Schulkrise in Berlin / ベルリンの学校危機

最近、ブログのテーマが重いので明るい話題を、と思ったのだがここあそこに問題が山積みのベルリン。

今回も以前から多々納得の行かないベルリンの学校問題に関する記事を目にしたので簡単ではあるが、少しまとめてみようと思う。

ドイツ全国で見たときに、ベルリンの子供たちの学力はなんと最下位。

その上、ベルリンでは数年前から教師不足や学校不足が問題になっている。具体的には以下のような状況なのだそうだ。

・今後2年間、9500から2万6000人分の席が学校で不足している。
・ベルリンで教師になるための勉強をしている学生たちは、資格を得るとベルリンを去ってしまう。結果として、慢性的な教師不足による度重なる休講や資格を持たない教師が教えることに。
・全国的に見ても最低の学力レベル。
・小学生に上がる子供たちの多くがドイツ語を使えない。
・統合教育、給食、分担授業、、、熱心なビジョンだが準備不足。

確かに、我が家には小学生が2人いるのだが、娘の1年生の時に担任の先生がなんと2ヶ月不在だったことが実際にある。肺炎をこじらせた、というのがその理由だが、その際に担任の代わりに誰かが入るのが当然だと思っていたら「今日も授業なかったで。」と言う娘の報告を聞いて、余りのいい加減さに仰け反った記憶がある。

長女の小学校はそれほど顕著ではなかったが、長男の小学校にはドイツ語力が若干低い子供が何人かいるのだそうだ。

ベルリンにも地域差があるので、地区によってはクラスの大半がドイツ語力がそれほど高くない子供で占められるということも普通にあるような気がする。

過去ブログ「学校でのいじめ問題」でも触れたが、ドイツ人がマイノリティーでいじめられる、といったケースもあるようで驚いてしまう。

とにかく教師不足が原因の休講の多さについては実際に娘の小学校で経験済みだ。学校の数が足りないというのは、新入生が入ってきたため、教室の数が足りずプレハブ教室で対応しているという近所の小学校の事情からも伺える。

このように実際にかなりの弊害が出ている状況なのである。

慢性的な教師や学校不足に加え、問題になっているのが教師の質。3分の2の新任教師が完全な教育を受けた者ではないという。小学校3年生算数とドイツ語の全国平均を何度も下回っており、唯一高いのは卒業資格を得ないで退学する者が11,7%を占めていることくらいである。

このような散々たる状況にベルリンの州保護者代表会(Landeselternausschuss / LEA)はベルリンの教育政治を真っ向から批判している。教育および学術労働組合(Gewerkschaft Erziehung und Wissenschaft / GEW)も「危機会議」の開催を求め具体的な対策についての話し合いの場を持ちたい意向だ。CDU州議会議員長カイ・ヴェーグナー(Kai Wegner)はSPDの教育議員サンドラ・シェーレス(Sandra Scheeres)について「全くの人選ミスだ」と退陣を求めている。

早急な話し合いと具体的な効果ある対策を希望するのみだ。ここまで酷くなるまで放って置かれたというのも納得が行かないのだが。。

参照記事:Süddeutsche Zeitung / Scheeres kommt wegen “Schulkrise” unter Druck
Der Tagesspiegel / Berliner Elternausschuss fordert Krisengipfel
CDU / Gute Schule und Kitas – bessere Boldung für Berlin

Häusliche Gewalt / ドイツのDV問題②

先日、ドイツのDV事情が気になったため、まずは全体像を把握するためにBundesministerium für Familie, Senioren, Frauen und Jugend (BMFSFJ / 連邦家族・高齢者・女性・青少年省)のサイトに記載されていたHäusliche Gewalt(家庭内暴力)というテーマの記述を中心に「ドイツのDV問題」でまとめてみた。

そちらのブログ記事ではドイツ国内の統計情報や同サイトで紹介されていた18ヶ国語で対応しているホットラインについて触れるのみに留まった。ツイートでその点についてClara Kraftさんからご指摘もあったので、今回はドイツ全国に以前から存在するFrauenhaus「女性の家」(日本の「DVシェルター」に近い)についても取り上げることにした。

2001年にドイツ全国のFrauenhausや専門的なアドバイスを提供する団体などを専門的観点や政治的な活動をサポートするためにFrauenhauskoordinierung(FHK)がフランクフルトに設立された。FHKは2010年にベルリンに本拠地を移している。FHKはドイツ全国の共済組合やその施設などをネットワーク化している。

約260のFrauenhausおよび230の専門的アドバイス提供先が暴力の被害を受けた女性、子供たちのサポートシステムを促進し、確実なものにするべく尽力している。FHKの活動は連邦家族・高齢者・女性・青少年省によって助成されている。

Frauenhauskoordinierung (FHK)

FHKのHPには全国のFrauenhausの空き状況を検索できるシステムなど、身を守るために有益な情報がまとめられている。

キャパシティー不足と死の危険性

しかし、Frauenhausをめぐる現状はかなり厳しいようだ。2019年1月25日に放送されたDas ErsteのPanoramaで「保護なし:ドイツはどのように暴力を受けた女性が放置するのか」という特集が組まれていた。

出典:欧州評議会条約

その中で触れられていたのは、現在ドイツ国内には暴力を受けた女性の受け入れ先6800人分が確保されているが、実際に必要だとされているのは2万1400人分のキャパシティーである。結果、1万4600人が必要な保護を受けられない状況となっている、という現状だ。

届出がなく表沙汰にならない家庭内暴力の存在を考えると、実際にはもっと多くのキャパシティーが必要になるはずだ。職員の話では、今すぐに保護が必要な女性を受け入れられないということが、被害者、そしてその子供の死に繋がることを意味するということだった。

連邦刑事庁(BKA)の統計によると、2018年には147人がパートナーあるいはExパートナーによって殺害されている。殺害未遂についてはその数は3倍に上るのだそうだ。約11万4000人の女性がパートナーからの暴力による被害を受けている。先ほども述べたように、届出のない件数を含めればその数はさらに膨れ上がるだろう。

移民背景を持つ女性とFrauenhaus

Frauenhausに逃げ込む女性の多くは、他の選択肢を持たない。自分で別の場所に住居を得たり、ホテル代を出せたり、親戚や友人を頼れる場合にはFrauenhausに来ることはないからだ。

Frauenhausに来る女性の多くはドイツ以外の国籍を持つ。彼女たちの多くは他の選択肢を持たないからだ。ある職員の話では8人中6人がドイツ出身ではないということだった。これは全国的にも顕著で、約68%の女性がこれに当たる。

BKAの統計によると、家庭内暴力の加害者の約68%、約13万9000人は反対にドイツの国籍保持者となっている。

着のみ着のままでFrauenhausに来る女性たちも少なくない。彼女たちは何もない状態からやり直す必要に迫られる。一人当たりの生活に必要な費用を捻出するのも課題となっている。Hartz IVなどの社会保障が受けられない場合には必要な費用の一部を自分でカバーしなければならないからだ。カバーできない場合にはFrauenhausの保護を受けられないケースも出てくる。

結果的に一番弱い立場にある女性たちが放置されることになるのが現状なのだ。

イスタンブール条約

ドイツも批准済みの欧州評議会条約、いわゆる「イスタンブール条約」によって、Frauenhausのベッド数を増やす努力が促進されている。

平均ベッド数17を持つ770のFrauenhaus。この数が達成されれば、どのFrauenhausにも常時ひとつの空きがある計算になるとされているようだ。しかし、この目標を実現するための国からの十分な予算がない。

2019年の9月に女性議員、フランツィスカ・ギフェイがこのテーマに乗り出すことを表明した。次の2年間、350万ユーロの予算を組むというのだ。これが実現すればいくつかの新しいFrauenhausが誕生することになる。

現場の職員はしかし、長期的な持続性のある資金繰りが必要になると訴えている。国からの支援はもちろん、州や地域の前向きな協力が必須だからだ。

どのような形であれ、一番の弱者が生命の危機に晒される現状が少しでも解消されることを願ってやまない。

もちろんDVの被害者は女性だけではない。男性が被害にあった場合に相談できる施設もいくつかあるのでBeratungsstelle für Männer (男性のための相談所)のリンクを貼っておきます。

参照サイト:
– Das Erste / Panorama: Kein Schutz: wie Deutschland verprügelte Frauen im Stich läßt
Frauenhauskoordinierung

Nachwendekinder: Die DDR, unsere Eltern und das große Schweigen / 統一記念日に読んでみたい本

Nachwendekinder=転換期後(壁崩壊後)の子供たち、とでも言えば良いのだろうか。ベルリンの壁崩壊とそれに伴う社会政治的な意味での転換期をWendeあるいはWendezeitと言ったりする。

10月3日はドイツ統一記念日なので、一冊の本をご紹介しようと思う。

Buch “Nachwendekinder”

統一記念日である今日の新聞のタイトルにもNach der Wendeという言い回しがたくさん使われていることだろう。

この本のタイトルでは、ベルリンの壁崩壊後の子供たちを指している。

作者のヨハネス・ニッヒェルマンはかろうじて東ドイツ(DDR)で生まれた。彼は著書「壁崩壊後の子供たち」の中で、自分の生活感やまだ知り合ったことのない国の日陰で大きくなった同年代の生活感を描いている。

彼らにとってDDRとは一体なんのために存在しているのか?彼らの両親の国はどのように彼らに影響を与えているのか?

ヨハネス・ニッヒェルマンは自分のことをオッシー(旧西ドイツ人が旧東ドイツ人を指して呼ぶ言い方。)と呼ぶ。彼は友人たちと同じように壁の崩壊する1989年に東ドイツで生まれた。オッシーというのは少しバカにしたようなニュアンスが含まれる言い方である。

Ernst Thälmannの銅像 / ベルリン

彼らは望もうが望むまいがずっしりと重いテールマンの銅像のような遺産と共に生活をしている。

作者のヨハネスさんは、12歳の時に母親の仕事の都合でバイエルンに引っ越しをした。それ以前に「東ドイツ」というテーマと向き合うことはなかった。12歳だったので当然と言えば当然である。

しかし、バイエルン州の田舎に引っ越しをすると、周囲の人々が東ドイツに関する質問を矢継ぎ早に浴びせてきたのである。「なぜ東ドイツ訛りがないのか」「走ってもいいのかそうでないのか。それとも撃たれたのか。」それまでの生活で聞かれたことのなかったような質問だった。

西ドイツ側へ引っ越ししたかろうじて「東ドイツ人」であった彼は、東ドイツというある意味「外国」だったもうひとつの国に関する周囲の興味を集めたのである。

ヨハネスさんがDDRの歴史と出会ったのは、12歳でLogoという子供番組でレポーターとして壁について話したときだ。

その時はまだ旧東ベルリンのニーダーシューンハウゼンに両親と兄と一緒に住んでいた。今日もその当時も静かで緑の豊かな住宅街である。彼の父は過去について話したがらなかった。それがヨハネスさんをさらに好奇心旺盛にした。

ヨハネスさんは小学校でDDRの歴史について学んだことがなかった。彼は彼の同世代の子供たちと同様、彼のDDRを物や月並みなイメージを元に想像した。両親がオープンに語ってくれたらどれほどよかっただろう。

私事になるが、私の相方は西ベルリン生まれだが、彼の両親は東ドイツ出身である。壁の建設された1961年に東ベルリンから西ベルリンに移り住んだのだそうだ。お姉さんが確か1961年生まれだったと思うので、東ベルリンで生まれたのか西ベルリンで生まれたのか、とにかく非常に大変だったというお話をちらっと聞いたことがある。

彼の両親もやはり東ベルリンや当時の壁建設、壁建設前の移住についてはなかなか話したがらないのだそうだ。余りにも大変な思いをしたので、ぺらぺらと話せるようなことでもないのだろうと思う。

そういう意味でも、とても気になる本だ。

参照記事:rbb Kultur / Buch “Nachwendekinder”

Häusliche Gewalt / ドイツのDV問題

表題のテーマ。今朝のツイッターのTL上に流れてきた投稿を読み、ドイツ国内のDV(家庭内暴力)をめぐる状況が気になったので統計などを参考にまとめておきたいと思う。

DVと聞いた時、まず最初に思い浮かぶのは私の場合は家庭内で主に女性が暴力を受けている、という図である。

実際はどうなのだろうか。

Bundesministerium für Familie, Senioren, Frauen und Jugend (BMFSFJ / 連邦家族・高齢者・女性・青少年省)のサイトに2018年11月21日付でHäusliche Gewalt(家庭内暴力)というタイトルの投稿を見つけた。

以下、一部を引用しておく。

ドイツにおける家庭内暴力

4人に1人の女性が少なくとも1度は身体的あるいは性的な暴力をパートナーによって受けている。その対象となっているのは全ての社会的地位を持つ女性である。家庭内暴力を戦略的に防止するには国、そして民間の機関が相互的に協力することが不可欠だ。

パートナーから暴力を受けているのは、82%以上が女性であり、そのほぼ半分以上が暴力を与えたと見られるパートナーと同じ場所で暮らしている。この数字は警察の犯罪統計Polizeiliche Kriminalstatistik (PKS) を元にしている。2017年には13万8893人がパートナーによる暴力の被害者となっている。その内、11万3965人が女性である。

PKSは以下の女性に対する犯罪を把握している:

・故意、単純な身体的傷害:6万9000件
・脅迫:1万6700件以上
・危険な身体的傷害:約1万1800件
・脅迫・ストーキング・強制:2万9000件ほど
・自由剥奪:1500件
・殺人または撲殺:364件

強姦や性的な強制は、ほぼ100%の被害者が女性となっており、ストーキングや脅迫についてはほぼ90%を占める。故意あるいは単純な身体的傷害、殺人あるいは撲殺については81%が女性の被害者となっている。これらの数字はすべてパートナー間で起こった事例である。

PKSではパートナー間でどのような割合でどのような暴力が振るわれるのかといった全体像を見ることができる。

家庭内暴力のダークサイド

2004年にStudie “Lebenssituation, Sicherheit und Gesundheit von Frauen in Deutschland” 「ドイツにおける女性の生活状況、安全および健康」に関する研究が発表された。

この研究では存在する目の届かない部分を出来るだけ暴くことが目標とされた。それによると、16歳から85歳までの女性の約25%が生涯において少なくとも1度は身体的および(または)性的な家庭内暴力を経験しているという結果であった。類似した内容の結果が2014年3月に発表されたStudie der Europäischen Grundrechteagentur zum Ausmaß von Gewalt gegen Frauen in Europa「欧州内における女性に対する暴力の規模に関する欧州基本法エージェントによる研究」においても見受けられた。

全ての社会層における家庭内暴力

ここで問題になっているのは社会的に問題のある層だけで起こっているわけではない。2009年に発表された Studie “Gewalt gegen Frauen in Paarbeziehungen”「家庭内暴力における女性に対する暴力」では、中流および上流の教育を受けた社会層の女性たちも暴力の犠牲になっていることが証明された。リスク因子としては離婚や離婚への意思表示に加え、幼少や青年期の暴力経験が挙げられている。

連邦モデルプロジェクト”Berliner Interventionsprojekt gegen häusliche Gewalt” (BIG) 「家庭内暴力に対するベルリン介入プロジェクト」および”Kooperations- und Interventionskonzept für Schleswig-Holstein” (KIK Schleswig-Holstein)「シュレーヴィッヒ・ホルシュタイン州のための連携および介入コンセプト」によるポジティブな経験から、多くの連邦州でプロジェクトが設立された。

連邦家族省の要請で様々なインターベンションおよびコーポレーション・プロジェクトが学術的にサポートされた。

介入プロジェクトではこれまでの家庭内暴力を巡る議論からパースペクティブの変更を目的としている。公的介入の明確な指針変更が「暴力をふるうものが出て行け!」というコンセプトによって打ち出された。

2002年の暴力防止法の導入や順次行われた警察法の拡張などにより、加害者を住居から立ち退かせる権限を警察に与えたことがこれに当たる。

犠牲者は住み慣れた住居や場所を失うというリスクを背負う必要がなくなり、加害者は国から暴力が見過ごされるのではなく、罰せられるということを示されることになる。

ホットライン「女性に対する暴力」 Hilfetelefon “Gewalt gegen Frauen” では008000-116 016に電話をすると無料相談が受けられる。被害者の女性だけだなく、家族や友人、社会的繋がりを持つ人々、専門家などによる相談にも応じている。ホットラインは24時間利用可能で、ドイツ語や英語のほか多言語(18ヶ国語)に対応している。

ドイツの統一記念日とはなんら関係のない投稿になってしまったが、少し気になったテーマなのでまとめてみた。

自分の身近なところで困っている人がもしいるのであれば、ホットラインなどで相談してみることをお勧めしたい。

Fussballverein in Berlin / サッカークラブ事情

以前の投稿「サッカーと週末」で少し触れたように、ドイツでのサッカー熱というのは学校の勉強云々以前に厳しい印象を持っていた。

小学校2年に新級する前の夏休みにとうとうサッカーチームから連絡が入る。

「新学期から週2で練習に来れませんか。」

とうとうこの日が来たか。行けないことはないが、曜日によっては調整が必要。水泳教室の曜日をずらしてもらうことができたので、しっかり2日参加できることになった。

週2で16時半から18時までのトレーニング。場所は自宅から自転車で約10分から15分ほど離れたところにある人工芝のサッカーグラウンドだ。

通えない場所ではないが、まだひとりで行くには少し遠い。週2回のトレーニングに加え、週末にはベルリンの様々な地区にあるチームとの遠征も控えている。

実質、週に3度みっちりサッカーをすることになるというわけ。

息子の場合、サッカーでも水泳でもやり始めてからエンジンが掛かるまでかなりの時間が必要だった。サッカーの場合はほぼ2年。水泳の場合は1年半ほどだろうか。

一旦、エンジンが掛かると長く続けられるタイプなのかな。

そんなわけで、8月初旬から本格的にサッカーの練習が始まった。

「やっと本気サッカーできるな。もっと試合したかってん。」

確かに週一土曜日のチームでは半年前ほどから物足りなさそうな印象だった。

大阪でサッカークラブを探してみたことがあるが、練習場が遠いところにしかなくびっくりした。そういえば小学校の運動場や近所の公園でもサッカーを禁止しているところが多かったように思う。

スケジュール的にはこんな感じである。

月:16時半〜18時 サッカー
火:16時から17時 水泳
水:15時半から18時半 日本語補習校
木:16時半〜18時 サッカー
金:—–
土:午前中 サッカー(ホームあるいはアウェイゲーム)
日:—–

低学年のうちはまだなんとかなりそうだが、ドイツ語や算数はいつやるの。。

少なくとも補習校の宿題をする時間を取るため、サッカーの練習が始まる前の30分を確保する必要がある。そのために小学校へ迎えに行く時間が1時間ほど早くなる算段だ。

全て1時間ほどの前倒しになるので、サッカーのトレーニング中は近くのカフェで作業をしてその分を取り戻す。仕事が忙しい時はそれでもなかなか大変である。

サッカーの練習が増えた分、夕飯の仕込みや学校の迎えが早まり、さらに時間の確保が難しくなってしまった。ここは集中して作業を進めるより他、なさそうである。それも限度あるよなぁ、というところか。

先日の「日本語補習校」でも書いたが、長女の補習校の宿題をゆっくり見る時間がほとんどないので、完璧を目指すのではなく、8割を目処にできる範囲でやるしかない。

今のところは楽しそうにサッカーに行っているので、付き合えるだけ付き合ってみるか、という心境かな。週末の試合の方は相方に任せている。サッカー好きで本当に良かった。親も好きでないとなかなかハードルが高い。

アウェイの試合がこれまた車で30分、40分離れた場所、集合時間が8時15分など早朝開始というのが割と多いので、土曜日も早起きだ。これは正直かなり辛い。

これから冬に向けてどれほど試合があるのか定かではないが、お手柔らかに願いたいところ。寒くなってくるのでトレーニングウェアやら雨天用の上着など、揃えなければならない物も多くなる。

ドイツのサッカー熱は思った通り熱かった。オーガナイズは相変わらずあってないようなものですけどね。それについてはまた次回。

Vabali Berlin / ベルリンのスパ

長女の10歳の誕生日が明日だということは、結婚してから10年が過ぎたということだ。

結婚という形にそれほどこだわりがなかったので、出産間近に「空いていれば」式を挙げようか、と戸籍役場に足を運んだら係の人が親切で「予定日間近だけれど、ひとつ空きがありますよ。」と言ってくれた。

そんなわけで、戸籍役場で式を挙げたのが長女の出産4日前だった。

披露宴パーティーのようなものも出産間近だったのと、ふたり揃って「パーティーがしたい!」というタイプでもなかったことから結局、それ以降も何も企画しなかったのである。

とまあ、こんな風なのだが、相方が珍しくやる気(?)を出して結婚記念日10周年だから、とベルリンのスパに行くことを提案してくれた。

タイミング的にもロケ2本、取材1本を終えた後でフラフラだったし、リラックスできるのであれば助かる!ということで喜んでその提案に乗ることにした。

実は以前にも一度予約をしておいてくれたことがあったのだが、その時は長男が体調を崩し予約をキャンセルすることになってしまった。

相方の仕事の帰りも毎日遅く、私も出張が中心の仕事柄、なかなか二人でゆっくりと何かをする、という機会が持てない。

そもそも一人で行動するのが全く苦痛ではないタイプなので、暇さえあれば一人で行きたい映画やコンサートを見つければさっさと出かけてしまうのが私の性分。

相方としてはたまには一緒に何かをしたいのだろう。ドイツはどちらかというと、夫婦水入らずの時間を大切にする文化だと思うからだ。

それはそうと、今回はリベンジの形でベルリン中央駅の裏側にあるVabaliというスパに行ってきた。

相方は一度、以前の同僚から誕生日プレゼントとしてスパのデイカードを利用したことがあったのでその良さは既に知っている。

Vabaliは名前の通りバリ所縁の内装だが、その辺にあるようなキッチなものではなく、建築資材も現地から取り寄せられており落ち着いた気持ちの良い空間設計になっている。

外から見た感じではその広さが全く想像できないが、敷地面積も2万平方メートルとかなり広く、2階のテラスから周囲を眺めるとアジアテイストの屋根が木々に囲まれており、そこがベルリンだというのが信じられないような景色が広がる。

噂に聞いた通り、ロッカールームも男女共用で、温水プールやサウナ(バスタオルの使用可)も一糸まとわぬ姿での利用になるが、別に慣れてしまえば何ということはない。ドイツの裸文化とはそういうものなのだ。

ただし、館内を歩いている人たちはバスローブを着用しているので、FKK(ヌーディズム)のビーチなどに比べ「裸でなければならない」的な圧迫感があるわけではない。確か、このスパができたばかりの頃は館内全てがFKKだという話だったので、途中で規定が変わったのかもしれない。

Ruheräume

リクライニングチェアもここそこに設置されているし、午前中は比較的空いているので気兼ねなくゆったりと過ごせる。

「何これ、最高では!?」

今回は長男のお迎えの時間があっという間に来てしまったため、サウナを利用する時間は取れなかったのだが、また近々行って色々と試してみようと思っている。

クロイツベルクにあるハマムにも前々から行きたいと思いつつ足を運べていないので、また機会があればチャレンジしてみたい。

これからどんどん寒く暗い冬に突入するベルリン。

たまには日頃の疲れを取るために、ゆったりとした贅沢な時間を自分に与えてあげることも大切だ、と思った次第。

Day Spa Suite

ベルリンのVabaliオススメです。アロマオイルマッサージも受けてみたが、こちらも予想以上に本格的で良かった。是非お試しあれ。

館内で写真撮影が不可だったので、イメージ画像は全てVabaliのHPから借用しています。

Japanische Ergänzungsschule / 日本語補習校

ベルリンで子供たちが小さな頃からお世話になっている日本語補習校。

先日、小学校4年生を担任するベテランの先生による懇談会が行われた。

日本で教員歴が30年ほどという先生。気さくで本当に素敵なお人柄。長女も大好きな先生である。

1時間弱という短い時間で「なるほど!」という気付きの多いお話が聞けたので備忘録としてまとめてみようと思う。

4年生は週に1度、15時半から18時半頃まで途中に休憩を入れて国語の授業が行われている。現在は11月に行われる劇の発表会に向けて1時間目に「劇学習」の時間が設けられている。

劇が終われば、漢字検定試験の対策授業として「漢検」の授業、漢検を受けない子供たちのために「文字学習」の授業などが行われる。

ベルリンの現地校によっては1時間目の授業に間に合わない生徒もいるため、1時間目は教科書を使わない授業が設定されているようだ。

さて、4年生の授業だが、以下のような流れで行われている。

10分 漢字テスト(読みおよび書き)→漢字に強い子はそのままテストを行うが、漢字が苦手な子供については見本を見ながらこの時間内に集中して視写を行い漢字学習をさせる。

漢字や視写については、この子にしてはきれいに書けている、もっとキレイに書けるはず、というように個人内評価で丸を付けている。「見ているよ。」というアピール。

50分〜60分 教科書を使用した読解など

30分 作文指導

10分 新出漢字 →時間が限られているのでポイントになる漢字を集中して学習する。

日本語の学習は「読む、書く、聞く、話す、コミュニケーション」力を養うことを目指している。

4年生の日本語学習で問題になるのは、音読み熟語が増えることだという。

「聞いてね。」というと聞けるが、「質問してね。」と言うとわからない子が出てくる。「プリントを先生に渡してね。」だとわかるが、「提出してね。」となると理解できない。

理解できない言葉が増えるに従い、モチベーションが下がってくるのだ。

花が一本なのか一輪なのか。周辺、周り、辺りなど類似するが微妙なニュアンスの違いを理解できているか。

4年生、5年生の山場はさらに政治や経済などの概念が出てくること。これらの概念はドイツ語でもはっきりとは分かっていないし、それを漢字で理解するとなるとさらにハードルが上がることになる。

これは娘の音読の様子を見ていて既に感じていたことでもあるが、物語だと比較的すらすら読めているのに、説明文になった途端、読めない漢字が続出し、すらすらと読めなくなる。

これは、物語は訓読みの世界で説明文はどちらかというと音読みの世界だということに起因している。文中に使用されている熟語の差であり、語彙不足から来る理解不足ということに繋がるのだろう。

語彙を補うにはどうすればよいのだろう。

・宿題に入っている「多読教材」を行うこと。とにかく漫画でも本でもいいのでどんどん読ませること。
・単文作り。文にする力をつけること。ひとりでスラスラ書ける子もいれば、こちらが作ってあげて読み上げたことを写す(聴写)子もいる。その子にあったレベルで指導に当たる。主語と述語をきちんと書かせることが大切。
・音読というのは最重要課題。きちんと聞こうとすると親も疲れてしまうので、気持ち半分くらいで聞くのが良い。

語彙感覚を養うこともとても重要だ。

自分の前へ 
    に
    を

たった一文字だけでニュアンスが大きく変わる。

あの有名な先生、といったときの「あの」に含まれる意味は??

日本語ネイティブの自分にとっては普通の言い回しひとつとっても、奥が深いことに気付かされる。

我が家の子供たちはドイツ語と日本語で育っているが、日本語に関してはドイツに住みながら家庭での母親とのやり取りや補習校の授業でのみ使用される言語ということになる。

日本で日本語を自然と身に付けた自分では気付けない難しさがドイツで育つ子供たちにはあって当然だということを忘れてはならない。

日本語学習の楽しさや言葉の持つ深みなどを子供たちの日本語学習をサポートすることで改めて感じられることに感謝したい。

仕事との兼ね合いで補習校の宿題がかなり適当になってしまうこともあるが、やはり日本語補習校の存在はとても大きな助けになっている。

これから子供たちが成長していく上で、メンタル面での変化やバイリンガルならではの悩みなども出てくるだろう。そんな時に同じような境遇に置かれている友達に学校に行けば会える、ということも日本語学習をする上で励みになるはずだからだ。

まだまだ先は長いが、できるだけのことはしてあげたいな、と常に思ってはいる。ただ、志はあっても、なかなかそれを実行に移すのは難しいというのが正直なところではありますが。。


Ämter in Berlin / 使えないお役所

先日の労働エージェント(前労働局)やジョブセンターについての投稿「ジョブセンターの悲劇」に続き、またお役所のダメっぷりを押し出すような形の投稿になってしまうが、今、非常に困っているのでその件について少し書いてみよう。

そういえば、巷ではまた来年度の新一年生のための入学申し込みの時期だ。

校区が長女の時と長男の時とで運悪く変わったため、姉と弟はなぜか違う小学校に通うことになってしまった。こちらについても「小学校入学までの道のり」で詳細を書いているので気になる方は目を通してみて欲しい。

別々の小学校で何が困るかと言えば、行事が重なったり2度学校に出向く必要があったりと面倒なことだ。

姉と弟のふたりで初めは通学できたところなのに、それも叶わず。

こういったことを避けるため、「兄弟優先枠」というもの建前上は存在する。長女の学校に席を確保すべく校長や秘書に交渉したり、市の担当者に掛け合ってみたりもしたが、こちらの希望は認められず別々の学校に通うことになった。

最後に学校局(Schulamt)から受け取った手紙にははっきりとこう書かれていた。

Widerspruch(「反対の意」)は受理しました。審査の結果をお知らせしますのでお待ちください。

待てど暮らせど書面での知らせは来なかったのだから、本当にずさんな対応である。

来ない知らせの内容によって、同じ学校に通えるのか通えないのかがはっきりするわけなので非常に迷惑な話だ。

結局、長男が現在通っている小学校の事務担当者に状況を伝え、返事が来るまで正式な入学手続きを待ってもらえることになった。

しかし、全く進展がないので「入学できることはもうないだろう。」との判断で今の小学校の入学手続きを進めたわけである。

義務教育の小学校の入学申請でさえこの有様。

今回、困っているのは急遽決まった日本行きの直前に提出したホート(学童保育)のための手続きが一向に進まないという点だ。

ホートに行けないとなると、娘の帰りは早ければ13時半を少し回ったくらいの時間になってしまう。

仕事がないときはそれでも何とかなるが、ロケや取材が入ってしまうと娘は完全に鍵っ子状態になる。それは出来るだけ避けたいところだ。

6月中旬に提出した申し込み書に対して、返答が来たのが7月下旬頃。そこには「追加で必要な書類があるので8月下旬までに送付してください。」とあった。

そこで、8月上旬に追加で書類を送ったのだが「メールを受け取りました。」という自動メールが返ってきただけで、今まで全くの音沙汰なし。

2019年は夏季休暇が6月中旬から8月頭だったので、新学期開始に全く間に合っていないのである。

そこから1ヶ月半が経ち、まず小学校のホート担当が「ホートの許可書が届いていないがどうなっているのか。」といった旨の連絡をよこした。

許可書がないとホートで子供を預かってもらえないのだから、これはわかる。

こちらの事情を説明すると、小学校の方から直接担当者にメールで確認メールを入れてくれたようだ。小学校の担当者からのやりとりに関する転送メールにはこう記されていた。

「保護者から足りない書類が届かないので、手続きできません。」

いやいやいや。8月上旬に送ったメールは一体どこに行ったのか。

9月は私も仕事の関係で出たり入ったりが続き、ホート案件に時間を取られている場合ではなかった。

そんなわけで、ほぼ放置してしまっていたのだが、ベルリンのお役所の手続き関係で2週間以上の音沙汰がない場合は担当者に電話なりメールなりで状況を確認した方が良い。

追記:担当者を電話で捕まえて状況を確認したところ、こちらの予想通り「メールは受け取っていない。」との返答。メールを8月上旬に送信済みで、メール受理の自動返信が来たことを伝えると、今度はこちらが送った内容が明確ではないので云々などと責任転嫁を図る担当者。

さすがにこれだけ無駄に待たされた挙句、それはないだろうということで猛烈に反論したところ「今日中に処理します。」と担当者。

こちらから電話で確認をしていなければ、この件はそのまま闇に葬られていたことだろう。

Jobcenter / ジョブセンターの悲劇

労働局やジョブセンターについては実はずいぶん前から書こう、書こうと思いつつ書いていなかったネタだ。

あくまでも個人的な私の経験を以下、記しておこうと思う。

2002年からほぼ10年間勤務した職場を第二児妊娠を理由に解雇(あくまでも表向きは希望退職という形)されて辞めることになった。

さて、どうしたものか。当時は希望退職という形で労働局(Arbeitsamt:現Bundesagenture für Arbeit)に失業保険を申請する場合は手当を3ヶ月カットされてしまうからだ。

ここは正直に解雇になった理由と経緯を書面で先方にきちんと伝えることにした。

こちらの説明が正当な理由として認められ、結局失業保険3ヶ月分をカットされることは免れたのを記憶している。

長女がまだ4歳、長男が2歳になったばかりで育児に振り回される日々の最中、非常に煩雑な手続きだったことを覚えている。

とにかく、週に20時間のオフィス勤務から全く別の生活リズムに慣れることが先決だったのだが、手のかかる小さな子供達の育児で全くもって手一杯だった。

正直なところ、二人目の妊娠によってこれまでの職場を解雇される、というのが自分の中でなかなか気持ちの上で割り切れなかった。

今になって振り返ってみると、10年(も)勤務したタイミングで退職できて本当に良かった。恐らく会社というものはそういうものなんだと思う。

しかし、その当時は妊娠したために解雇になった、という流れに「結局、実際に妊娠や出産をしなければならない女性の方がこれまでの職場を放棄し生活の変化を余儀なくされてしまうのか。」という思いが先に立ってしまった。

そして、労働局というかジョブセンターの対応には心底がっかりした。なぜか。

失業保険が給付される必要条件として、労働局管轄のジョブセンターに定期的に出向して現状報告をするという義務が課されていた。

とにかく再就職の意思を見せておかないと色々とまずいことになるような感じなのである。

細かなやりとりまでは残念ながら余り記憶していないのだが、「再教育プログラム」なるものを受講すればその間は失業保険が延長して給付されるということらしく、どういった内容のコースがあるのかについて相談を受けたことがあった。

一言でいうと、担当者の言っていることがトンチンカンで全く役に立たなかったのである。

仕方がないので、自分で色々と調べた挙句、家から自転車で通える距離にあるコースを半年だけ受けてみることにした。

英独ビジネス翻訳講座、正式名称は忘れてしまったが、とにかくビジネス英語とドイツ語を一度に習えていいだろう、という安易な考えで選んだコースである。

朝の8時から午後13時までの週5回を半年間。これだけ聞くと、なかなか良さそうではあるが、実際に通ってみてすぐにこう思った。

「時間のロスでしかない。」

やる気のないコース受講者にやる気のない講師。これに尽きた。免除される受講料は数千ユーロ。全くもって税金の無駄遣いである。

ただ、全てのコースがだめなはずはないので、運が悪かったのだろう。ただし、ジョブセンター絡みの再教育コースに関する良い噂は余り聞かないのも事実である。

極端な話、この時間にブログをきちんと書いたり、独学でプログラミングでもやった方がよっぽど何かの足しになったに違いない。当時は残念ながらそういう考えには至らなかったのだから仕方がない。

それでも、結果として失業保険が半年延びたのだから良しとせねばなるまい。

とにかく子供達が最強に手が掛かる時期だったので、ゆっくりと考える気力や体力もなかったのだろう。想像力も欠如していたようで、キタへのお迎え時間までに終わるコースで自分にも何らかの見返りがある内容のものとして絞り込んだ結果だった。

もし、就職して失業するようなことがあれば、失業保険はしっかりと申請し、1年なり1年半なり次に繋がる何かを自分なりに見つける時間を確保するのがいいのではないかと思う。

気の利いたアドバイスはできないが、ジョブセンターの言うことは鵜呑みにしない方がいい、ということだけははっきりと言っておこう。基本的には自分でリサーチした上で経験者の意見を取り入れつつ判断を下すのがベストかと思う。

結局、1年半ほどの失業保険の後はフリーランスとして、メディア全般のコーディネートを中心に仕事を始め、今に至っている。

子供達も大きくなってきたので、そろそろ並行して、他のプロジェクトにも着手したいと考えているところだ。