Berlin 1995 / 90年代のベルリン③

前回の続き。
偶然、道端でバッタリ出会ったイヴォンヌのWG(Wohngemeinschaft)アパートの一室に住めることになったが、他のルームメートはこんな感じだった。

  • キース:確かNY出身のアメリカ人で、ドラムプレイヤー。ソニックユースの欧州ツアーではステージスタッフなんかもしていたようだ。
  • ハイケ:ベルリン自由大学の生物学科専攻の学生。テスト前になると勉強ができる静かな環境を求めて、知人のアパートとWGルームを交換していた。テスト前は常に避難を余儀なくされていた気の毒な学生。

学生ハイケの存在は随分と助けになったものだが、右も左も分からないナイーブな私をちょっと小馬鹿にしたようなところもあったような気がする。

それも今から思えば致し方ないことだが、日本でも一人暮らしの経験がなく、突然ハードコアな環境に知らずに自らを投入してしまったことで毎日映画を見ているような感覚に襲われていたことは否めない(決して誇張ではなく)。

イヴォンヌは音楽活動をしながら、オラーニエン通りのこれまたハードな居酒屋Franken Barで週に何度か働いていて、仕事帰りの日はほぼ機嫌が悪かった。それも最悪レベルで。そして、何時だろうがお構いなく大音量でハードな曲を聴いたりもしていた。

はっきりと物を言うハイケとイヴォンヌはよくぶつかっていた。ただ、そんなハイケをイヴォンヌもどこかで認めていたように思う。

1995年から1996年にかけてはちょうど、彼女のバンドJingo de Lunchも解散の危機を向かえていたらしく、バンドメンバーとの衝突も激しかった時期だ。朝っぱらからF〇〇K!の連続だったし、いつ怒鳴られるかと共同のオープンキッチンでコーヒーもオチオチ飲めなかったのである。

そんな気性の激しい女性だったが、カリスマ性は抜群だったし、なぜかピチカートファイブや映画「たんぽぽ」のファンでもあった。

「もっと自分のルーツを大事にしなきゃだめだよ。」という彼女の言葉が今でもとても印象に残っているし、「あのおぼっちゃんタイプより、あっちのモスクヴィッチ(モスクワっ子)の方がソウルがあると思う。いいんじゃない?」と相談してもいないのに、助言をくれたこともある。

10年ほど、匿名性を求め静かに暮らすためにベルリン、そしてドイツを離れていた彼女だが、どうやらまたベルリンに戻ってきているらしい。そのうち覚悟を決めて連絡してみようかと思っている。Franken Barに行けば間違いなく会えるのだろうけれど。

タイトル写真:映画「たんぽぽ」のワンシーンより