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ベルリン・ミッテの散歩道(2)

今週末も快晴が続くベルリン。
今日もまた例のごとく、家の近所を一駅分だけ風邪気味の長男を連れてゆっくり歩いてみた。いつもの公園も晴れるとずいぶん気持ちが良い。

銅像をしげしげ眺めていた長男。「あ、てんとう虫!」確かに〜。よく見ると額や腕のところに何やらひっついているではないか。冬眠中(?)なんだろうか。
とにかく子供はどこにでもよく登る。木登りをした後は、次の銅像にも登ってみる。「ママ、高いとこから見るときれいやで!」

なるほど、納得。
いつも気になっていたハインリヒ・ハイネの銅像にも登りたがる。ところで、今日のハインリヒ・ハイネ像の手には花火が握られていた。

このハイネ像、結構立派な造りなのだが、どうしてこんなところにあるのだろう、と常々不思議に思っていた代物である。公園内にあるでもなし、トラムの通る細い坂道に面して置かれているというのもどこか少し違和感があった。
少し調べてみたが、どうやらやはり曰く付きの像らしい。
DDR(東ドイツ)時代に文化基金(Kulturfond)がヴァルデマー・グルチメック(Waldemar Grzimek)という彫刻家にハインリッヒ・ハイネの没後100周年記念像の制作を依頼し、目抜き通りウンター・デン・リンデンにあるフンボルト大学とノイエ・ヴァッヘの間にあるカスターニエン並木に設置されることになっていた。
しかし、グルチメックの作品は上層部に認められず、彼が非難を受け修正を加えたものさえ受けいられることはなかった。その結果、この「英雄さに欠けた」「内向的すぎる」「祝祭的表現の弱い」銅像はまず、一般人の立ち入れないベルリンの美術館島の工事現場に設置され、2年後の1958年に目抜き通りから隔たったヴァインベルクス通り公園に移されたというのだ。
これで、なぜこのハインリヒ・ハイネ像がこんなところに設置されているのか、ということにも納得ができる。まさか、たらい回しにされていたとは。。
この話にはまだ続きがあり、1997年にベルリン市の文化担当者が、ハイネの生誕200周年を記念して元来あるべき場所に戻してはどうか、と提案したのだそうだ。これに地元住民が反対したり、様々な議論が交わされた挙げ句、別の像を造るために資金提供者が名乗りを上げた。そして、2002年の生誕205周年記念に、目抜き通りの設置予定場所で2体目の除幕式が行われたのだそうだ。このハイネ像がベルリンに2体もあったことには今の今まで気付かなかった。
まだまだ、散歩は続きます。

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