上もベルリンに住んでいる。途中、病院の受付兼通訳としてモスクワでインターンをすることになり半年ほど滞在したこともあるが、それ以外は基本的にベルリンで生活をしている。「日常生活」をたまたま送っているのがベルリンだということになるのだろう。
どうしてこんなことを書いたのかというと、今回の大阪滞在中にどこかふわふわとした心もとない感じに始終付き纏われたせいだ。
モスクワ滞在中にも感じたものだったし、変な話、ベルリンに何年住んでもふとした時に立ち上がるこのふわふわとしたもの。過去にモスクワ滞在記的なブログを書いたこともあるが、タイトルに選んだ「境界線」というのも当時の帰属意識の不在のようなものから付けたものだ。ベルリナーでもなく、モスクヴィチでもないお客様でしかない自分の立ち位置から見たモスクワ滞在記として。
今回の大阪滞在が例年の滞在と大きく異なったわけでもないので、このふわふわとした感覚には正直戸惑ってしまった。強いて原因を探すというのであれば、今年で人生の半分以上をドイツで過ごすことになった、というくらいである。
それはそうと、今年は商店街をよくぶらぶらと歩いた。大阪滞在中にこれほど商店街を歩いたのも初めてだ。
長く日本を離れていると、実家の事情も年々変化する。生まれ育った奈良の実家が売られ、大阪にある所謂実家に自分のスペースがなくなる、といった具合に。日本に固定されたスペースがなくなると、自分とは余りゆかりのない土地にアパートを借りることになる。そうすると、半ば旅行者の視線で少しの間お世話になる場所をぶらぶらと探索することになるのだが、そこであのふわふわとした妙な感覚が立ち上るのかもしれない。ある意味新鮮でちょっと余所余所しいような。
子供達も小学校に慣れ、私も大阪での「日常生活」に慣れた頃にまたベルリンに帰る日になってしまった。
「ママ、なんか昨日来たばっかりみたいやなぁ。」
と娘は言ったが、本当にそんな気がしないでもなかった。半年くらい日本で生活がしてみたいなぁ、なんて思いながら。
タイトル写真:@六甲山