Spinnerei in Leipzig /ライプツィヒのシュピネライ

随分と時間が経ってしまったが、前回の続き。シュピネライ(紡績工場)のインフォーメーションセンターの奥に工場時代の様子が垣間見られる展示スペースが設けられていた。

興味をそそられる入り口。入ってすぐ横の壁には旧東ドイツ時代の写真が飾られていた。

この建物は先ほど歩いてきた道で見かけたものだろうか。DDR時代のFDJ(Die Freie Deutsche Jugend / 自由ドイツ青年団)のロゴが壁面に掲げられている。FDJは旧東ドイツにおける支配政党であったドイツ社会主義統一党傘下の青年組織で旧ソ連のコムソモールに相当する。青少年の教化、マルクス・レーニン主義の宣揚および共産主義的行動の促進が政治的目的であった。

自由参加というのは名目で、加入しない青少年は組織的な休暇活動への参加ができなかったり、高等教育・就職等の制限があったらしい。東ドイツ出身の義母も体育の教師になれなかったのはFDJへの加入を拒んだからではないか、という話をしてくれたことがある。

当時の様子が伺える静かな空間。古い工場跡というのは独特の趣がある。

コットン(綿)の需要が世界的に高まった19世紀に欧州で最大の紡績工場のビジョンを持った産業家が存在した。1884年に既に現在のホール20に当たる第一の紡績工場が誕生している。工場の発展は経済成長だけでなく、持続可能な方向性で進められた。シュピネライは当時から既にモダンな場所であったのだ。労働者のアパートや託児所、公園などを兼ね備えた街が街の中に生まれた。

ベルリンの壁崩壊後から数年、1994年には既に紡績産業の衰退によって使われなくなった一部のスペースにギャラリーや工房がいくつか入っていた。2000年に最後の製造ラインが行われたのち、広大な全敷地が売りに出されたのである。

現在のHalle 14
現在のHalle 14

「古い工場跡・若いクリエーター・東ドイツ」というキーワードでは銀行が見向きもしなかったのだそうだ。しかし、この場所の持つ独特の雰囲気やそのポテンシャルを信じて購入に踏み切った決断力は無駄に終わらなかった。

数年後には英国のガーディアン紙が「今、地球上でもっともホットな場所」というタイトルの記事で紹介するまでになったというのだから嬉しい限りである。

ベルリンからのアクセスも列車で2時間以内のライプツィヒ。また機会があれば今度はもう少しゆっくりと立ち寄ってみたい。

参考:http://www.spinnerei.de/gruendereuphorie.html
http://www.spinnerei.de/from-cotton-to-culture.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/自由ドイツ青年団

 

 

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