テレビ番組で絵画や写真の映像を使用する際に、許可申請や版権処理を行うのだが、よく連絡をするプロイセン文化財団管轄のエージェント(bpk-Bildagentur)から、ある展覧会についての知らせが届いた。
ギャラリーの場所を見ると、幼稚園のすぐ側のよく知っている場所だったので、先日子供たちと一緒に覗いてみた。
「ママ、これなんて書いてあんの?」「フランス語で『ここから先はフランス領ではありません、かな?」「これゲズンドブルネンって書いてあんで。あそこの駅やんな。」自分たちの住んでいる街の1959年に撮影された写真。見覚えのある風景を探そうとする子供たち。
ベルリンに壁が建設されたのが1961年なので、当時32歳だったコンラッド・ホフマイスター(Konrad Hoffmeister) がこれらの写真を撮ったのが壁建設の2年前ということになる。
今年2018年はベルリンの壁が存在した期間と壁崩壊後の期間がちょうど同じ28年になる年だ。恐らくこのタイミングで敢えてまだ壁がなかった頃、しかしベルリンが4強の占領下に置かれていた当時のドキュメンタリー写真の展示を行うことにしたのだろう。
ホフマイスターは東独で公式な依頼とは関係なく、独自に東ドイツの現状を見つめ記録した数少ない写真家に数えられる。彼は社会主義国家の建設という目的を否定したわけではなかったが、統一党が個人の思想や異なる見解の芽を摘むことを望んだことに耐えられず、1956年の夏にSED(ドイツ社会主義統一党)から脱退する。
「裏切り者」のレッテルを貼られたホフマイスターは、それまで教授を務めていたヴァイセンゼー芸術大学のポストを失い、二度と別のポストを得ることはなかった。しかし、彼は東ベルリンでフリーランスとして、シアター、映画、そして広告写真家としての地位を確立し、独自の芸術的興味を追い続ける。
ベルリンを撮影した同時代の有名な写真家アルノ・フィッシャーに比べると、ホフマイスターはほとんど知られておらず、彼の死後にプロイセン文化財団の絵画エージェントの出版者で写真キュレーターのマティアス・ベアトラム(Mathias Bertram)によって初めて14,000枚分ものフィルムが確認されることになった。
2014年にはホフマイスターの写真カタログがLehmstedt Verlagから出版されている。詳細な背景情報とともに選ばれた170枚のベルリンの写真が掲載されているそうだ。現在ギャラリーで展示されている作品は新たに日の目を見る20枚の写真で構成されている。
参考HP:
- http://www.galeriefuermodernefotografie.com/
- https://de.wikipedia.org/wiki/Arno_Fischer_(Fotograf)