Barfußpark Beelitz-Heilstätten / 裸足公園

夏休みなので、ベルリン郊外のお薦めスポット、ベーリッツにある裸足公園(Barfußpark Beelitz-Heilstätten)について。
以前から気になっていた、白アスパラで有名なベーリッツにある元サナトリウムの廃墟群。その広大な敷地内に2017年6月に裸足公園がオープンした。まだ完成から1年ほどしか経っていないので、施設も新しく公園内にあるカフェもなかなかいい。ランチにちょうどよい軽食もとれるし、ピクニックもできるのでとても便利。

ベルリンからのアクセスも良好で近郊列車REが1時間に1本出ているし、車でも約1時間ほどで着く。駅から人の流れに沿って歩いて行くと、敷地内に立つ廃墟が見えてくる。
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裸足公園の入り口に着くまで、このような廃墟がところどころに立っていた。
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廃墟ツアーなどに申し込めば、建物の内部にも入れるのだそうだ。これもいずれ体験してみたい。
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さて、この裸足公園、赤・青・黄色の3ルートに分かれていて、赤がハイライトがぎゅっと濃縮された全長1,2kmのショートコース、赤と黄色を併せた全長2,1kmのミドルコース、赤・黄色・青の全長3,1kmのロングツアーとから成っている。
角を取ったガラスの上を歩いたり、堆肥の中を歩いたり、普段の生活で甘やかされた足の裏には刺激がいっぱい。
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というか、かなり痛いw

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さすがに途中で足が痛くなるので、靴を入り口のロッカーには預けず、持って行くことをお薦めしたい。

アスレチック的な要素も入っているので、子供たちも大喜び。森の中を巡るコースなので、森林浴も出来てとても気持ちがいい。まつぼっくりの上を歩いたり、ココナッツの殻の上を歩いたりと足の裏も大変である。ツボ刺激にもなり健康にも良さそう。
全コース、60箇所のステーションがあるので大人も子供も十分に楽しめる。

この裸足公園は保養所パークプロジェクトの一環で、旧サナトリウム敷地内にある記念建造物の保存と観光を融合させたものとなっている。朽ち果て自然がはびこる廃墟群は木の上の散歩道(Baumkronenpfad )と併せて、多くの観光客を引き寄せているのだそうだ。
参考リンク:
https://derbarfusspark.de/
https://www.berlin.de/special/reise/brandenburg/news/4861872-767566-barfusspark-eroeffnet-in-beelitz-heilsta.html

Jarosławiec / ヤロスワビエツ ポーランドのバルト海②

前回の続き。西ポモージェ県内のヤロスワビエツ近郊の小さな村、イェジェジャニについて少し触れたが、この地域はポメラニア地方としてかつてポーランド、デンマーク、スウェーデン、ドイツが領有権を求めて争った歴史がある。第二次世界大戦まではドイツ領であり、ドイツ領時代はヒンターポンメルン(後ポンメルン)地方と呼ばれていた。現在のメッケルンブルク=フォルポンメルン(前ポンメルン)と対になっていたわけだ。
この「ポンメルン」という名はスラヴ語から来ており、 po more – (Land) „am Meer“=「海辺の」という意味であるらしい。
ナチス・ドイツ時代にはこの地方のドイツ人住民とポーランド系住民はポメラニアから強制追放されている。
歴史的に見ても非常に興味深い土地である。
さて、複雑な歴史背景を持つポーランド側のバルト海沿岸の街、ヤロスワビエツ。ドイツのバルト海沿岸の街とはまた違う雰囲気を持っていた。
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漁師の街であるため、海岸には漁船がいくつも無造作に並んでいたのが印象的だった。
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そして、この人だかり。そして、ドイツではバルト海の風物詩であるビーチ・チェアがどこにも見当たらない。ポーランドの人々は棒に布が巻いてあるもので自分たちのプライベート空間を確保するようだ。相方は「ドイツにも昔はあったよ。」と言っていた。
もうひとつ不思議だったことが監視付きビーチ。上の写真でも小さく見える旗の付いた高いチェアに監視員が座っていたのだが、なぜかそのすぐ隣のビーチで毎日のように人が溺れて救出騒ぎがあったことである。ピーっと笛が鳴り、救出隊数名がロープと浮きを持って駆けつけるのだが、その度に海水浴に来ている人々が一斉に事故現場を見つめるのだ。
確かに波は少し高かったが、なぜ毎日救出騒ぎが??ポーランド語が出来れば地元民に事情を聞けたのだが、あいにくこの謎は解けないままだった。笛が鳴るたびに走って様子を見に行っていた子供達曰く、「ドイツ人のパパと子供ふたり。血が出てた。」「ポーランド人のママがお水飲んで泣いてた。」「ポーランド人のパパと子供ふたり。ケガはしてなかった。」だったんだそうだ。
ちなみに、私も一度少しだけ沖に出ていたらピーっと笛を吹かれた。すみません。
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20度前後で水温は低かったが、波打ち際で遊ぶのは楽しかったようだ。チェコの山もいいが、ポーランドのバルト海も悪くない。

Jezierzany / イェジェジャニ ポーランドのバルト海①

息子の小学校も決まらず、クラスのお別れ会や卒園式など年度末の行事も続きバタバタと日々過ごしているうちに、あっという間に夏休み。
そう、ベルリンの今年の夏季休暇は7月5日からだと把握していたものの、旅行の計画が後回しになってしまっていた。
「ママ〜、夏休みどこにも行かへんの?」「海に行きたい!」と子供たちが言うので、7月に入ってから宿が空いていないか調べる羽目になった。皆さんもご存知の通り、ドイツは休暇天国。早い家庭では1年前から休暇の計画をしっかりと立て、フライトや宿をできるだけ安く確保するのが王道なのである。
今年も遅れに遅れをとった我が家。ひとりでふらりと行ったポズナンの印象が残っていたので、ドイツに比べ、直前でも比較的安く宿が取れそうなポーランド側のバルト海を当たってみた。そして目に止まった宿がJarosławiec(ヤロスワビエツ)からすぐのJezierzany(イェジェジャニ)に去年できたばかりのプール付きコテージ。イェジェジャニ、と言われても聞いたこともない。ポーランドの海辺近郊の小さな村である。
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今回も単なる思いつきでグーグルマップでは360キロ余り、約4時間半の距離にあるイェジェジャニへ向かうことにした(マップではイェジェジャニはうまく表示されなかったので、ヤロスワビエツが目的地になっている)。ポーランドには10年以上前にロケで行ったことがあるが、その時も車で予定より大幅に遅れて到着した。道が悪いのと工事のための予想外の迂回などがその原因だった。まだグーグルが使えなかった時代だ。
10年以上経った今でも状況はそれほど変わらず、車で4時間半の距離をなんと休憩を2回挟んで7時間ほど掛けて到着した。ポーランドの道路事情はチェコよりも遥かに悪い印象である。
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前置きが長くなったが、イェジェジャニは西ポモージェ県(Województwo zachodniopomorskie)にある小さな村である。西ポモージェ県は、ポーランド北西部の県で、県都はシュチェチン。バルト海に面している。1999年1月1日、ポーランドの地方行政区画の改正にともない誕生した。

イェジェジャニはバルト海沿岸の保養地ヤロスワビエツのすぐ側という立地なので、これから休暇場所として開発が進みそうな気がする。ポーランドの「休暇の家」はどこも小さなコテージがいくつも並び施設内に小さな遊び場を備えたところが多い印象だ。
宿の主人はポーランド語しか話せなかったが、とても気さくでよく喋る人だった。宿に到着した際にポーランド語を少ししか話せない、と言うと英語を話せるナターシャがやって来て案内してくれた。
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チェックインの後はギシギシと軋む自転車で一番近いショップまで買い出しに。店の中は客が5人で既にいっぱいである。昔のモスクワのように欲しい商品を伝えて買うシステムだった。バター、チーズ、牛乳、パンなどをポーランド語で何とか伝えて商品をゲットする。こういう何気ない日常生活のやりとりが伝わると嬉しい。
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近くのWicko(ヴィツコ)湖にも足を運んでみた。桟橋で釣りを楽しむ人が数人いるくらいでとても静かな場所だった。
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ポーランドのバルト海については次回。

Sakura im Sommer / 夏の桜

今日も夏日のベルリン。
ここ数年、ベルリンは冬から春を飛ばして夏になってしまうので、軽めのスプリングコートやサマーセーターの出番が全くと言っていいほどない。4月で半袖やノースリーブのワンピースなんて着たくもないのだが、それほど本当に暑い日が続いたりもするのだ。
毎年この季節になると、近所の公園には不自然なほど大勢の人が詰めかけ、所狭しと座り込んで一様に夏の日差しを楽しむようになる。そして翌朝には公園はゴミの山と化しているのだから、ある意味迷惑な話だ。
冬の長いドイツではこんなふうに暖かくなった途端、陽の光を求めて、ワラワラと人が戸外へ飛び出して来る。そして街もどことなくふわふわとお祭りムードで、カフェのテラス席も満席になる。
せっかくいい季節が来たというのに、昼間からブログを書いている場合じゃない、と言われそうだが、あいにく強烈な日差しの中、上半身裸でわざわざ公園で日光浴がしたいわけでも、寝転がってビールを飲みたい(ちなみにアルコールは全く飲めない)わけでもないのでコーヒーと共に涼しい自宅でこれを書いている。

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昨日の晴天で空っぽだったカフェの店内

一時期、自宅ではなくCo-workingスペースの利用を考えたこともあったが、併設カフェで英語しか通じなかったのと、特定のクラスタしか受け入れないようなスタンスに何だか気疲れしてやめてしまった。
最近のベルリンで残念に思うことは、あらゆるところで格差が生じていて、従来ベルリンという街が持ち合わせていた何でもかんでも受け入れる懐の深さのようなものが感じられなくなってきていることだ。Co-workingスペースのカフェがその典型で、ドイツ語で注文しているのに英語で返してきたりと、どこか不自然で逆に田舎臭く感じてしまったりもする。
そこは気取らなくてもいいんじゃないかな。
時代が変わったんだと言われればそれまでなんだが、ベルリンという街に存在していたある種の親密さが希薄になり、どこかよそよそしくなってしまったのが少し悲しい。
Co-working、セクハラ、Schulmobbing(学校でのいじめ)、空調、フリーランス、gucken(「見る」の口語)、暇とただの怠け者、グーグルローカルガイド、ITの活用、自己同一性、おやつにシベリア、はじめしゃちょー、、、
今朝、ジョギングをしてストレッチをした後に、ツイッターを眺めていたら色んなキーワードが目に飛び込んで来た。
世界はキーワードで成り立っている。
ところで、娘に「ママはいつもコンピューターで何してんの?」と聞かれたので、日本語がうまく書けるように作文の練習をしているのだ、と答えた。そして、それはほぼ間違いなく事実である。逆にドイツ語で書く練習をしたければ、ドイツ語でもブログを書けばいいのだろうけれど、添削を頼まなくてはならないので今のところ、まだドイツ語では何も書いていない。気にしないでどんどん書いてみるのもいいかもしれない。
特にこれ、といったテーマも決めず、今日みたいに暑さでボーッとした頭のまま、何となく取り留めのないことを書いたりするのも悪くない。書き溜めていくうちに、自分の好きなテーマが形になっていたりもするので、自分のブログのホームページの写真をたまに眺めたりもする。だから、今日の写真は今朝見たさくら、にしておこう。
来週はまた涼しくなるようなので、今週末はみなさぞかし焦って戸外に出て来るんだろうな。
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Dolgen / イースター休暇の小旅行②

Dolgenから車で10分弱のところに「ドイツで一番古いブナの森」があるというので、足を運んでみることに。3月末だというのに、風も強く雪がちらちらするあいにくの天気だ。
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中心部は25ヘクタールのHeilige Hallen(「聖なる大広間」)。メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルクにより1850年頃に一帯を保護するように決められ、事実上ドイツで最も古いブナの森なのだそうだ。1938年から自然保護区に指定されており、1993年には保護区域が25ヘクタールから65,5ヘクタールに拡大された。
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Heilige Hallenには300年から350年の樹齢を経た木々が多く存在するため、この森には朽ち果てた木の割合が非常に高くなっている。また、多くのSölleと呼ばれる湿地が多数存在し、沼や湿原などが形成されている。このため、多種類のきのこや昆虫、洞穴に生息する鳥類などが生息しているのだそうだ。
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樹齢350年のStieleiche(ヨーロッパナラ)の木。炭焼き労働者の憩いの場となっていたらしい。古くて立派な樹木だ。
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ドイツの自然保護区に必ず立っているふくろうの看板。この森では1950年以降、商業目的の木の伐採や枯れた木の持ち運びなども一切行われていない。道を塞ぐ倒木などについては例外的に伐採処理が行われている。
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Heilige Hallenの入り口付近のブナの木。ここにはまだ比較的若いと思われる木々が並んでいた。寒かったので早々に切り上げて戻ってしまったが、もう少し暖かくなったらもっと奥まで歩いてみたい場所だ。この辺り一帯はメッケルンブルクで最も有名なフェルトベルク湖水地方(Feldberger Seenlandschaft)の森林地帯だという。
ドイツと言えば森、というくらい昔から森と深い関わりを持つドイツ。
ドイツの森に比べて余り人の手が入っていないより自然に近いチェコの森が好きなのだが、ドイツの森についても、もう少し知りたいと思わせる散歩となった。

Dolgen / イースター休暇の小旅行①

Dolgenと聞いてピンと来る人はほとんどいないと思うので、グーグルマップを貼っておこう。ベルリンから北へ2時間弱。メクレンブルク・フォアポンメルン州には、ミューリッツ国立公園があり、無数の湖沼で知られている。
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そのミューリッツとプレンツラウのほぼ中間地点に位置するドルゲン。Dorfstr.(村通り)が村の真ん中に一本通っているだけで、後は丸屋根の教会や広場のバス停、村はずれに馬小屋があるだけのこじんまりとした静かな場所だった。
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宿泊先は以前は学校(Dorfschule)だった建物である。村に入ってすぐのところにあったのだが、なぜかそのまま通り過ぎてしまい道を歩いていた女性に尋ねると「ここを少し戻ったところにある建物よ。そう言えば、ベルリンナンバーの車ばかり止まっていたわね。」と親切に教えてくれた。
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ここに4家族で3泊4日するわけだ。
まずはドルゲン湖を見にぶらぶらと散歩に出る。3月末だが、まだまだ冬景色のドイツ。湖にもまだ氷が張っていた。
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特に観光する場所がなくても、だだっ広い場所で特に何も考えずに歩いているだけで気持ちがいいものだ。今回はこのような場所で自分の誕生日を迎えることができた。こんな偶然を与えてくれた友人に感謝したい。

Straßenbilder / 通りの名前から見える風景

ツイッターでとても興味深い記事が流れてきたので、紹介したい。ツァイト紙によるドイツ国内の通りの名前についての特集である。
よく使われる通り名:79,4%

  • Hauptstraße(中央通り)
  • Schulstraße(学校通り)
  • Dorfstraße(村通り)
  • Gartenstraße(庭通り)
  • Bahnhofstraße(駅通り)

確かに日頃、頻繁に耳にする名前ばかりだ。
人物や出来事を想起させる通り名:19,6%

  • シラー通り
  • ゲーテ通り
  • ヤーン通り / ヤーン・フリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーン(Friedrich Ludwig Jahn) 、ドイツ体操の父と呼ばれた。
  • モーツァルト通り
  • ライファイゼン通り / フリードリヒ・ヴィルヘルム・ライファイゼン(Friedrich Wilhelm Raiffeisen)、ドイツの市長、信用協同組合の先駆者

人物名の通りが思いの外、割合として少ない印象を受ける。
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ベルリンに住んでいる間に、東独時代の通り名が壁崩壊後、何年か経ったのちに改名される、ということを何度か経験した。東ベルリンのプレンツラウワーベルク地区にあるデミトロフ通り(Dimitroffstraße)がダンツィガー通り(Danziger Str.)になったのも記憶に新しい。デミトロフはブルガリア共産党書記長から取られており、続くダンツィガーは都市名のダンツィヒ(ポーランドのグダンスク)がその由来である。タイトルの写真は現在のエヴァースヴァルダー駅に当たる。
もうひとつ、以前ベルリンで撮影した写真が出て来た。下の2枚の写真は2002年までレーターシュタット駅(Lehrter Stadtbahnhof )と呼ばれていた駅が中央駅として使われることになり、それまで東ベルリン側で「中央駅=Hauptbahnhof」の役割を果たしていた駅が「東駅=Ostbahnhof」に変わった頃の写真である。

名前が変更されるだけではない。開発後に道路が整備されたポツダム広場には新たな通りが何本も作られた。ルドルフ=フォン=グナイスト=ガッセ(プロイセン時代のドイツの法学者で政治家)やガブリエレ=テルギット=プロムナーデ(作家・ジャーナリスト)など、いまだにまだ余り馴染みのない通り名だ。93年に旅行者として初めてベルリンを訪れた際には、広場にまだ壁の残骸が立っていて地下鉄への階段とその入り口のみががらーんとした空き地に立っていたことを思うと感慨深い。
ベルリンに住みたいと思ったのも、街のど真ん中に広大な空き地が広がっているというギャップに惹かれたといっても過言ではないので、ポツダム広場の開発予定地にソニーの看板を見た時になぜかとてもがっかりしたのを覚えている。
道の名前と地理関係のわかる記事内のいくつかのグラフィックを載せておこう。
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DDRの通り名の代表としてカール・マルクス通りが挙げられるが、この名前は旧東ドイツエリアに通り名や広場名としてまだ473と数多く残されている。
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驚くべきことに、国家社会主義時代の通り名の代表としてパウル=フォン=ヒンデンブルクが挙げられているが、旧西ドイツ側になんと438の通り名や広場名として存在している。この人物、アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権樹立への道を開いた張本人である。
もちろんアドルフ=ヒットラー通りやヘルマン=ゲーリング広場などは姿を消したが、西ドイツ側にはいまだにナチ党に関連する通り名が残されていることが分かる。
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中でも面白かったのが、オーストリアの作曲家モーツァルトがドイツ人作曲家を差し置いて堂々たる一位の座を確保していること。ドイツ人はどうやらモーツァルトが好きらしい。

とまあ、こんな風にこの特集サイトではインタラクティブなグラフィックも多数あり、たかが通り名、されど広場名とネーミングから歴史や文化、自然など多岐にわたる解説がなされており、とても興味深い内容となっている。
自分の住んでいる通り名がドイツ国内でどれほどの頻度で使用されているのかを調べる検索マシーンも搭載されているので、一度試してみてはいかがだろう。我が家の通り名は13という結果でありました。
*本文に使用したグラフィックは全てdie Zeitの上記特集ページより借用しています。
*タイトル写真はGerd Danigel , ddr-fotograf.deより借用しています。