Russisch lernen / ロシア語学習歴

今朝、ツイッターでロシア語に関する投稿をいくつかしたので、自分のロシア語学習歴について少し書いてみたくなった。

90年代半ばにベルリンにふらっと来たのが4月。その数ヶ月後にモスクワからベルリンに来てギャラリーの展示準備をしていた3人のロシア人に出会ったのが私とロシア語の最初の出会いだった。

ベルリンにはロシア人が割とたくさん住んでいて、誰かと繋がると必然的にロシア人の知り合いが増えるのだ。東ドイツは社会主義国家だったし、東ドイツ人はロシア語が必須の学習言語だった。ベルリンが壁で分割されていた時代には東ベルリンがソ連に占領されていたのだから何かと所縁があるわけだ。

そしてベルリンに来たばかりの私には大してやるべきこともやりたいことも見えておらず、時間だけがあり余るほどあった。ベルリンのロシア人コミュニティーにきちんとコミットする時間もそれなりにあった。

ロシア人の家に呼ばれる(Заходи в госте!)と、少人数の間は共通言語の英語で会話することになるが、人数が増えるにつれて会話で使われる言語は自然にロシア語になる。そうなるともう手のつけようがない。ちんぷんかんの状態で輪の中に入っているのが苦痛になってくるのである。(Я не понимаю, только чуть-чуть, и.т.д.)

それでも、ロシア人は完全放置型のドイツ人とは違い(ここ重要!)、折に気遣いを見せてくれるのでまだマシだった。

そして、会話についていけないフラストレーションがマックスになっていた頃、大学入学資格に必要なドイツ語のテストに受かったのでロシア語学科で勉強をすることにした。支離滅裂である。

ドイツ語でロシア語を学ぼうなんてはっきり言って無謀、というか無理。

なんとか大学に席を置かせてもらえるドイツ語力では、ドイツ語で行われる講義がちんぷんかんぷんな上、ロシア語をその不安定な言語で学ぼうと言うのだから時間の無駄でしかない。

それでもここはドイツ。不効率なのは承知の上だが、日露辞典、独露辞典、和露辞典、露露辞典などを机の上に山積みにした状態で授業を受けることに。

ロシア語力が全くないので、まずは準備コースで2年半くらいロシア語の授業を受けた。

“Ich habe das Wort nicht verstanden, Ich meine, ich verstehe die deutsche Übersetzung nicht…” (その単語がわかりません、えーっと、ドイツ語訳がわからないんです。)

とまあ、授業中も訳のわからない質問を飛ばしていたし、テストの結果も散々であった。確かbefriedigendで3くらいだったような。。「まあ、大したことはないが分かっている。」といったニュアンスだろうか。

習えば習うほど、その難しさが露出する言語というか、もはや闇。訳がわからなかった。それでもキリル文字に慣れ、少しだが会話も理解できるようにはなってきた。暇さえあればベルリンで知り合ったロシア人にモスクワまで会いに行ったりもしていたからだ。

数年間そうしてロシア語と格闘していたのだが、2000年にモスクワに遊びに行った時になぜか「面接を受けてみないか。」と知り合ったばかりの日本人女性に誘われた。

彼女とはその後、全く音信不通になってしまったのが残念だが、そもそも面接に誘われたことなどそれ以来、1度もない。彼女に初めて会った時に「モスクワで働くのってどんな感じかなぁ。」などと非現実なことを話したからだろう。

「私がバイトしたことのあるクリニックで1年半前ほどから英日露の3ヶ国語を話せる日本人を探しているみたいだから、一緒に行ってみない?」

非現実が現実に足を突っ込んできたわけだ。いつもの悪い癖で好奇心が勝ったので、とりあえず一緒に行ってみることにした。

面接時に同席したのはアメリカ人女性のクリニックマネージャーとロシア人女性の人事部長。

少しこれまでの経歴(断っておくが面接を受けた時には職歴らしい職歴は一切なし)についてロシア語で話し、彼らが探しているのが受け付け兼通訳であることがわかった。先方は既にきちんとした契約書まで準備していたのである。

「あなた、ロシア語も話せるし、ここで働いてみない?」

ロシア語も話せるし?befriedigendだし、ベルリンのフンボルト大学では教授に散々バカにされていたというのに??

またこれだ。というのも、ベルリンに来てすぐに入った語学学校でも同じようなことを経験済みだったからだ。クラスを決めるためにインタビューをした際に、自分の実力以上の上のクラスに入れられたことがある。「話せても(文法が)わかっていないのでひとつ下のクラスに入れてもらえませんか?」「いや、それだけ話せてるからB2でいい。」いいわけがない。

蓋を開けてみたら難解な文法だらけで理解するのに相当苦労した、というかついていけなかった。

「病院の受け付けで電話対応できるレベルではないので、難しいと思います。」

「いえいえ、是非やってみてください。」

「モスクワに住んでいるのではなく、ベルリン在住で学生なのですが。。」

向こうの反応はもちろん「え、そうなんですか!?」

ドイツ側、ロシア側のビザの手続きにどのくらい時間が掛かるのかも不透明、Untermieterとしてベルリンで借りているアパートの持ち主とも相談する必要あり、日本の両親に報告する必要もあるだろう。

「ええ。ただ3ヶ月の準備期間を頂けるのであればやってみようかと思います。」

数秒でひねり出した答えがこれだった。

「わかりました。3ヶ月待ちましょう。」

えーっ、待つの!?そんなに人がいないのか。普通は断るでしょ。。

今ではおそらくあり得ない状況だと思うが、90年代後半にわざわざモスクワに住もうと移住してくる日本人はほとんどいなかったのだろう。クリニックは治療費も高く、主に駐在の日本人を対象に日本語で応対できる人材を探していたのだろうと思う。

ただ、この無茶な半年間ほどのインターン経験でロシア語力が跳ね上がったことは疑いの余地がない。外国語は現地に行って学ぶのが近道、というのは間違いないと思う。少なくともドイツ語でロシア語を習っているよりは確実にうまくなる。

2001年の夏にベルリンに戻り、2002年からはベルリンの映像制作会社で働くことになったので、バルト三国やロシアでの撮影の時にはロシア語が役に立った。ただ、それ以外ではドイツ語、日本語、たまに英語が仕事のメイン言語になったため、使う機会が一切なかった。そのためロシア語はほとんど忘れてしまっている。

ロシア語圏にまた行きたいし、何かやってみたい気がするので、一度やったロシア語を最近本気でやり直したいと思うようになってきている。魔が差す、というやつですね。

Alltägliches Gespräch / ドイツ語日常会話

ドイツ語話せる?
日常会話ぐらいだったら大丈夫。

皆さんもこんな会話を交わしたことがあるのではないだろうか。ところが、この日常会話、意外に難しい場面が多いような気がする。

なぜそんなことを思ったのかと言うと、先ほど日本語補習校の前に歯の矯正歯科医(Kieferorthopäde: KFO)に子供たちを連れて行った時にそう感じたからだ。

その時のやり取りがややこしく、はっきりと状況を把握するのに少し時間を要した。

長女は今のところ矯正はしていないが、乳歯が虫歯になり根幹治療が乳歯のためできず、抜歯。永久歯が生えてくるまでスペースを確保するための器具(この場合はPlatzhalter「場所を確保するための器具」を夜間だけ利用している。

Platzhalter

そして、長男。まず上下の歯の噛み合わせに問題があり、1年半くらいかけて矯正する必要があるとのこと。それとは別に長女と類似した歯の問題がある。

乳歯が虫歯になり、乳歯とその下から生えてくる永久歯の間の隙間に炎症が起こったり、膿(Eiter)が溜まったりするのである。

出来るだけ抜歯しない方向で炎症部分をきれいにし、薬を塗布してもらったり、ひどければ膿の溜まっている部分を切って膿を出したりして様子を見る、という治療方法しかない。

ただ、矯正するのであれば永久歯の位置によっては抜歯してしまって矯正器具にPlatzhalterを組み込めないか、という話が歯科医から出ているのだ。

と、こういう内容のやり取りをきちんと伝えた上で、今後の進め方を理解しなければならない。そして、歯科医の受付に言われたことと矯正歯科医の言うことが食い違っていたりもする。

夏休みを取った相方に長男を矯正歯科医に連れて行ってもらったが、正直、帰ってきてからの報告があまり的を得ていなかった。ドイツ人でもこうなる。

言葉の問題ではなく、これまでの治療の過程を把握していないと理解しづらいのだろう。

ちょうど都合よく、長女の予約が1週間後に入っていたので自分で今後の治療の進め方を確認してきたというわけだ。

モスクワで以前、日本人患者さんのための通訳として受付兼通訳業務を半年ほどインターン先の病院でしたことがあるが、その時も実感した。

身体の調子が悪い時に母国語以外で自分の状態を説明するのは並大抵のことではない、ということを。身体が辛いのに訳のわからない(自分の言葉ではない)言葉で説明しようとするだけで精神的なストレスが半端ないのだ。

この時はアメリカ人のカウンセラーの通訳としても立ち会う機会があった。カウンセリングを受ける日本人の女性の通訳という立場。

カウンセリングの通訳となると、さらにハードルが上がる。文化背景などが分からなければ理解できない事柄も多々あるからだ。

それに、話しているより3人で沈黙している時間の方が長いセッションもあった。あの時間はモスクワで体験した中でも特別なものだ。

絶対的な信頼感というか、沈黙していても許される時間。

話が逸れてしまったが、医療通訳というのは色々と奥が深い。ベルリンでも知人の代打で、ある日本人女性の診察に付き添って通訳に入ったことがあるが、とても重要な検査だったのでドクターの報告をきちんと伝えるのにとても神経を使った。

結局、検査の結果を受けて日本に帰国されることとなった。その後の経過も気になるが、恐らくもうベルリンでお会いする機会はないのかもしれない。

医療のドイツ語も勉強してみようかな。

そしてこの問題、自分が歳を重ねていくと間違いなく自分に降りかかってくる問題でもあるんだよなぁ。