Das Haus der deutschen Sports / ドイツスポーツの家

これまでにサッカーや欧州陸上選手権など、スポーツイベントでベルリンのオリンピックスタジアム内や外回りで撮影やアテンドの仕事をしたことは何度かある。

スポーツ以外にも、ベルリンのオリンピックスタジアムと聞いて、ヒトラーのゲルマニア構想を思い浮かべる人が中にはいるかもしれない。

「世界首都ゲルマニア計画」といえば、先日のベルリンロケハンでも、戦勝記念塔に登ったばかりだ。

この金色に光る天使の像で知られている戦勝記念塔。ヴィム・ヴェンダース監督作品「ベルリン天使の詩」のオープニングにも出てくるのでご存知の方も多いだろう。

この像がヒトラーの「世界首都ゲルマニア計画」の一環として、建築責任者であったアルバート・シュペーアにより現在の位置に移されたのは1938/9年のことだ。

現在の場所に移される前は帝国議会前の広場に設置されていた。

帝国議会前の戦勝記念塔1900年

移される際に直径も高さもそれぞれ大幅に足され、現在の姿になっている。また移設に伴い、ビスマルク、モルトケ、ローンといった第二帝国の顔が集うフォーラムとしてそれぞれ銅像がロータリーを囲むように設置された。

第二帝国というのはビスマルクのドイツ統一によって成立した帝国(Deutsches Reich)を指す。

この辺りで歴史の詳細は専門家に譲ることにするが、とにかくいつも目にしている塔をひとつとっても、様々な切り口があるのだからまとめるのも一苦労だ。

こちらの写真は戦勝記念塔の上から東方向に当たるが、奥に見えるブランデンブルク門を中心にして東側にウンター・デン・リンデン通りが約1,4キロ、西側に6月17日通りが通っている。

ゲルマニア構想の南北軸とは、ブランデンブルク門の西側で交差する東西軸として考えられていたものだ。

さて、そろそろ話をオリンピックスタジアムに戻そう。1936年にベルリンでオリンピックが開かれ、そのメインスタジアムはヴェルナー・マルヒに設計が任されていた。

当初マルヒは壁面がガラス張りになったモダンな設計を考えていたらしいが、それを見てヒトラーが怒り出したのである。バウハウスを廃校に追い込んだのもヒトラーだ。

結局、シュペーアが設計図を書き換えて事なきを得たそうだが、メインスタジアムはさておき、それに隣接するスポーツ・フォーラムの設計を担当したのもマルヒである。

Das Haus der deutschen Sport(水色の枠内)

中でもHaus des Deutschen Sports「ドイツスポーツの家」はスポーツ・フォーラムの主要建築に当たる。マルヒは古代ギリシアのプリタネイオン(評議会)とこの建物を重ねている。

今回は駆け足での紹介となってしまったが、この建物にはドイツスポーツ博物館も入っているので、建物内部の様子も改めてレポートしたいと思っている。