ツイッターの怖さ
ベルリンもロックダウンで学校が再開せず、ホームスクーリングに入って早2週間。
自分ではなかなか気付けないが、夕飯を食べてからの時間はもう本当にクタクタで余り細かなところにまで気が回らないし、難しいことをする気力も残っていない日が多くなった。
普段であれば少なくとも子供たちが学校に行っている間は自分のペースで仕事をしたり、じっくり考えて作業をしたりする時間が少なくとも数時間は確保できていた。
それが朝の9時から子供たちのオンライン授業が重なることも多く、その間はiMacもがMac Book Airも埋まってしまい仕事にならないため、体力・気力維持のために外に走りに行くことにしている。
オンライン授業が終わったら、次は子供たちの課題を一緒にやるわけだが、質問が矢継ぎ早に続く。現地校のドイツ語から始まり、算数、英語、ポスター作成やら新聞作成などやるべき課題は山積みだ。
午前中はそんなわけでほとんど何も自分のことができない。家庭学習で十分カバーできるのであれば学校なんていらないが、そんなこと努力したとしてもできるわけがない。
給食も出ないので、午前中に課題をした後はすぐにお昼の準備が待っている。1週間くらいなら別にいいかもしれないが、丸1ヶ月、平日に3食準備するのは非常に手間が掛かるし、とにかく時間を取られる。
午後になっても課題は終わらない上に日本語補修校の宿題も待っている。やる気の出ない子供たちをなだめすかせて何とかやってくれる方向に持っていくのも大変である。そして、そのほとんどが不成功に終わる。
季節が良ければまだしも、今は冬。外はそうこうしているうちにあっという間に真っ暗になってしまうわけだ。
あれ、今日は一体何をやっていたんだろう。
そんな風に思ってしまうこともしばしばだ。
相方がホームオフィスではなく、自分の診療所でカウンセリングをしている関係で私の方がこうして子供たちの勉強を担当することになっているのだが、仮にふたりともフルタイムでホームオフィスだとしたら大変なことになっていたように思う。そんな状況、想像すらしたくない。
私がフレキシブルに動けるフリーランスでまだ良かったと言えるだろう。
仕事に回せる時間が今はほぼない状態だが、ロックダウンが長期化し、学校がしまっている期間が延長されるのであればいつまでもそんなことも言っていられなくなる。
やはりフリーとはいえ、継続的に仕事をしていないと復帰するのが大変だと思うからだ。
今日もなんだかんだでもう22時。
ボーッとした頭でツイッターのタイムラインを眺めていると、Tagesspiegelの記事の見出しが流れてきた。「え、公共交通網をストップさせるかもしれない?」いくらなんでもそれはないだろう、といった内容の見出しである。誤解を与えると困るのでここではその記事は敢えて引用しないでおく。
タイトルを読んでそのまま思ったことをツイートしたら「その記事は『ビルト』の報道を否定したとdpaが報じた、と書いてありましたよ。」とご指摘を受けた。
「読んで「え、まさか」と思ったら他の情報源に当たってからツイートしてもいいのでは。」といった内容のツイートも偶然目にした。
本当にその通りだと思う。これがツイッターの怖いところなのだ。
TL上に流れてくる記事の見出しだけを読んでリツイートや引用ツイートをする際普段から気を付けるようにしているのだが、どうしても疲れているとその作業を飛ばして「えっ!?」という気持ちだけをツイートしてしまいがちだ。
要は、煽り気味のタイトルに釣られて誤った情報を拡散する側に意図せずとも簡単に立ってしまうことになりかねない、というのがツイッターの持つ性質だということになるだろうか。
この性質を利用して大衆紙や煽動グループが簡単にある種の「最もらしい意見」を拡散しているのも事実だ。ドイツを例に出すと、「コロナ政策反対派」や「陰謀論者」などがそれに当たるだろう。
だからこそ、個人個人が特に今のロックダウン中のような非常時にはいつも以上に慎重にツイッターを利用する必要があるのだと思う。今回の件は改めてツイッターの持つ怖さのようなものを感じるいい機会になった。
ご指摘頂いた方々にはこの場を借りて感謝しておきたい。
タイトル画像:Photo by Brett Jordan on Unsplash