Palast der Republik / 共和国宮殿跡
フンボルト・フォーラムについてまとめていた時に、工事が始まる前の状態はどうだったかな?とふと思った。昔のブログを探してみたら、ちゃんと共和国宮殿跡についての投稿が見つかった。
自分の必要とする情報が自分の過去ブログに書かれているというのも、何だか不思議な話だ。読みたいことを書いているので、当たり前といえば当たり前かもしれないが。
そのブログの中に気になる写真があった。芝生の上にかすかにハートマークが描かれている写真。共和国宮殿が立っていた場所だ。
こんな上からいつ写真を撮ったんだっけ?
そもそも、こんな写真を撮れる場所はひとつしかない。アレキサンダー広場にそびえ立つテレビ塔の上である。
どうしてわざわざ、あんなところに登ったのか。何かの撮影?ロケハン??
ではなく、実はこんなエピソードがあるのです。
一人目の妊娠が分かった時はまだ映像制作会社でフルタイム勤務をしていた。しかも妊娠初期はお腹も目立たず、ベルリン市内のアテンドをすることもあったりとかなりハードな生活を送っていた。
今はどうなっているかは知らないが、当時は税金を5年間収めると無期限の滞在許可が下りるシステムだった。その頃はすでに滞在許可などの問題もなく定期的に収入もあったので、特に「結婚」する必要に迫られていたわけでもなく、ただただ忙しい日々を過ごしていた。
相方もよく似た考えだったせいで、特に入籍するという話も出ず気づけば臨月を迎えていた。
初めての出産ということで、日本から母親がわざわざ来てくれることになり、母親が来るんだったら戸籍役場で行う結婚式のようなものがあってもいいのかな、という話に何となくなった。
母親保護期間が始まり、休職してようやく時間が取れたこととも関係があるのだろう。
ドイツでは戸籍役場に式場が併設されており、予約を取って式を行う、という段取りになる。今はこの予約を取るのに1年ほど掛かる、というような記事を見かけたことがある。
今ほど予約が取れない状況ではなかったのだろう。役場の担当者は出産予定日を聞くと、予定日の5日前に空きがあると早めに予約を入れてくれたのである。
「これ、ギリギリすぎて生まれるかもね。」
と言っていたが、お腹の中の子供はその辺はわきまえていたのか、式は無事に終わり、式を終えた3日後に出産を迎えたのである。
いやはや。とにかく運とノリだけの人生である。
お腹がパンパンの状態だったため、ミッテの戸籍役場から徒歩圏内で式の後に食事でもしようと、相方が予約を入れたのがテレビ塔の上のレストランだったというわけ。
その時にテレビ塔の上から共和国宮殿跡地に描かれたハートマークが気になり、写真を撮っておいたのが先ほどの写真だ。