Nordbahnhof und Mauerpark / 北駅と壁公園②

前回の続き。現在の壁公園があった場所は、以前ベルリンの北列車(Berliner Nordbahn)のターミナル駅だった。1950年までは「北駅」(Nordbahnhof)と呼ばれていた。

この北列車は、ベルリンとメクレンブルク=フォアポンメルン州にあるシュトラールズントを結んでいた。

19世紀末までは貨物列車のみが運行していたが、東と西ベルリンにまたがる地形だったため、ベルリン分割によって1948年以降はその意味を失うことになる。それでも、路線の一部は1985年に東ドイツ政府が閉鎖するまで利用されていたらしい。

上のマップを見ると、東西ベルリンを分断していた「ベルリンの壁」が壁公園をまっすぐに走っていたことがわかる。

1992年に駅だった敷地のほとんどを利用した壁公園が作られた。当時の面影はほとんど姿を消してしまったが、グライムトンネル(Gleimtunnel)は記念建造物として保存されている。

グライムトンネル、1990年
Von Roehrensee – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0 / Wikipedia

その他にも、駅の壁が一部ヴェディング地区のヴォリーナー通りに残っている。

ヴォリーナー通り
Von Global Fish – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0 / Wikipedia

政治的理由から、戦後それまでポーランドの街、シュテティーンにちなんで名付けられたシュテティーン駅が「北駅」に改名されたのが1950年頃。こちらの「北駅」の名前が「ベルリン エヴァースヴァルダー駅」に変更されのも混乱を避けるためだろう。

最後に、壁公園らしいエピソードをひとつ。

ベルリンの水道局が2018年1月に壁公園の南東に当たる基礎を工事のために掘り返したところ、東ベルリンから西ベルリンに逃げるために掘られたとみられる「地下トンネル」が見つかった。

赤のラインがトンネルの部分を示す。矢印の向きとは反対の方向に逃亡したことになる。

トンネルの全長、約80メートル。トンネルは壁の下を抜け、オーダーベルガー通りに繋がっていた。

参照ページ:
Wikipedia: Berlin Eberswalder Strasse
Wikipedia: Mauerpark
Tagesspiegel: DDR-Fluchttunnel am Berliner Mauerpark entdeckt

*タイトル写真は新たに整備中の壁公園

Nordbahnhof und Mauerpark / 北駅と壁公園

現在のNordbahnhof(北駅)が以前はStettiner Bahnhof(シュテティーン駅)だった、という話はこちらのブログで書いた

駅関連でもうひとつ、近所に気になっている場所がある。

Mauerparkいわゆる「壁公園」だ。

「壁公園」と言うだけあって、この公園にはベルリンの壁が一部残されている。場所も旧東ベルリンだったプレンツラウワーベルク区と旧西ベルリンのヴェディング区との境に位置している。

青で囲まれた部分がほぼ今の壁公園に当たる

現在の壁公園は週末になると観光客や地元民で溢れかえる。余りにも人出が多くなったので、正直なところ最近は足が遠のいてしまっていた。

いつ頃からだろうか。週末にはカラオケ大会が開かれたり、ストリートミュージシャンやパフォーマーで賑わうようになった。このカラオケ大会、円形劇場のような場所がステージになっており、大勢の前で歌う盛大なものなのだ。

しかし、それも住民の層が変わってきているからだろうか、苦情が出て一時は禁止される方向だった。

Berliner Zeitungの記事より

Kulturgemeinschaft Mauerpark(文化集団マウワーパーク)、住民、地区代表が円卓会議の場を設け、長期に渡る議論の末、壁公園の利用に関するルールが決められた。

石畳の歩道沿いのみでヤーン・スタジアムの立つ丘に向かって演奏することができるらしい。月曜日から木曜日は11から19時半まで。週末や祝日は11時から20時半まで演奏が可能だ。

パンコウ地区から公式プレスリリースが出ているのでご参考までに。

音楽の演奏ができるのは水色の部分。その他、ドッグラン、グリル、フリーマーケット、グラフィティ(以前「ベルリンの壁」、特に緩衝地帯を挟む二つ目の壁だった場所)など細かな指定がなされている。

思ったよりゆるいルール設定のように感じた。ベルリンでは壁公園に類似した騒音問題のケースが続出しており、文化醸造所としてのベルリンの魅力がどんどん下がってきている印象を受ける。

この流れの中、壁公園のカラオケ大会などを許容する方針を打ち出したパンコウ地区の決定は喜ばしいことだと言えるだろう。

今回の決定は壁公園のイニシアチブ団体Save Mauerparkにもポジティブに受け入れられたようだ。

「壁公園が壁公園として存続できることになり、とても喜んでいる。」

今回の投稿で始めて知ったことだが、壁公園に関連する活動グループの数にも驚かされた。

特にFreunde des Mauerparks e.V.「壁公園フレンズ協会」については、1999年から壁公園の整備・実現を促進する市民団体として活動しているようだ。現在の壁公園はあくまでも当初の予定の一部のみが整備工事を終えている段階で、本来ならば西側のヴェディング方面も工事が着手されるはずだったのだという。

ベルリンにありがちな、「当初の予定より大幅に遅れて工事完了」「当初の予定の半分で予算がなくなる」というパターンであるらしい。

北駅の話に至らずに終わってしまったが、次回は「壁公園」と以前の「北駅」について書いてみようと思う。

参照記事:
Singen ist nur in Richtung Osten erlaubt
Freunde des Mauerparks e.V.

Der Stettiner Bahnhof / 北へ向かう駅〜3

北駅公園をカメラ片手に歩いていると、知り合いにバッタリと鉢合わせ。

このエリアはベルリンの壁や二重の壁に挟まれた緩衝地帯などの影響で、壁の崩壊から2003年頃まで手付かずで放置されたままになっていた。

分かりにくいがカササギにも遭遇

その結果、街中に自然のビオトープが生まれ、背の高い草などが生い茂り野生の鳥もたくさん暮らしている。「北駅公園」として整備され解放されたのは2011年になってからのことだった。

とまあ、言わばなんにもないところだ。

それにしても、こんなところで友人に会うとは。偶然もすごいが、ここをひとりで散歩しようと思った友人もすごい。せっかくなので一緒に公園の端まで行ってみることにした。

跨ぐと足に刺さる微妙な高さの柵を超えてフェンスの外へ
©スネママ

こちらの使われなくなって放置されている陸橋も車で下を通るたびに写真に撮っておきたいなぁ、と思っていた廃墟スポットだった。友人がメーキング・オブ的な写真を撮ってくれた。

立ち入り禁止のフェンスが二重に貼ってあったが、外側から中に入って何とか一重に減らす。これはこれでいい感じ。

公園を出てガルテン通りから見上げると、鉄橋の原型をとどめていることがわかる。1952年以降の「北駅」の見取り図でいうと、青で囲んだ部分に当たる。

現行のSバーンはまだ隣の線路を利用して南北へ向かっている。ベルリンの壁はちょうどガルテン通り(Gartenstr.)とリーゼン通り(Liesenstr.)に沿って走っていた。

少し小さくて分かりにくいが、ベルリンの街にはところどころに「ベルリンの壁通り」(Berliner Mauerweg)というグレーの表示が出ている。全長160kmで14のルートに分けられた、それぞれ7kmから21kmの長さのサイクリングルートである。

自転車で通りかかった父親と小学生くらいの息子が、この場所で陸橋や残存する壁の方を指差して、「向こうが東ベルリン、こちらが西ベルリンだったんだよ。」と当時の話をしていたのが印象的だった。

自転車でベルリンの壁跡の気になるルートを回ってみるのも面白そうだ。

Der Stettiner Bahnhof / 北へ向かう駅〜2

前回の続き。ベルリンのミッテ区、現在「北駅」(Nordbahnhof)のあるインヴァリーデン通り/ガルテン通り近辺一体のエリアについて。

高台にポツンとひとつだけ立っている北西方面の出口から外へ出ると、これまた新しくできたクライミング施設やビーチバレーボール施設のある公園が道路を渡ったところに続いている。

Nordwestlicher Zugang an der Julie-Wolfthorn-Straße

これまでは特に用事もないので、わざわざ歩きに行ったことのない場所である。でも、今日はカメラ片手の散歩なので足を踏み入れてみることに。

少し入って後ろを振り返ると、これまた何ともアンバランスな風景が広がる。Sバーンの北側の入り口にあるSの看板、すぐ側に建設予定の高級マンションの入居案内板などが見える。遠目にテレビ塔も見えた。

ベルリンの壁跡が敷地を貫くマンション。高値が付くことだろう。これが完成する2021年頃にはまたこのエリアの持つ独特の景色が変わっているかもしれない。

入り口と反対側を見てみると、驚くほど何もない空間が広がっている。左手にクライミング施設のMOUNT MITTEとその背後にはドイツ鉄道(DB)のオフィスが並んでいるのが見える。

壁と手すりのようなものが見えたので、そちら側を歩き後ろを振り返る。またテレビ塔が見える。お気付きの方もいるだろうが、この公園3メートルほどの高台の上にあるのでテレビ塔がよく見えるのだ。

これも実は当時の名残で、1842年開設されたシュテティーン駅のほとんどの建物は道路から3メートル上の高台に建っていたらしい。よく見ると、当時の線路跡などが所々に残っているのがわかる。

この公園、もしかしてジョギングに最適なのでは!?

1842年に開設され、1950年にそれまでのポーランドの地名が当てられていたシュテティーン駅を改め、Nordbahnhofと改名された「北駅」。

この駅のもうひとつの顔は、当時の西ベルリンと東ベルリンの境界線としての機能である。ガルテン通りのレンガで作られた駅の壁が「ベルリンの壁」としての役割を担っていた。

ガルテン通りの壁

そして、先ほども少し触れた公園内に400メートルほど残るもうひとつの壁だ。二つ目の壁はHinterlandmauerと呼ばれ、一つ目の壁と無人地帯を挟んで立てられた壁に当たる。

Hintermauer

この公園の名前はPark am Nordbahnhof(北駅公園)だが、この場所特有の空気の出所がようやく解明した。

北駅の歴史とベルリンの壁の歴史を感じることのできる公園なので、機会があれば是非歩いてみてほしい。

もう少し続きます。

参照HP : ミッテ区プレスリリース

Der Stettiner Bahnhof / 北へ向かう駅

Nordbahnhof、いわゆる「北駅」周辺は以前から不自然な風景の広がる場所だった。

奥に見える壁は残存する「ベルリンの壁」@ベルナウワー通り

ベルナウワー通りから伸びるベルリンの壁のすぐ側にあったのもその理由だろう。

赤のラインが以前壁のあった場所を示す / ベルリン市HPより
真ん中のレンガと鉄の棒は以前壁のあった場所を示している

そのせいか、周囲にはこれといった建物もなく、がらんとした空間の中にただ小さめの駅舎がポツンと立っている。そういったどこかアンバランスな雰囲気を持つ場所だ。

以前は、旧東ベルリンにしか走っていなかったトラムの路線が、北駅を通り中央駅まで延長されたおかげでずいぶんと便利にもなった。それもかなり最近で、2015年の夏以降のことだ。

駅周辺の線路状に敷き詰められた石に刻まれた文字についても、以前から気になっていた。

ユダヤ人迫害に関連する地名なのかな?それにしてはバルト海沿岸の土地の名前ばかりだなぁ。

Stralsund:バルト海に面した湾岸都市

なんて思っただけで、それ以上のことは調べていなかった。

ウィキぺディアによると、現在の「北駅」周辺は当時のベルリンのターミナル駅のひとつであるシュテティーン駅(Stettiner Bahnhof)だったことが判明。1952年までポンメルン地方のシュテティーン(ポーランド名:シュチェチン)への玄関口として機能していたようだ。

今でも、グーグルマップで見ると、「北駅」から「シュチェチン」までは列車でまっすぐ一直線上に繋がっている。Sバーンと郊外列車REを利用して2時間ほどで着く。下の写真はウィキペディアに載っていた「北駅」周辺の以前の様子だ。かなり立派な建造物だったことが伺える。1950年まではシュテティーン駅と呼ばれていた。

Stettiner Bahnhof um 1875 /

現存しているのは、「郊外列車駅」(Vorortbahnhof)として使われていた建物と地下を走るSバーンの駅くらいである。

現存する「郊外列車駅」

こちらもウィキペディアからの転用だが、当時の駅の見取り図があった。これを見て想像力を働かせると、実際にこの場所を歩いたことがある人ならその規模の大きさを掴めるかもしれない。

北駅周辺にはまだまだ多くの発見が。次回に続きます。