FREEDOM MUST WIN〜「カフェ・キーウ」というウクライナ平和イベント
先日、3月11日にベルリンの北東部にある映画館Colosseumで、「カフェ・キーウ」というウクライナの平和イベントが開催された。このイベントは、コンラート・アデナウアー財団によって、ロシアのウクライナ侵攻後から毎年開かれている。
2年前の同イベントは、伝統的な場所であるカフェ・モスクワを4日間だけ「カフェ・キーウ」という名前に変更して行われたが、昨年の2024年からはColosseumが新たな会場として利用されることになった。カフェ・モスクワほど広い印象はなかっただけに、今年のイベントの様子が気になっていた。今年は特に反響が大きく、事前登録数は約4,000人に上ったという。
当日は開会式に合わせて、開場時間の9時前を目指して会場へ向かった。まだ午前9時前という早い時間だったが、遠目にもわかるほどの長蛇の列が会場付近にできていた。1年目とは異なり、3年目ともなるとベルリンに移り住んだウクライナ人が増えているということなのだろうか。
行列の最後尾に並ぶと、ウクライナ語、英語、ドイツ語などが飛び交う会話が耳に入ってきた。やはり、ウクライナ人が多いようだ。20分ほどしてようやく入り口にたどり着くと、荷物検査があり、ボトルに入った飲み物を飲むよう指示された。セキュリティ対策も強化されているようだ。
ようやく中に入ると、今度は登録リストの確認カウンターへと案内された。どうやらセキュリティチェックと登録確認に時間がかかっており、そのため行列の進みが遅かったようだ。
オープニングセレモニーは9時ではなく10時からだったので、ホッと胸を撫で下ろした。2年前の挨拶と内容がどのように異なるのかを聞きたかったからだ。前回は到着がギリギリだったため席を確保できなかったが、今回は早めに会場へ向かい、無事に座ることができた。登壇者は2年前と同じ顔ぶれで、コンラート・アデナウアー財団のノバート・ラマート(Nobert Lammert)理事長、オレクシー・マケーイェウ(Oleksii Makeiev)在独ウクライナ大使、そしてVitscheという文化を通してウクライナの自由と発展のために活動するNGO団体のエヴァ・ヤクボフスカ(Eva Yakubovska)の3名である。
印象に残ったスピーチを次に挙げておこう。
「今日、3月11日はゴルバチョフ氏がソビエト連邦の書記長に選ばれた日です。当時、私たちはペレストロイカやグラスノスチといった民主的な流れに大いに期待しました。」
「コンラート・アデナウアーは『欧州は自立しなければならない時が来るだろう』と述べました。今こそ、その時なのです。」
「今年は反響が大きく、事前登録者数は4000人にのぼりました。また、200人以上のパネリストが1日で登壇します。このイベントは、私たちが平和と民主主義を求めるデモンストレーションなのです。」
特に印象的だったのは、ラマート理事長がスピーチの中で「トランプ氏」といった直接的な表現を避けていたことだ。
また、彼の挨拶の中で引用されたのは、1950年にミュンヘンで開かれたキリスト教社会同盟(CSU)のイベントで、コンラート・アデナウアーが述べた言葉だった。この演説は、様々な場面でよく引き合いに出されているようだ。
„Wovon lebt Europa? Es lebt von der Gnade der Vereinigten Staaten. Auch das wird nicht immer so bleiben. Es wird eines Tages der Augenblick kommen und kommen müssen, in dem dieses Europa wieder sich selbst helfen kann und auf eigenen Füßen stehen muss.“
「ヨーロッパは何によって生きているのか?それはアメリカ合衆国の恩恵によって生きている。しかし、それも永遠に続くわけではない。いつか必ず、その時が来なければならない。ヨーロッパが再び自らを助け、自立しなければならない時が。」

マケーイェウ在独ウクライナ大使の方は完全に名指しで、冗談を交えながらのスピーチとなっていた。
「マクロン氏は最近のスピーチで、ようやく『ウクライナがロシアと和平合意に至れば、欧州部隊を現地に派遣するかもしれない』と述べました。しかし、それを言うのに3年もかかったのです。」
「ドイツの皆さんにお願いしたいのは、議論ばかりするのではなく、行動に移すことです。今、求められているのはスピードなのです。」
「カフェ・モスクワで最初のイベントが行われたときから言い続けていますが、そろそろ正式に『カフェ・キーウ』に名称を変更するべきです。現政権下では、これまでよりも実現しやすくなっているはずです。」
最後に、Vitscheのキュレイターであるヤクボフスカ氏がスピーチを行った。彼女はほぼ全ての発言をウクライナ語で行ったため、会場内には少しどよめきが広がった。参加者の多くはドイツ語か英語を想定していたため、同時通訳用のヘッドセットを持っていなかったのだ。
「皆さんが今日ここ『カフェ・キーウ』に参加してくださっていることに感謝します。そして、ここでウクライナ語を話すことが重要だと私は考えています。」
彼女は戦時下のウクライナの状況を詩的な表現を交えながら語り、最後に 「ウクライナに栄光あれ!」(Слава Україні!)という言葉で締めくくった。このフレーズはウクライナ独立戦争(1917〜1921年)の時期に確立され、今日に至るまでウクライナ人に広く認知されている。完全な成句としては、「ウクライナに栄光あれ!英雄たちに栄光あれ!」 (Слава Україні! Героям слава!)という形が正式なもののようだ。
2年前との大きな違いは、
・戦争の長期化に対する危機感の表明
・欧州のさらなる協力を求める呼びかけ
・アメリカに対する「欧州としての」立ち位置の確認
といった点にあるのではないだろうか。
正式なオープニングセレモニーに先立ち、すでに午前9時からすでにいくつかの講演が始まっていた。登壇者の数が多いため、そうでもしないと時間が足りなかったのだろう。2024年から会場が映画館に変更されたのも納得がいく。
パネルディスカッションだけでなく、ウクライナ産の衣服や書籍、アート作品などの展示ブースも数多く見られた。3年前と同じく文化的な発信の場としての役割も果たしていた。また、今年はスイーツのブースが増えていたのも印象的だった。





お昼すぎまでの滞在だったため、パネルディスカッションにはドキュメンタリー映画に関するものにしか参加できなかった。ウクライナの現状を記録した映像であり、ベルリン映画祭で上映されていたオデッサの映像とは比べものにならないほど生々しいものだった。こちらは、どちらかといえば、ロシアの戦争犯罪を証明するための「戦争アーカイブ」という意味合いが強いようだ。
前線で戦った兵士もディスカッションに招待されており、すでに亡くなってしまった兵士の名前が書かれたプレートが、映画館の最後尾のシートにずらりと並べられていた。
「AIの発展など、世界は一見、良い方向に進んでいるように思えます。しかしその一方で、ウクライナとロシアの間では、3年前から戦争が続いている。これは決してこの2国に限ったことではありません。
ベルリンという街は、本当に素晴らしい場所だと感銘を受けました。しかし、ここからたった数百キロ離れた土地では、先ほどの映像のような惨事が繰り広げられています。信じがたいことですが、これが現実なのです。」
医療班として前線にいた兵士の言葉は重いく、一刻も早くすべてが終わってほしいと心の底から願った1日だった。
ウクライナ関連の出店情報など
当日出店していたお店のサイトをいくつか紹介しておきます:
・巻きスカートのブランド(上の写真にあるもの):
Selera
・ユニセックスのジュエリーブランド:
Tobi Mozhna
・ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区のシュークリーム屋専門店:
Paskal Choux
・日本のカステラにインスピレーションを受けた「Kasteira」:
Kasuteira
ウクライナで6年間営業し、現在はベルリンのいくつかのカフェで販売されているようです。
個人では大きなことはできないかもしれないが、たとえばベルリンでお茶をするときに、ウクライナ系のカフェやスイーツを選ぶことならできるかもしれません。
ベルリン映画祭で上映されていたことに気づけず、見逃してしまった作品はこちら:
THE BLUE SWEATER WITH A YELLOW HOLE