Große Welle / 大きな波

今日は特にこれといったテーマがないので、自分の人生の中で何度か起こった「波」について少し書いてみたい。

大阪で生まれ、幼稚園に通っていたが卒園間近に奈良へ引っ越すことになった。賃貸マンションから一軒家へ。よくある話だ。幼稚園で朝礼台に上がって、全園児の前でお別れの挨拶をしたのを今でもよく覚えている。

そのまま、奈良の住宅地へ引っ越しをしたのだが、両親はそこで無理に幼稚園には行かさず、数ヶ月の間、毎日好きなように過ごすことができた。家の前がちょうど児童公園だったし、近くに畑も田んぼもあるようなところだ。

6歳になり、小学校へ入学。まだ開発されたばかりの住宅地だったのだろう。近所にはまだ小学校ができておらず、電車でひとつ向こうの駅にある歩いて30分くらい離れたところに1年生の間だけ通った。

いくつも団地の並ぶ坂を下り、もっと急な坂を下りると田んぼが左右に広がる。左手にもっと大きな田んぼが広がる車道を先へ行くと、大きめのスーパーが見えてくる。駅はもうすぐだ。駅の高架下を渡り、何百メートルか先にやっと小学校が見えてくる。

今から思うとかなり辺鄙な場所を30分もひとりで歩いてよく通っていたと思う。まだたった6歳だったというのに。そういう時代だ。後に、この田んぼ沿いの道で通学中の小学生が犠牲になる事件が起こっている。

2年生からはできたばかりの丘の上に立つ小学校に通うことになった。歩いて15分くらいだっただろうか。丘の上にあったので、階段を何段も上がる必要があった。

そんな奈良の家には引っ越しをしてから大学を卒業するまで、ずっと住んでいた。その家には15年くらい住んでいたことになる。

教育熱心な家庭の多い、どちらかといえば退屈な住宅地。近所には石垣に囲まれた家に住んでいるピアノの先生やコリーを何匹も飼っていた家もあった。隣の引っ越してきた住人は秋になると大きな木の落ち葉が散るといって、よく苦情を言ってきたものだ。

そんな家からなぜ、大学を卒業して全く縁も所縁もないベルリンに突然行こうと思ったのか今でもよくわからない。

魔が差した、としか説明のしようがなかった。「ベルリンに行かないと。」と半ば確信に満ちた予感がしたのである。

それがちょうど95年の4月だった。サリン事件や阪神大震災が立て続けに起こった年である。

日本で奈良の実家から大阪の大学に電車通学していたのだが、朝の満員電車も退屈な大学の講義も本当に嫌で嫌で仕方がなかった。大学で良かったのは図書館の本を好きなだけ読めたことだろうか。

当時はバブル時代真っ盛り。ボディコンやマハラジャのノリも全くピンと来なかった。大学生がブランドのバッグを持って通学するような時代だった。合うはずがない。Y’sが好きだったので、どちらかというと常に全身真っ黒。

そんな折、大学3回生の時に(専攻が英米文学だった)、アメリカには行っていたが、イギリスにはまだ足を運んでいなかったのでヨーロッパも見ておきたいなと思った。

イギリス各都市→アムステルダム→ベルリン→パリ→ベルリン→パリ

ロンドン着、パリ発のチケット。なぜかパリが全く肌に合わず、ベルリンにわざわざ列車で戻ったのである。

なぜなのか。93年のベルリンは底抜けに静かで暗かった。夏だというのに肌寒くさえあった。

ここは首都なのに何かが違う。

その異質な何かに強烈に惹かれたのだと思う。

恐らく93年のポツダム広場

そして、そのまま日本に帰ってもますます自分の居場所がどこにもないように感じた。何かが噛み合っておらず、常にずれているような。

それは恐らく幼少時からどこかで感じていたものだったようにも思う。小学校でも中高一貫の国立に行っても同じだった。それでも、型にはまった公立よりはまだマシだったのだろう。

居ても立っても居られなくなり、またベルリンに向かった。勘違いだったら困る、と思ったからだ。2回目のベルリンの印象も変わらず強烈なままだった。

英語圏に行くはずが、なぜか独語圏になってしまったのはそういうわけだ。

そして、独語圏にやってきたというのに、ロシアに行ってしまったのも説明のしようがない。

そういう説明できない大きな波が来る時が人生には何度かある、と思っている。

それがどこに自分を連れて行ってくれるのかは全くわからない。そういうものだ。

Zeppelin / シャウビューネでの観劇

最近、またシアターへ行く機会が増えている。

シアターへ行く→シアター関係の知り合いができる→お勧めの公演などを教えてもらう→またシアターへ行く→行けば行くほど好きになる→

恐らくはこういうループ。

今回のZeppelin。ヘルベルト・フリッチュ監督のベルリン、シャウビューネでの最終公演だということで、彼の別の舞台(der die mann / Nullなど)に出演しているたいこさんに口をきいてもらい、チケットが完売していた公演を一緒に観に行けることになった。

しかし、この日はなぜか公演前からフライングだらけ。

時間の段取りを完全に誤っていた上に、ベルリンの壁崩壊30周年記念イベントのため市内の道路も混んでいた。バス停に急ぐが「市内の交通状況のため不規則運行」という表示が出ているではないか。その時、時間はなぜかすでに19時40分を回っていた。

Zeppelinの公演は20時開始。チケットも持たず、特別に裏からホールに入れてもらうためには、時間に間に合わなければ入ることができない。

バスは運行予定よりも10分以上も遅れてやってきた。その上、クーダムも混んでいた。普段なら観劇の際はある程度時間に余裕を持って動いているのに、こんなときに限ってヘマをする。バス停にはなんとか着いたが、バス停から劇場までが思ったよりも遠かった。雨の降る中、猛ダッシュで劇場のカフェへ。着いたのがなんと公演の2分前。

この日は開演前からこんな調子だったのだ。

舞台の上いっぱいにツェッペリンはくじらのようにどーんと横たわっていた。

スチールのスケルトンで作られた大きなツェッペリン。ワイヤーで固定されているので、おそらく上下に動くのだろう。

今回の音響はシンセサイザーとツェッペリンに接続された打楽器のようなもの。役者たちの動きに合わせてツェッペリンが軋んだり、叫んだり、音を立てるようなイメージだ。

フリッチュ監督はサッカーが好きなのだろうか。冒頭のシーンではツェッペリンの向こう側で役者たちがコミカルかつリズミカルな動きでパス練習をしたり、といったシーンも見受けられた。

zeppelin ©Thomas Aurin 2017

恐る恐るツェッペリンに近づいて、その中に入っていく役者たち。一旦、入ってしまえば、まるで公園に設置されている遊具のように登ったり、降りたり、落ちたり、足を踏み外したりと大騒ぎだ。この世界観であれば、子供たちでもすんなりと入って行けるに違いない。

そんな風に舞台はテンポよく進行していたが、ツェッペリンが上の方に上がったまま降りてこなくなった。

これも演出かな?それにしても間が長いな。と首を傾げていると、案の定、技術担当が舞台裏から顔を出した。

「技術的な問題でツェッペリンが降ろせません。今、しばらくお待ちください。」

その間、Axel Wandtke がアドリブで彼の叔父が昔、聞かせてくれたという小話をふたつ披露した。さすがフリッチュのアンサンブル。

しかし、二つ目が終わっても、ツェッペリンはびくともしない。

さすがに舞台の間を持たせるのが厳しくなってきた。三つ目の小話が終わったところで、再び技術担当が舞台裏から現れ、どうしてもツェッペリンを降ろすことができない、と観客および役者に伝えた。

そのアナウンスにも役者たちはうまく反応し、なんとかアドリブで舞台を繋ごうとしたものの、一旦流れの止まった舞台をアドリブでこなすには全員の息が合わないようだった。

彼らにとっては最後の共演で最後のツェッペリンだったのだ。こんなにつらいことはないだろう。

zeppelin ©Thomas Aurin 2017

それでも、ツェッペリンと照明の生み出す影絵の美しさや役者の動きと音の重なりなどがとても印象に残る作品だった。

舞台が終わってから、役者さんたちのがっかりした様子を見るのが辛かった。こんなこともあるのだな、とその日は早々に劇場を後にした。

Überbindung von Schwächen / 苦手克服②

前回の続き。

ペーパードライバー克服、最初の一歩。初日は教習に行く前に「あー、もう嫌すぎる。うわー、もう1時間後か。」と時計ばかり見てカウントダウンしていたくらい精神的なプレッシャーがきつかった。

ブランクが長すぎたせいで何もできない気がしたからだ。ドイツというか欧州はまだまだマニュアル車が主流なので、教習所では基本的にマニュアル車を扱う。クラッチやらシフトレバーやらをガタガタ動かす必要があるのだ。

さすがにシェアリングカーなどは、ほとんどがAT車だが、レンタカーなどではAT車と事前に指定しておかないとマニュアル車が用意されていることが多いように思う。

相方の乗っている車もかれこれ20年前のVW Golfのマニュアル車。

時間になってしまったので、変な汗をかきながら早足で教習所へ向かう。出迎えてくれたのはアンドレという年配の男性教官だ。第一印象はとても穏やかで安心感がある。頼りになりそう。これほんと大事。

乗車する前にこれまでの運転歴(ほぼナシ)などを少し説明したところ、「6年前に免許を取ったのであれば少し走れば勘が戻るはず。心配しないで。」

「いえ、免許を取ったのは16年前ですw」

「あー、そんなに前なのか。じゃあまずは様子を見ようね。」

やっぱりそうなるよね。

初日はさすがに久しぶりすぎたので、まずは車を静かな通りまで移動してもらい、クラッチ、ブレーキ、アクセルの場所確認やらクラッチとシフトレバーのタイミングをまずは思い出すところからスタート。

不思議なことに、最後に走ったのはかなり前なのに少し走るとずいぶん思い出すことができた。心なしかギアチェンジやブレーキのかけ方が当時よりもマシになっていた。なぜなのか。助手席に乗っているだけでも何か得るものがあったのかもしれない。

単にここ10年来で車の性能が上がっただけなのかもしれないが、かなり運転しやすくなった気がした。

2回目の教習前も多少の緊張感はあったが、アンドレは敢えて交通量の多い道や左折をたくさん盛り込んできた。ハードルがバンッと高くなる。

2週目は月・火・木・金とそれぞれ1時間半ずつ運転し、あっという間に最終日に。アンドレもニコニコして「これで終わってしまったら、また同じことの繰り返しになるから、初めは少なくとも2日に1日のペースで乗るようにした方がいいよ。オートマはマニュアルより簡単なんだから大丈夫。」と言って送り出してくれた。

運転をしながら色々と話した中でも印象に残っているのは、アンドレが教習所の教官になったきっかけがベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一だったことだ。東独時代は工具職人だったが、壁の崩壊後に職を失い、転職を考えた際に今の職業に決めたのだそうだ。

「ほら、あの高層アパートの9階に住んでいたんだ。今ではなんてことないアパートだけれど、当時はとてもモダンだったんだよ。」

「この道のランプいいですよね。私はこういう東の街灯が好きなんです。」

「ここは古くて状態の悪い東の道路だね。」

アンドレとはこんな風に旧東ベルリンのあちらこちらを走った。

本当に短い間でしたがお世話になりました。来週はいよいよ、DriveNowデビューなるか!?

教習所から次の打ち合わせ場所に移動(ベルナウワー通り、ベルリンの壁跡)

ベルリンの壁崩壊30周年記念日に。2019.11.09.

“Nazinotstand?” in Dresden / ドレスデンの「ナチス非常事態?」とは

先日、チューリンゲン州議会選挙に関するあくまでも個人的な考えについてまとめたばかりだが、ドレスデンの市議会における”Nazinotstand?” 「ナチス非常事態?」と銘打たれた極右主義に対する対策決議について考えてみたい。

誰でもまずそのタイトルにギョッとさせられるはずだ。

ナチス非常事態?

一体ドレスデンで何が起こっているんだ、と反応するのが普通だろう。

ドレスデン。エルベ川の南側には旧市街が位置し、ゼンパーオペラやツヴィンガー宮殿、聖母教会など見応えのある建造物の並ぶ美しい街だ。

もうずいぶん前になるが一度「世界不思議発見!」の撮影でドレスデンやマイセン、モーリッツ城などを訪れたことがある。

まだドレスデンでPEGIDAの集会が行われていなかった頃だ。ご存知の方もいるとは思うが、「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」(Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandes)という大層な名前を持つPEGIDAは2014年の10月にドレスデンで初めてデモを行なっている。

メルケル政権が大量の難民を受け入れたのが2015年のことなので、すでにその前から組織されているグループである。ドレスデンから起こったPEGIDAはドイツ各地に広がり、これらの運動が下火になる気配はない。

ベルリンではBÄRGIDA(ベアギーダ)、ミュンヘンではMÜGIDA(ミュギーダ)といったネーミングになっている。この運動は残念ながらドイツ国内に留まらず、欧州各国に広がっているようだ。

さて、ドレスデンの市長、ディルク・ヒルベルト(Dirk Hilbert / FDP )はこの「ナチス非常事態」という表現はザクセン州の州都で起こっている事態とは直接関係がないというスタンスを保っている。

彼にとってこの表現はポピュリズム的であり、本質的な問題を表現する言葉としては適当ではない、という考えを述べている。

ドレスデン市議会は10月30日に「ナチス非常事態?」と題した民主主義と市民社会の強化を決議。英国のガーディアンやBBCなど各国のメディアも市議会の決定について報道した。

いつの間にか、「ナチス非常事態?」から疑問符がなくなり、「ドレスデン」「ナチス非常事態」というキーワードだけがとてつもないスピードで拡散されたのだろう。そして、タイトルの裏側にまで考えを及ばす人の方が少なかったのだ。

ヒルベルトはザクセン州の州都であるドレスデンが極右主義に対してさらに対策を立てることについては歓迎している。しかし、このタイトルについては、言語的なエスカレーションには関わる意思がないとしている。

PEGIDAやAfDなどが意図的に用いるポピュリズム的なシュプレヒコールや言い回しをそれに反対する側まで使用することに全く意味はないだろうし、それはどちらかというと逆効果でしかない。彼らと同じ土俵に乗る必要がそもそもないからだ。

過去数年間での極右シーンにおける暴力や熱狂が増えたのは恐ろしいことだ、とドレスデン市長は続ける。しかし、この現象はドレスデンやザクセン州だけに当てはまることではなく、ドイツ全国や欧州で言えることだ。ドレスデンは極右主義に対する公共認識が他の街より強い。言い換えれば、日常生活上で極右主義的な言動を感じる場面が多い、ということになるのだろうか。

「このことが、我々にこの問題に集中的に取り組むことを余儀なくさせたのです。」

市長は議員仲間に常に状況を甘く見ない方が良い、と注意を促してきた。極右シーンでは驚くべきスピードでオーガナイズできる環境が整っているためだ。「偽りの安全の中にいると、すぐに驚くことになるかもしれない。」

ザクセン州の州都であるドレスデンの状況はすでに危機的状況の向こう側なのだろうか。このような流れが強くなっていくことに懸念を感じざるを得ない。

言葉尻を捉えて無駄な議論をしている場合ではないはずだ。

参考記事: Zeit Online / Dresdner Oberbürgermeister kritisiert Begriff “Nazinotstand”
Zeit Online / Nazinotstand mit Fragezeichen

タイトル写真:Dresden-Panorama: Blick von der Frauenkirche © Christian Borrmann

Überwindung von Schwächen / 苦手克服

少し重いテーマが続いたので、今月突然始まった「苦手克服週間」について報告しておこうと思う。

昨年の12月に「2018年を振り返って」という投稿をしているが、そこでも

  1. 苦手なことを克服

という項目を立てている。具体的にはジョギングと車の運転だ。ジョギングはありがたいことにほぼ生活の一部に組み込まれ習慣化するのに成功した感がある。得意になったというレベルではないが、継続できているので良しとしよう。

さて、車の運転の方はどうだろう。実はベルリンで免許を取得したのが2003年。映像制作会社に入社した翌年に持っておいた方が何かといいだろう、と思い一応免許は取っておいたのだ。

ドイツでは教習場という区切られた場所での練習がなく、なんと最初から路上運転。これには正直かなりびっくりした。高速道路を150キロで走ったり、夜間に国道を走ったり、色々やった記憶がある。

しかし、免許取得後に知り合いが「壊してもいい車だから乗っていいよ。」といって貸してくれた車が今から思えば全ての元凶だった。VWの赤いゴルフ。友人が中古で確か600マルクで買ったとかいう代物だった。

こんな感じの車だった

これがすごい車で、普通に走っていると黒煙は出るは、タイヤはボコボコ、ドアがきちんと閉まらないので隙間風が入って寒い、というあり得ない状態だった。それでも動くだけマシだろうと諦めて、車大国ドイツでは到底考えられないような車と格闘する羽目になってしまった。

なんだか乗っていると不安になる車だったので、そのボロ車を自力で修理屋まで持っていった。「うーん。これはひどいな。よくこんな状態で乗ってましたね。タイヤがもう限界ですよ。というか、これ以上乗らない方がいいかも。」と言われた。やはり。タイヤは即交換。

そんなある日のこと。とても寒い日だった。性懲りもなくそのボロ車に乗って走っていたら、恐ろしいことがおこったのである。寒すぎてフロントガラスに霜が降りて前が見えなくなった。ドアに隙間があってヒーターが効かない車に乗るとこうなる。

はぁ!?なにこの車!

信号が赤の間にフロントガラスを布で拭うものの、走り出すとまた同じことが起こる。その辺に車を放り出して帰るわけにもいかず、ほぼ半泣き状態で家にたどり着いた。

さすがに怖かったので、「寒すぎて前が見えなくなったから冬にはもう乗れない。返すね。」と友人に引き取りにきてもらったのを覚えている。返した時には2度くらいどこかでぶつけていたように思うが、もはやスクラップ行きの車だったのだろう、特に何も言われなかった。

それらの恐ろしい経験もあり、車にはそれからとんと見向きもしなくなった。モスクワでもあれだけボロい(ひどい状態)の車で走る人はいないんじゃないかと思う。寒いだけで走行中にフロントガラスは曇らないはずだ。

はっきり言って初心者にボロ車はハードルが高すぎる。滅茶苦茶である。生きててよかった。

とまぁ、相変わらずよくわからない車デビューを飾ったわけだが、テレビの撮影の仕事ではロケバスを運転する専門のドライバーがつくし、そもそもアクセスのよいところに住んでいたため通勤も電車1本で20分強。車を買う必要性も感じなかった。

そのまま今日に至ったのだが、「車の運転は死にかけるし怖い。」という恐怖が、どうやらボロ車体験で植え付けられてしまったようなのだ。

子供ができてから車が運転できた方が楽だ、というシチュエーションが増えてもなかなかペーパードライバーを克服できなかったのである。

なんだか思い返すと、自分で自分が可哀想に思えてきた。

「今年ももうすぐ終わる!これではいかん!」となぜか先月末に突然思い立ち、息子が水泳教室で泳いでいる間にプールの向かい側にあった教習所に何も考えずに飛び込んだ。いつもはがっちり閉じられている扉もなぜかその日は全開。暖かい気持ちのいい日だったのだ。

すると、いとも簡単に教習の予約ができてしまい、先週からいわゆるAuffrischungskurs(リフレッシュコース)という免許は持っているが実際にはほとんど運転していない人のためのコースを始めることになった。

「免許は16年前(!)に取ったんですが、全く乗ってなくて。まずは5回くらい乗って様子をみたいんですが可能ですか?」

なんだ、もっと早く初めておけばよかった、と軽く後悔するくらい手続きは簡単だった。先週に1時間半、今週は昨日と今日で3時間。残り後2回である。

これまでの感想:普通の車だと運転するのもそれほど怖くはない

Tühringer Landestagswahl / チューリンゲン州議会選挙

政治の話はどちらかといえば苦手である。

先日、たまたま、というよりは週末に議会選挙を控えていたタイミングだからメディアが報道したのであろう。「現在、チューリンゲンの小学校では授業がありません。」というFDPの第一候補者の発言を目にしたので、チューリンゲン州の小学校で休講が続いている話をブログでも紹介した。

ブログを書きながら、義務教育である小学校の授業すらままならない状況であれば、東ドイツ時代はよかった、と懐古主義に向かう人々がいてもおかしくないのではないか、と思ったりもした。

日常生活の中で、こういった小さな不満や不安が少しずつ積み重なり、それが気付かないうちに一つの大きな流れになっていくのではないだろうか。

チューリンゲン州の選挙結果は驚くべき、そしてまた一方ではある程度覚悟していたものになった。非常に残念だし「やはりそうなるのか。」と心底がっかりさせられた。ドイツ人はもう少し思慮深いはずだと、どこかで期待していたからだろう。

壁崩壊から30年。第二次世界大戦からだと70年以上が経つ。歴史は風化する、とよく言われるが過去の歴史を「なかったこと」にするような発言がドイツでも日本でも頻繁に聞かれるようになってきたのではないか。

wahl.tagesschau.de

AFDが第二党に躍り出た、ということもそうだが、チューリンゲン州のAFD党首であるビョルン・ヘッケ(Björn Höcke)はあからさまに極右的な発言(völkische Rede)をすることなどにより、AFD党内でも問題視する党員がいるほど「民族的」なのだ。

このvölkishという言葉だが、参考までにDudenの定義を引用しておこう。日本語でも「フェルキッシュ」の説明文がウィキペディアに出ている。

Duden: völkisch

2017年にドイツで行われた総選挙の2ヶ月後、ヘッケがベルリンにある虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(Denkmal für die ermordeten Juden Europas 、通称:ホロコースト記念碑)を「恥のモニュメントだ」と発言したことに対し党内の執行委員から懲戒処分を受けている

この発言を受け、アーティスト集団の活動家たちがヘッケの自宅前の空き地を購入し、ホロコースト記念碑のレプリカを作ったことは別記事「アートと政治の関係」でも触れたことがある。

今回のチューリンゲン州議会選挙に関する記事を色々と読んだ中でも、わかりやすくまとまっていたTagesschauの記事の一部をここで紹介しておきたい。

これほど多くのAfDへの投票を普通にしてはならない

この事実は特に決定的だ。なぜならチューリンゲンは政治的な普遍性の終わりを示したからだ。AfDは4つ目の旧東ドイツの州で第二党となった。しかもAfDが極右グループとして強い「派閥」を形成しているチューリンゲン州でそれが起こったからである。党首のビョルン・ヘッケは国家社会主義を180度の懐古主義でもって無害なものとした人物だ。連邦憲法擁護庁はこの「派閥」を監視しており、党内でも強い極右の流れに対して批判が起こっている。

Tagesschau / Politische Lähmung nützt nur der AfD

この記事ではチューリンゲン州議会選挙の結果はこれまでの古い政治慣習を打ち破ったとある。

これまで左派党(die Linke)といえば、プロテスト政党、東独時代の社会主義統一党(SED)の後継、全てを社会主義的な色に染めたい政党、薄汚れた子供のようなどの政党にも相手にされない政党であった。その左翼党が政治を行えるのだ。

同上

左翼党のイメージ描写もなかなか手厳しい。

CDUやSPDといった二大政党が大幅に得票率を下げているのも特徴的だ。すでに2017年の連邦議会選挙でその傾向が見られたが、さらに拍車をかけた結果となっている。

ブランデンブルク州やザクセン州に続き、旧東ドイツ地域におけるCDUの求心力低下は明らかだ。

11月7日に選挙結果が確定する。

余談になるが、西ベルリン出身の相方は「こんなニュースを聞くと、正直ザクセン州やドレスデンなどへ敢えて行きたいと思わなくなるね。ほら、*オッシー(東ドイツ人)とか*ヴェッシー(西ドイツ人)という言い方があるけど、僕はヴェッシーなわけで。」と漏らしていた。

*Ossi und Wessi :東ドイツ人出身者や西ドイツ人出身者をそれぞれ揶揄した言い方

知り合いのドイツ人の音声マンも昨年のケムニッツでの極右グループデモ取材の際に初めて身の危険を感じたのだそうだ。PEGIDA(「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」)やAfDが「嘘つきメディア(Lügenpresse)」などのシュプレヒコールを掲げる影響だと思われる。

ベルリンの壁崩壊から30年。目に見えない東西の壁はさらに強固になっているのかもしれない。

rausch / サシャ・ヴァルツの「ラウシュ」@フォルクスビューネ

Alle der Kosmonauten, Zweiland… ベルリンに来て数年。数少ない日本人の友人の中にサシャ・ヴァルツ(Sasha Waltz)のカンパニーで活動していたダンサーがいた。Takako Suzukiさんである。

Allee der Kosmonauten© Sebastian Bolesch

初めて彼女に会ったのは、どこかで知り合った日本人に声をかけられて一緒にお茶をしたのがきっかけだったように思う。みんなで4人くらいいたように思うが、ベルリンに来てすぐだった私は人に誇れる目標などもなく、「犬も歩けば棒に当たる」精神でただただ歩いてばかりの日々であった。

「あなたはベルリンで何をしているの?」

以前は国際機関で働いていたことがある、という日本人女性に唐突にこう尋ねられた。当時から空気を読もうとしなかった私は敢えてこう返事をした。

「今はまだ特に何もしていません。」

詳しいことは忘れてしまったが「目標はきちんと持った方がいい。」みたいなことを言われたような気がする。その場に居合わせた日本人は既に5年以上はベルリンに住んでいた先輩方ばかりだった。

そのやりとりを黙って横で聞いていたTakakoさんに、後日こう言われたことだけは覚えている。

「あの返事、なんか好きだったな。」

それで私たちは友人になった。

前置きが長くなってしまったが、そんなTakakoさんに声を掛けてもらい、Sasha Walzの作品を何度か観に行ったことがある。

Sasha Waltzがまだそれほど有名ではなく、彼女の作品がSophiensäleの小さなホールで行われていた頃だ。モスクワから来ていた友人と一緒に観に行ったZweilandが大好きだった。1997年のことだ。

Zweiland© Sebastian Bolesch

そして何の目的もなくただただ歩く日から、ゆっくりではあるが少しずつ地に足がつき始めた頃だろうか。

Takakoさんがゲストとして出演したKörperを観た辺りから、「あれ?」と公演後に違和感を感じるようになった。Takakoさんにも正直にその違和感について話すと、彼女もそうだ、と言っていた。

そして、その後、暫くしてから彼女はカンパニーを出て独立した。それがいつだったのかもう余りはっきりとは覚えていない。

その時に感じた違和感のようなものを先日、家族で観に行ったrauschの公演後にもまた感じたのである。そしてそれは少し私を寂しくさせた。おそらく、Sasha Waltzは有名になりすぎて賢く(インテリに)なってしまったのだと思う。1時間50分ほどの公演が少し苦痛に感じた。何がそうさせたのか私にはよくわからない。

白でシンプルに統一された舞台にブラックとホワイトの衣装。半円状に吊られた幕に黒の液体が吹き付けられたり、と舞台そのものの見応えはあったのだから。各ダンサーの踊りについては言うまでもない。

何より驚いたのことは冒頭にビートルズが爆音で鳴り響いたことだ。ホワイト・アルバムからの一曲。だから舞台も白一色だったのだろうか。

rausch©Julian Röder

Sasha Waltzといえば、今ではベルリンで一番知名度の高い振付家であり、現代ダンス界でその地位を確立している。また、身体表現(ダンス)を超えてオペラや演劇とのコラボ作品も多数手がけている。

公演前には全く知らなかったのだが、来シーズンから国立バレエ団の芸術監督に就任するため、当分新作公演を観ることはできないだろう、とのこと。10月27日に行われたフォルクスビューネ (Volksbühne)のrauschがいわゆるSasha Waltz & Guestsとしての最後の作品に当たっていたようだ。

rausch©Julian Röder

しかも、国立バレエ団はその決定に対して反対の意を示したというのだから驚きだ。バレエ団の広報は「Vladimir Malakhovは監督になる前にも我々と作品作りをしていた。それはNacho Duatoも同様だ。Sasha Waltzは我々の何に興味を持っているんだ?我々の何を知っているというのか。」かなり辛辣な意見である。

なぜこのような事態になったのかはさておき、国立バレエ団のプログラムを見る限り、来春にはSasha Waltzの作品も公演が予定されているようだ。

彼女とベルリン国立バレエ団の行く末についても気になるところではある。

Takakoさんは元気にしているだろうか。久しぶりに連絡を取ってみよう、とこのブログを書いて思った。

タイトル写真:rausch©Julian Röder

Schiedsrichter-Streik / 審判のストライキ

毎週土曜日か日曜日に息子のサッカークラブの試合がある。先週の金曜日にWhatsappで突然、連絡が入った。

「今週末に審判がストライキを行うとのことです。現場での混乱を避けるため、今週末に予定されていた試合は延期することにしました。」

えっ!?審判のストライキって一体なに?どういうこと??

サッカー事情に詳しい相方に聞いてみると、最近アマチュアリーグの試合中に審判への暴力沙汰が増えているとのこと。どうやらそれを受けて、審判たちがストライキを決めたのだとか。

アマチュアリーグで暴力沙汰!?

やれやれ、なんというかドイツ人のサッカー熱もここまで行くと呆れるほかはない。しかし、メディアでの報道によると事態はかなり深刻なようだ。

rbbの記事にはこんな見出しが。

Berliner Fußball-Verband sagt alle Spiele des Wochenendes ab

25.10.19 | 19:38 Uhr

Der Berliner Fußballverband hat auf die Streikankündigung der Schiedsrichter reagiert und alle Amateurspiele für das Wochenende abgesagt. Betroffen sind von der Berlin-Liga abwärts 1.600 Spiele. Grund für den Streik ist die anhaltende Gewalt gegen die Schiris.

ベルリンサッカー協会が週末すべての試合をキャンセル

ベルリンサッカー協会は審判のストライキ告知に対し、今週末に予定されていたアマチュア全試合のキャンセルを決めた。これによりベルリンリーグの1600試合が影響を受けた。ストライキの理由は審判に対する暴力である。

rbb / Berliner Fußball-Verband sagt alle Spiele des Wochenendes ab

これはもちろん、アマチュアリーグの男性部門で起こっていることであり、少年サッカーリーグには何の関係もない。サッカー協会としては、自体をそれだけ深刻に捉えこの状況を世間に知らしめるために全試合のキャンセルを決めたのだろう。

昨日はサマータイム最終日でとても暖かい晴れた1日だった。しかし、相方が体調を崩しており早朝からサッカー場へ向かわずに済んで少しホッとしたというのが正直なところだ。

ドイツはサッカーに熱心な国、というイメージだが、審判への暴力というのはさすがにどうかと思わされる。子供の時から審判やチームメート、試合相手へのリスペクトを徹底的に教えておけばこんなことにはならないはずだ。サッカーが好きなのであれば、フェアプレーの精神を徹底してほしい。

「ベルリンのサッカー場での暴力は前のシーズンに比べても今シーズンで増加している。」審判顧問会議はストライク決定の理由をこう述べている。「シーズン開始後の数日間ですでに109件の暴力や差別的な行動がサッカー場で記録されている。」その内の53件は審判が被害にあったものだ。「この数字は非常に危険なレベルであり、はっきりとしたストップサインを示すことが重要だと考えた。」と審判委員会のヴェーリング。

前シーズンではベルリンにおいて審判に対する暴力は150件以上が報告されている。これらは身体的暴力や脅しなどの罵倒にまで及ぶ。その結果、審判の後継者が減少しているのだそうだ。毎週末に行われる1600の試合に対して、審判の数が1100人しかいないというのが現状らしい。

いくらサッカー好きでも、身の危険を冒してまでアマチュアの審判をやろうという人はなかなかいないだろう。今回のストライキで何か具体的な改善策が生まれればいいのだが。。

FIFA(国際サッカー連盟)の審判委員会長を務めるピエルルイジ・コッリーナ氏が、アマチュアサッカーで笛を吹く審判員が不当な扱いを受けているとして警鐘を鳴らした、というニュースがすでに2年前に日本のネットニュースで見つかった。

どうやら、ドイツで今に始まった話ではないようだ。サッカー恐るべし。

参照記事:rbb / Berliner Fußball-Verband sagt alle Spiele des Wochenendes ab
gooニュース / 審判に対する暴力・罵倒…”名審判”が警鐘「トップがアマチュアに正しいメッセージを」

Kaufhaus Jandorf / ヤンドルフ百貨店の行方

Kaufhaus Jandorfといえば、近所にあるとても好きな建物だ。

以前、ブログKaufhaus Jandorfでも書いたように、様々なイベントスペースとしてファッションウィークや写真展、CDUのbegehbares Haus「ウォークインハウス」、即ち選挙キャンペーンのために一般に開放されたインフォーメーションセンターとしても使用された多目的スペースであった。

Ostkreuzschule für Fotografie卒業制作展, 2017.10

1904年に経営者アドルフ・ヤンドルフによってオープンした百貨店だったので、高い吹き抜けスペースのあるとても面白い空間だったのだ。

公園の向かいに立つ非常に立地のよい物件なので、逆にこれまで数十年も空き物件だったことが不思議といえば不思議である。

子供たちも好きな場所だった

高級アパートやホテルに姿を変えなかっただけ、まだマシだといえばいいのだろうか。2018年から本格的な工事が始まり、改装後の使用用途が気になっていた。

工事もほぼ終盤に入ったようで、外からも内装などが見えるようになってきた。カフェ?ホテル??いや、少し違うな。何だろう。

モダンなデザインの照明とソファなどが見えるが実際のところ、何になるのか見当がつかない。ただし、入り口の扉は常に固く閉ざされており、これまでのように自由に出入りができない何かになりつつあることだけははっきりとわかった。

都市開発にはよくあることだが、ずっと見慣れた生活の一部だったスペースにある日を境に入れなくなる、というのは結構つらい。

地区のフリーペーパーでこの建物にダイムラーとBMWが拠点を築くことを知った時は正直、がっかりさせられた。

建物の向かいには公園もあるのだが、500人もの社員がここで仕事をすることになれば、馴染みのある風景や雰囲気が変わってしまうかもしれない。カフェや近くのレストランも混むかもしれないし、便乗値上げなどもあるかもしれない。そんなことをぼんやりと考えた。

ダイムラーとBMWのグローバル・ヘッドクォーターとなるそうだが、モビリティ分野での両者のジョイント・ベンチャーは以下の5つだ。

Reach Now:マルチモジュールのモビリティプラットフォーム
Share Now:カーシャリングサービス
Free Now:配車(タクシー)サービス
Park Now:駐車場や路上パーキングのサポート
Charge Now:電気自動車のバッテリーステーション用アプリ

Your NowのHPでこれら5つの詳しい説明が紹介されている。

スマートモビリティ開発の先鋭たちがやってくるのだろう。そのため、従来のショールームのような公共スペースは設置されないとのこと。当然の流れである。

Brand overview

スタートアップやベンチャー企業が多く集まるベルリン。そのまさに中心地に拠点を移すことになったダイムラーとBMWによるジョイント・ベンチャー。

スマートモビリティの行方には関心があるので、若干の寂しさはあるが今後に期待したい。