Frauen und Arbeit / 女性と仕事
今日も、こんな時間になってしまった。
知人からの依頼でインタビューの書き起こし作業というものをやっている。日本語のインタビューを書き起こす作業なので、案外すぐにできるだろうと高を括っていた。
ところがだ。1時間半ほどのインタビューは書き起こすとA4用紙に23枚ほどにもなるではないか。
何事も見くびってはいけない。タイピストではないので、いくら母語とは言え、話す速度で文字を打てるわけがないのである。
肝心のインタビューの内容だが、日本の大企業で女性として役員にまで駒を進めたキャリアウーマンがどのような軌跡で今のポジションに至ったのか、ということを語るものだ。
どのような挫折を経験して成長したのか、転機になった出来事は何か、会社で学んだことは何か。
直接、お会いして話を聞いたわけではないので、声の抑揚や話し方で判断するよりほかないのだが、どちらの女性も話し方がとてもサバサバとしていて、バイタリティー溢れる印象を受ける。
日本で就職活動をせず、大学卒業後すぐに渡独した私にとっては、「女性として日本企業で働く」ということとは無縁だ。大学在学中に就活に必要な自分のスーツ姿が全く想像できなかったのだから致し方ない。
インタビューイの女性ふたりは、1986年に男女雇用機会均等法が施行されて数年後に就職し、バブル時代の勢いに乗ってキャリアの階段を自分たちの努力はもちろん、共に戦う仲間や良き上司に恵まれ築き上げてきた人たちである。
印象に残ったのは、一人の女性役員の「私は『おじさん』のように働いてきたので、今の若い人たちの聞きたいようなことは言えないと思うんです。ちょっと古臭いというか。そういうところが、逆にコンプレックスにもなっているんですよね、子育てもしていないし。」というくだりだ。
確かに、どちらの女性の働き方も今の労働法というか働き方改革からは程遠い、過酷なものである。徹夜もあれば、週末を返上して働くのも普通、非常時には泊りがけで仕事。
余りの重責に夜眠れなくなり、食べ物の味すら分からなくなる。それが原因で体重が一度に7キロも減ったこともあるという。
「ブラック企業」がまだ取り沙汰されていなかった時代。自分の責任である意味、好き勝手に働けた時代だったわけだ。
今では考えられない状況だが、いわゆる「昭和的な働き方」をしてきた世代の女性たち。
「残業ができないって言われるとどうしようもないんですよね。」という発言が飛び出したりもした。
働き方ひとつを取っても、ここ2、30年くらいでずいぶんと変化があったのだな、と彼女らの話を聞いていて色々と考えさせられる。
ただ、やはりひとつ思うのは、もし自分が大学在学中に就職活動をして、どこかの企業に入社していたとしたら、おそらくベルリンには来ていなかっただろうな、ということだ。
日本の企業はある意味、学校の延長のような感じで入ってから色々と学べることも多い気がする。もし、そこで同僚や上司に恵まれていたら仕事が楽しくなってそれはそれでまた別の人生になっていたのだろうな、と。
もし、機会があれば一度日本の企業で就職して学ぶことを学んでから、外に出てもいいんじゃないか、むしろその方が仕事の経験値が上がって海外に来る理由も明確になっていいんじゃないかとすら思えてしまう。
やはり、勉強するべき時にきちんと勉強して自分の強みみたいなものを作っておかないと痛い目にあうな、ということに尽きる。明日もそんなわけで、書き起こしの作業は続くわけです。