“Palastausbau wäre spannender” / フンボルト・フォーラム2

個人的には東ドイツを象徴していた悪趣味な共和国宮殿が解体されるのは残念な気がしたものだが、変化のスピードが2000年以降、爆発的に加速を続けるベルリンではゆっくり感傷に浸っている暇などないのだ。悲しいことに。」

と、以前のブログで書いたのは他でもない自分なのであるが同じような考えを持った人がいるものだな、と思う記事を目にしたのでご紹介したい。

ベルリンのミッテ区長のフォン・ダッセル(緑の党)が建設中のフンボルト・フォーラムにケチを付けた、という内容の記事がBerliner Wocheに掲載されていた。記事のタイトルは・・・

「共和国宮殿を増築した方が面白くなっただろう。」

え、このタイミングで区長としてそのコメント!?

共感よりも驚きが先に立った。ドイツ最大級の文化総合施設であり、首都ベルリンのど真ん中、ベルリン宮殿跡に再建されているフンボルト・フォーラム。賛否両論があっても何ら不思議ではない。しかし、ベルリン宮殿の工事がほぼ完了するタイミングで区長のこの発言はいかがなものか。

2019年の終わりにはオープニング予定のフンボルトフォーラム。プロイセン文化財団(SPK)所蔵の2万点以上の展示品も宮殿広場に移されている。

HPのハイライトを見ると、2018年10月から2019年5月まで、展示の一部が公開されておりパネルディスカッションなども催されているようだ。

East- und South facade, August 2018. Photo: © SHF / Stephan Falk

フォン・ダッセルに言わせると、片側はバロック形式で再現されたファサードとその上の丸屋根、アレキサンダー広場方向に面する側はモダンな「銃眼のような」ファサード、どうやらどれもお気に召さないらしい。

そして、ベルリンのミッテ地区にはもっと近未来的な建造物が相応しい、共和国宮殿を建築的に発展させる方が面白かったと思うのだが、といった趣向の発言をしているのだ。とはいえ、ここまで完成している建物を修正することなど到底不可能。一体何のためにこの発言をしたのだろう。

「エーリッヒのランプ店」と揶揄された共和国宮殿内部

フォン・ダッセルはフンボルト・フォーラムを全ての人に開かれた場所にしようという試みそのものは評価している。ベルリンの市内にこれだけ多くの新しい建造物がある割には興味の対象となる建築がない、他の都市にはあるのに、と。この発言には残念ながらかなり共感できる。巨額予算で中途半端なものを建てるな、ということになるだろうか。

ミッテ区長の発言に対し、ベルリン宮殿再建推進協議会責任者のヴィルヘルム・フォン・ボディンが「フォン・ダッセル氏はバロックファサードを批判するマイノリティに過ぎない。」と即座に批判。しかし、東側のモダンなファサードに対する批判は少なくはないらしい。

何はともあれ、もうすでに始動している大規模な文化事業であるこのプロジェクト。オープニングの予定日はまだ確定していないものの、ベルリンの他の大型建築プロジェクトとしては稀に成功したプロジェクトなのではないだろうか。完成後に実際に足を運ぶのが楽しみだ。

参考記事:

タイトル写真:© SHF / Stephan Falk

Spinnerei in Leipzig /ライプツィヒのシュピネライ

随分と時間が経ってしまったが、前回の続き。シュピネライ(紡績工場)のインフォーメーションセンターの奥に工場時代の様子が垣間見られる展示スペースが設けられていた。

興味をそそられる入り口。入ってすぐ横の壁には旧東ドイツ時代の写真が飾られていた。

この建物は先ほど歩いてきた道で見かけたものだろうか。DDR時代のFDJ(Die Freie Deutsche Jugend / 自由ドイツ青年団)のロゴが壁面に掲げられている。FDJは旧東ドイツにおける支配政党であったドイツ社会主義統一党傘下の青年組織で旧ソ連のコムソモールに相当する。青少年の教化、マルクス・レーニン主義の宣揚および共産主義的行動の促進が政治的目的であった。

自由参加というのは名目で、加入しない青少年は組織的な休暇活動への参加ができなかったり、高等教育・就職等の制限があったらしい。東ドイツ出身の義母も体育の教師になれなかったのはFDJへの加入を拒んだからではないか、という話をしてくれたことがある。

当時の様子が伺える静かな空間。古い工場跡というのは独特の趣がある。

コットン(綿)の需要が世界的に高まった19世紀に欧州で最大の紡績工場のビジョンを持った産業家が存在した。1884年に既に現在のホール20に当たる第一の紡績工場が誕生している。工場の発展は経済成長だけでなく、持続可能な方向性で進められた。シュピネライは当時から既にモダンな場所であったのだ。労働者のアパートや託児所、公園などを兼ね備えた街が街の中に生まれた。

ベルリンの壁崩壊後から数年、1994年には既に紡績産業の衰退によって使われなくなった一部のスペースにギャラリーや工房がいくつか入っていた。2000年に最後の製造ラインが行われたのち、広大な全敷地が売りに出されたのである。

現在のHalle 14
現在のHalle 14

「古い工場跡・若いクリエーター・東ドイツ」というキーワードでは銀行が見向きもしなかったのだそうだ。しかし、この場所の持つ独特の雰囲気やそのポテンシャルを信じて購入に踏み切った決断力は無駄に終わらなかった。

数年後には英国のガーディアン紙が「今、地球上でもっともホットな場所」というタイトルの記事で紹介するまでになったというのだから嬉しい限りである。

ベルリンからのアクセスも列車で2時間以内のライプツィヒ。また機会があれば今度はもう少しゆっくりと立ち寄ってみたい。

参考:http://www.spinnerei.de/gruendereuphorie.html
http://www.spinnerei.de/from-cotton-to-culture.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/自由ドイツ青年団