出来るだけ毎日継続して(今の課題!)、軽くストレッチをするように心がけているものの、子供達のお迎え時に少し多めに歩くくらいで、どう考えても運動不足。後の着替えやら何やらが面倒に思えたが、息子の水泳教室に付き合って約半年振りに泳いでみることにした。
ベルリンの、そして恐らくドイツのプールというのは距離も長ければ、深さも一番深い所で3mもあったりする。しかも水温が低くかなり冷たい。ミッテのガルテン通りにある公共プール「ジェームス・サイモン」も一往復が100mである。それを休み休み4回、で限界。あーあ。
以前、一度ベルリンの水泳教室事情でも触れたが、ミッテ地区には子供に水泳を習わせたい親の数よりも明らかに水泳教室の数が少ない。
それでも、息子は1年半ほどウェイティング・リストに名を連ねていたお陰で何とかスポーツクラブ協会(Verein)の初心者クラスに入ることができた。
BBBではなく、スポーツクラブの水泳教室なので、会員費として最初に80ユーロ払えば、後は月々10ユーロのみでコースを受講することができる。
この日はあいにく(息子の)スポーツクラブに2レーン取られ、フィットネスコースに2コースの25m分を取られ、残り3レーンのみが開放された中で余り伸び伸びと泳ぐことができず、二回程、誰かの足を蹴ってしまった。
しかも料金が値上がりしており、15時以降の料金として5,5ユーロも取られる。私の場合、息子の水泳教室の合間を縫って正味30分ほどしか泳がないのでかなり割高な料金設定だ。
ところで、このプール、かちっとした機能的な造りだが、天井やガラス窓から外光をふんだんに取り入れる構造になっている。
余り広くはないプールだが、晴れた日に泳ぐと水面に日が差し込んでとても気持ちがいい。写真は夕刻に撮ったのでそこまで明るくはないが、窓と天井のデザインも悪くない。
入り口の横にあった記念プレートにはこう記されていた。
1880年にベルリン初の市民プール建設の礎石が置かれた。ジェームス=ヘンリー・サイモン(実業家、美術品コレクター及び後援者)の献金によるetc.
この人物、どうやらベルリンの新美術館に収集されている王妃ネフェルティティの像を筆頭に、ベルリンの現プロイセン文化財団の美術館島にある数々の芸術コレクションにも大いに貢献しているようだ。
そんな彼が自分の給与の3分の1を社会的貢献に当てており、そのうちの一つがこの施設の建設というわけだ。
19世紀末のベルリンには風呂やシャワーが備え付けの住居が不足していたことから、衛生的な理由で一定の住居区画ごとに屋内プール及び入浴施設の建設が進められていたらしい。日本で言えば、銭湯のような機能を果たしていたのだろう。
建築プラン:カルロ・イェルクマン(Carlo Jelkmann)、構造技術者ルドルフ・グレイエ(Rudolf Gleye)、 インテリアデザイン:ハインリヒ・テセノウ(Heinrich Tessenow)により1929年から1930年に掛けて建設された。
46のシャワーキャビン、80の浴槽、20の医療浴槽、ロシア・ローマ蒸気風呂及びサンテラスが配備されていたそうだ。
そういう意味では別ブログ「90年代のベルリン」でも触れた、シャワーも付いていないアパート暮らしをしている人が近くのプールで軽く泳いでからシャワーも浴びる、という考えは間違っていなかったのかも。