Lebensraum und Stabilität / 住処と安定 ⑵

前回の投稿では自分の落ち着きのなさと「居場所」のようなことについて思いつくまま書いてみた。

これまでのパターンを見ていると、どうやら根底に「安定は敵」のような考えが横たわっているらしく、せっかく自分の居場所が確保できそうなのに敢えてそれを避けたり、何なら先導切って壊しにいっているような気さえする。

そんな私でも気が付けば、子供がふたりいて家族の一員となっている。

今の「家」はそういう意味でも、世間一般的な観点から見ると、一番「家」らしいと言えるだろう。

子供のたちの通う小学校にも近く、散歩していても気持ちの良いエリア。朝にジョギングできる公園も至近距離にあり、何の不自由もない。

不思議なものだ。

「結婚」というものには昔から興味がなかった。語弊があるかもしれないが、考えても仕方ないので半ばノリのようなもので結婚をした。出産予定日まで後数日というタイミングだった。

ところが、先月末にブダペストで再会した旧友と話をしていると、まだ多くの日本人女性は「結婚」というものに憧れを持ち、「結婚」をゴールにしている節がある、というではないか。なんて昭和的な考えだろう、と半ば呆れながらその話を聞いていたものだ。

「20代後半の子たちが『そろそろ結婚しないとヤバイ』みたいな会話をカフェでしていた。」らしい。

見解は人によって様々だろうとは思うが、確かに日本にはゼクシィなる結婚情報誌が存在する。リクルートが発行する雑誌だが、日本のみならず中国でも発行されているというのだからすごい。

表紙のデザインやカラー使いだけでもドン引きしてしまうが、日本の女子の一部はこういう雑誌を見ながら理想の結婚式を思い描いたりするのだろうか。謎だ。

元来、定住するタイプの人間ではないので、親からも「この子はもう結婚とも出産とも縁がないだろう。」くらいに思われていた。仕事柄、出張ばかりだったので自分でもまぁないだろう、くらいの気持ちでいたのだ。

人生、何があるのかわからないから面白い。

「安定したら退屈で死んでしまう。」というこの性格はおそらく一生治らないと思うので、これから先も何があるのか皆目見当が付かないが、後悔のないようにやりたいことをやりたいようにやるしかない、とは常日頃から思っている。

三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだ。

Lebensraum und Stabilität / 住処と安定

とにかく昔から落ち着きがない子供だった。

本の虫だった割には自転車で近所の道を爆走するのが大好き。ブレーキをかけずにカーブを曲がったら、ちり紙交換の軽トラックに激突。気付いたら溝に転がり落ちて膝を擦りむいていた。9歳の頃だろうか。

恐ろしいのは、そのまま自転車に乗って友達の家に遊びに行ってしまったことだ。後で母親から「ちり紙交換の人から電話があったけど、どこ行ってたの?」とあきれ顔で聞かれたのを覚えている。

高いところから飛び降りるのも好きで、失敗して派手に流血したり、これまた急な坂道を自転車で一気に下り、田んぼに自転車ごと突っ込みそうになったりもした。

そうかと思えば、小学校6年生までは真面目なガリ勉タイプで通知表はオール5。「協調生がある」という項目だけがいつも3だったような群れない一匹狼タイプ。同級生とは折り合いがあわず楽しい小学校生活だった、とはお世辞にも言えない。

自分の子供はここまでひどくないので良かった、というべきだろう。

大人になった今でも、落ち着きのなさは当時のままである。

清水の舞台から飛び降りる(モスクワで就職!?)のは朝飯前だし、自分で言うのもなんだが、いつまで経っても落ち着く気配がない。

そういえば、一度付き合った相手から「子供ができると落ち着くんじゃない?」と言われたことがある。子供がいても落ち着いているようには微塵も見えなかったロシア人にこんなことを言われても。とにかく全く説得力がなかったのは記憶している。

その当時はベルリンとモスクワを行ったり来たりしていたのであるが、「家」とか「居場所」、「住処」というのが自分の中では常に最重要テーマだった。

とにかく落ち着けないのは居心地の良い住処がないからだ、と。

だから当時のことを振り返るブログのタイトルも「the borderline / 境界線」にした。ドイツなのかロシアなのか。ベルリンなのかモスクワなのか。自分の中で確固たる芯のようなものが欠けており、文字通りフラフラと行き場なくさまよっていた辛い時期についての回顧録のようなもの。

ロシア語で会話ができるようになろう、ロシア語で仕事ができるようになろう、ロシア人を理解できるようになろう、ものすごい熱量で努力をしていたのだろう、ある日突然、バーンアウトした

ロシア語やロシア人に振り回されることに、モスクワの理不尽さや生活にただただ疲れたのである。

そう、「海外生活と外国語疲労」でドイツ語に疲れる、という話をしたが、それ以前にとっくにロシア語には疲れてしまっていたわけだ。

ベルリンに戻った後の約半年間はそれこそ精神的にかなり参ってしまった。

銀行口座の残高は下がりっぱなしだし、台所のシンクの下に備え付けられたバスタブにもウンザリしていた。ポンプでお湯を汲み出すとか何!?

2000年初期の東ベルリン側にはまだよくわからない類のアパートがたくさんあったのだ。

そのうち、縁あって制作会社に就職し、初めてまともなアパートで一人暮らしをすることになった。バルコニーからテレビ塔も見える最高のロケーション。

のはずだったが、アパートには備え付けの家具もなく、また必要性も感じていなかったので机と本棚くらいしか揃えなかった。寝室にはそれこそマットと服をかけるハンガー、本の入ったままの段ボールがいくつか転がっている状態。

これがベルリン生活から7年経った状態だと言えるのだろうか。否。

最初から定住する気がない人のアパートにしか見えない。生活感ゼロ。

まぁ、でもその状態がある意味、自分には一番落ち着くのかもしれない。

長くなりそうなので、今日はこの辺で。

Vorsätze fürs Neue Jahr / 2020年の目標

昨年末はバタバタしすぎて、恒例の振り返りブログを書いていなかった。振り返りブログや目標設定のブログは現在の状況の反省にもなるので、「2018年を振り返って」や「苦手克服」などの投稿はたまに読み返したりもしている。

年末はブダペストに数日滞在していたので、「東欧に足を運ぶ」という目標は達成したことになるだろうか。ハンガリーは中欧だ、という意見もあるだろうが細かいことにはこの際目をつぶろう。

さて、今年はどんな年にしたいのか。以下、思いつく点を列挙してみた。

  1. もっと東欧に足を運ぶ
  2. 整理整頓
  3. 語学強化
  4. プログラミングの基礎習得
  5. マイプロジェクトの着手
  6. 営業

ざっと思いつくのはこれくらいだろうか。控えめに言って。

それでは上記を具体的にみていこう。

1. もっと東欧に足を運ぶ

これはまさに文字通りで、今年はもう少し東欧に行く機会を増やしたいと思っている。年末のブダペストはとてもいい旅だったが、次は冬休みに長女とブルガリアのソフィアに行けないかと思っているところだ。

できれば、モスクワも再訪してみたいところではある。今、一部で話題のグルジアのトヴィリシでもいい。

2. 整理整頓

例年は優先順位でいうと、限りなく下に設定されている整理整頓。どちらかと言えば、苦手項目に当たるのだが、今年は敢えて上位に設定してみた。

・必要のない衣類や物を捨てる(「こんまり」には興味が全くないので、あくまで自分ベース)
・書籍や書類など紙類の整理
・机周りの整理
・子供服の整理
・子供のいらなくなった玩具の整理 など

箇条書きにするだけで途方に暮れるが、まずは今月、衣類の整理から始めてみようと思う。

3. 語学強化

これも今更ながらのテーマだが、「もっと東欧に足を運ぶ」にも連動しており、まずはロシア語の強化を本格的にやりたい考えだ。英語、ドイツ語はもはや議論の余地なし。余力があればフランス語の基礎を。

ガチガチに考えると疲れてしまうので、Duolingoを少なくとも毎日5分はする、好きな映画を観てヒアリングを強化する、など楽しみながら取り組んでみたい。

4. プログラミングの基礎習得

こちらも大袈裟なことではなく、まずはHTMLやCSSなど当サイトを触れるくらいのコーディングの基礎をその都度使えるようにしたい。後は友人の勧めてくれたJavaScriptを触ること。

5. マイプロジェクトの着手

こちらについては目標1に設定してもいい項目。今年は本格的に「書く」ということに取り組むつもりだ。テーマは「90年代のベルリン」。

6. 営業

つまらない響きかもしれないが、端的に言うと、仕事を徐々に増やしていければ、というのが理想。撮影コーディネーターの仕事はもちろんだが、そこに通訳やライティング、その他へと取り組むジャンルも広げていければいいな、と考えている。今年の一時帰国は営業もしなくては!というところだろうか。

少なめに見積もっても6項目になってしまったが、皆さま2020年も何卒よろしくお願い致します。

Claire / クレールが探す「幸せ」な「普通」の日々

今日は珍しくフランス発のコミックの紹介をしたいと思う。

アマゾンでタイトルを見ただけでは正直、読みたいとは思わなかった類の本だ。
クレール パリの女の子が探す「幸せ」な「普通」の日々。

パリの女の子と言われても、また偏ったキラキラしたパリジェンヌのお話かと勘違いしてしまう。

内容紹介を見ると、表紙の雰囲気とは少し違った内容であることが分かる。

今を生きる、悩める女性に贈るフレンチコミック。

仕事は順調。でも恋愛は長続きせず、結婚は夢のまた夢。
そんな「今」を生きる30代中盤、独身の女性の
シビアな悩みと、これからをどう生きて行くのかを描いた物語。

ただ、ここまで読んでもまだ余りピンと来ない。30代中盤、独身というキーワードのせいだろうか。

しかし、今回はある知人の紹介で読んだ方がいいよ、と勧められた。前回のお薦めがドンピシャだっただけに読まないではいられないではないか。とにかく自分の人生において、こういった類の人の存在はとても重要である。

さて、半信半疑ながらもページをめくっていくと、完全にこの本の謳い文句や表紙のデザインのせいで、その内容が全く伝わっていないことに気付かされた。

何ともシビアでストレートな内容だったからだ。

パリジェンヌのキラキラした生活などそこには微塵もなく、一人の自立した女性の仕事、男女づきあい、悩み、結婚観、出産などについて赤裸々に描かれていたからだ。

特に性生活や同棲、結婚に至る下りは女性だけではなく、男性にも読んでほしい内容になっている。

もうすぐクリスマス。シビアな現実に気付いてもらうため、今後の関係をより良いものにするためにもパートナーにとって最適な贈り物になるかもしれない。

そう言えば、生理バッジに関するサンドラ・ヘフェリンさんの記事にもこんな下りがあり、ハッとさせられたので引用しておこう。

「ニッポンでは『自分から言うのは恥ずかしい』『自ら求めるのはおこがましい』という気持ちがあって、思いやりの行為を相手の親切心や良心に委ねる傾向があります。」

ここが変だよ、ニッポンの生理バッジ!「ただいま生理中」を公にする違和感について 

この日本的な思考に対しても、クレールの女友達はバッサリ切ってくる。

著作権の問題があるが、1ページだけスクショを貼っておこう。

クレール、ぜひ一度読んでみてください。

DriveNow / いつ乗る?いまでしょ。

最近、生き急いでいる感が満載ですが、とうとう苦手克服週間の1週間後にDriveNowデビューを果たすことができました。

教習最終日からは結局、なんだかんだで1週間ほど間が空いてしまったのですが、DriveNowのアプリをダウンロードし、書類審査が通るまで思った以上に時間が掛かったためです。

免許証や身分証明書、セルフィーなどをアプリ内でアップロードし、支払い方法を登録後、申請が通れば1週間以内にはアプリを使うことができるように。

後は、アプリ内で乗りたい車を検索し、まずは予約を入れます。
100メートル圏内に入るとスマホのアプリそのものが車のキーに。これは本当に便利なシステムです。

アプリ内のキーをスライドさせるとドアがオープン

車がすぐに見つからなければ、ヘッドライトを光らせて見つける機能も付いていました。試しにやってみる。

「あ、ママ!あの車、光ってるで!」

坂道に行きたい方向とは逆にBMWは優雅に駐められていました。

何しろ、AT車は初めての上に、アプリの使い方すらよくわからない。スタート・ストップと書かれたボタンを見つけたので、まずはプッシュ。これでレンタル開始でカウントダウンが始まります。

レバーの操作がよくわからない。とにかく色々試していると、Dに入り無事にエンジンが掛かったようです。

MT車に慣れているので、ブレーキを踏み込んでしまう癖が付いています。同じ感覚で踏み込もうとした瞬間、車全体がキュッとなり急ブレーキがかかってしまうのにはさすがに驚きました。

娘もマニュアルの自家用車とは乗車感が全く違うので横の助手席で嬉しそうにしていました。

「ママ、ほら、やっぱりできるやん。」

やっぱり、って。そんなに簡単に言ってくれるな。

この子供の親に対する絶対なる信頼感ってなんなんでしょうね。「ママやったらなんとかする。」と勝手に思っている。

こんな子供が横に嬉しそうに座っていたら、やるしかないじゃないですかね。逆に娘と一緒に初乗りにトライしたのは良かったのかもしれません。変なプレッシャーもなく。逆に普段、相方と同じ道をよく走っているのでナビも務めてくれました。

「ここじゃなくて、次の出口やと思う。」

「ここは違うで。いつもはあっち行ってる。」

「信号の先で左で、すぐ右。」

グーグルマップのタイミングが遅いこともあり、3度ほど娘ナビに助けられました。

それにしても、ギアのシフト変更も必要なく、クラッチとアクセルのタイミングを計る必要もない。AT車のあまりの楽さに感動した初乗車になりました。

もう少し、色々な車種を試してみたいと思っています。日本で運転していたけれど、ドイツではちょっと、、という方もAT車なら楽ですし、私のように免許を取ってから16年経っていてもひとりで乗れたんだから、絶対に大丈夫ですよ。

DriveNowオススメです。こちらの紹介コードNBTA2K78JLHOを入力すれば10ユーロのクーポンがもらえるそうですので、是非ご利用ください。

Große Welle / 大きな波

今日は特にこれといったテーマがないので、自分の人生の中で何度か起こった「波」について少し書いてみたい。

大阪で生まれ、幼稚園に通っていたが卒園間近に奈良へ引っ越すことになった。賃貸マンションから一軒家へ。よくある話だ。幼稚園で朝礼台に上がって、全園児の前でお別れの挨拶をしたのを今でもよく覚えている。

そのまま、奈良の住宅地へ引っ越しをしたのだが、両親はそこで無理に幼稚園には行かさず、数ヶ月の間、毎日好きなように過ごすことができた。家の前がちょうど児童公園だったし、近くに畑も田んぼもあるようなところだ。

6歳になり、小学校へ入学。まだ開発されたばかりの住宅地だったのだろう。近所にはまだ小学校ができておらず、電車でひとつ向こうの駅にある歩いて30分くらい離れたところに1年生の間だけ通った。

いくつも団地の並ぶ坂を下り、もっと急な坂を下りると田んぼが左右に広がる。左手にもっと大きな田んぼが広がる車道を先へ行くと、大きめのスーパーが見えてくる。駅はもうすぐだ。駅の高架下を渡り、何百メートルか先にやっと小学校が見えてくる。

今から思うとかなり辺鄙な場所を30分もひとりで歩いてよく通っていたと思う。まだたった6歳だったというのに。そういう時代だ。後に、この田んぼ沿いの道で通学中の小学生が犠牲になる事件が起こっている。

2年生からはできたばかりの丘の上に立つ小学校に通うことになった。歩いて15分くらいだっただろうか。丘の上にあったので、階段を何段も上がる必要があった。

そんな奈良の家には引っ越しをしてから大学を卒業するまで、ずっと住んでいた。その家には15年くらい住んでいたことになる。

教育熱心な家庭の多い、どちらかといえば退屈な住宅地。近所には石垣に囲まれた家に住んでいるピアノの先生やコリーを何匹も飼っていた家もあった。隣の引っ越してきた住人は秋になると大きな木の落ち葉が散るといって、よく苦情を言ってきたものだ。

そんな家からなぜ、大学を卒業して全く縁も所縁もないベルリンに突然行こうと思ったのか今でもよくわからない。

魔が差した、としか説明のしようがなかった。「ベルリンに行かないと。」と半ば確信に満ちた予感がしたのである。

それがちょうど95年の4月だった。サリン事件や阪神大震災が立て続けに起こった年である。

日本で奈良の実家から大阪の大学に電車通学していたのだが、朝の満員電車も退屈な大学の講義も本当に嫌で嫌で仕方がなかった。大学で良かったのは図書館の本を好きなだけ読めたことだろうか。

当時はバブル時代真っ盛り。ボディコンやマハラジャのノリも全くピンと来なかった。大学生がブランドのバッグを持って通学するような時代だった。合うはずがない。Y’sが好きだったので、どちらかというと常に全身真っ黒。

そんな折、大学3回生の時に(専攻が英米文学だった)、アメリカには行っていたが、イギリスにはまだ足を運んでいなかったのでヨーロッパも見ておきたいなと思った。

イギリス各都市→アムステルダム→ベルリン→パリ→ベルリン→パリ

ロンドン着、パリ発のチケット。なぜかパリが全く肌に合わず、ベルリンにわざわざ列車で戻ったのである。

なぜなのか。93年のベルリンは底抜けに静かで暗かった。夏だというのに肌寒くさえあった。

ここは首都なのに何かが違う。

その異質な何かに強烈に惹かれたのだと思う。

恐らく93年のポツダム広場

そして、そのまま日本に帰ってもますます自分の居場所がどこにもないように感じた。何かが噛み合っておらず、常にずれているような。

それは恐らく幼少時からどこかで感じていたものだったようにも思う。小学校でも中高一貫の国立に行っても同じだった。それでも、型にはまった公立よりはまだマシだったのだろう。

居ても立っても居られなくなり、またベルリンに向かった。勘違いだったら困る、と思ったからだ。2回目のベルリンの印象も変わらず強烈なままだった。

英語圏に行くはずが、なぜか独語圏になってしまったのはそういうわけだ。

そして、独語圏にやってきたというのに、ロシアに行ってしまったのも説明のしようがない。

そういう説明できない大きな波が来る時が人生には何度かある、と思っている。

それがどこに自分を連れて行ってくれるのかは全くわからない。そういうものだ。

Vabali Berlin / ベルリンのスパ

長女の10歳の誕生日が明日だということは、結婚してから10年が過ぎたということだ。

結婚という形にそれほどこだわりがなかったので、出産間近に「空いていれば」式を挙げようか、と戸籍役場に足を運んだら係の人が親切で「予定日間近だけれど、ひとつ空きがありますよ。」と言ってくれた。

そんなわけで、戸籍役場で式を挙げたのが長女の出産4日前だった。

披露宴パーティーのようなものも出産間近だったのと、ふたり揃って「パーティーがしたい!」というタイプでもなかったことから結局、それ以降も何も企画しなかったのである。

とまあ、こんな風なのだが、相方が珍しくやる気(?)を出して結婚記念日10周年だから、とベルリンのスパに行くことを提案してくれた。

タイミング的にもロケ2本、取材1本を終えた後でフラフラだったし、リラックスできるのであれば助かる!ということで喜んでその提案に乗ることにした。

実は以前にも一度予約をしておいてくれたことがあったのだが、その時は長男が体調を崩し予約をキャンセルすることになってしまった。

相方の仕事の帰りも毎日遅く、私も出張が中心の仕事柄、なかなか二人でゆっくりと何かをする、という機会が持てない。

そもそも一人で行動するのが全く苦痛ではないタイプなので、暇さえあれば一人で行きたい映画やコンサートを見つければさっさと出かけてしまうのが私の性分。

相方としてはたまには一緒に何かをしたいのだろう。ドイツはどちらかというと、夫婦水入らずの時間を大切にする文化だと思うからだ。

それはそうと、今回はリベンジの形でベルリン中央駅の裏側にあるVabaliというスパに行ってきた。

相方は一度、以前の同僚から誕生日プレゼントとしてスパのデイカードを利用したことがあったのでその良さは既に知っている。

Vabaliは名前の通りバリ所縁の内装だが、その辺にあるようなキッチなものではなく、建築資材も現地から取り寄せられており落ち着いた気持ちの良い空間設計になっている。

外から見た感じではその広さが全く想像できないが、敷地面積も2万平方メートルとかなり広く、2階のテラスから周囲を眺めるとアジアテイストの屋根が木々に囲まれており、そこがベルリンだというのが信じられないような景色が広がる。

噂に聞いた通り、ロッカールームも男女共用で、温水プールやサウナ(バスタオルの使用可)も一糸まとわぬ姿での利用になるが、別に慣れてしまえば何ということはない。ドイツの裸文化とはそういうものなのだ。

ただし、館内を歩いている人たちはバスローブを着用しているので、FKK(ヌーディズム)のビーチなどに比べ「裸でなければならない」的な圧迫感があるわけではない。確か、このスパができたばかりの頃は館内全てがFKKだという話だったので、途中で規定が変わったのかもしれない。

Ruheräume

リクライニングチェアもここそこに設置されているし、午前中は比較的空いているので気兼ねなくゆったりと過ごせる。

「何これ、最高では!?」

今回は長男のお迎えの時間があっという間に来てしまったため、サウナを利用する時間は取れなかったのだが、また近々行って色々と試してみようと思っている。

クロイツベルクにあるハマムにも前々から行きたいと思いつつ足を運べていないので、また機会があればチャレンジしてみたい。

これからどんどん寒く暗い冬に突入するベルリン。

たまには日頃の疲れを取るために、ゆったりとした贅沢な時間を自分に与えてあげることも大切だ、と思った次第。

Day Spa Suite

ベルリンのVabaliオススメです。アロマオイルマッサージも受けてみたが、こちらも予想以上に本格的で良かった。是非お試しあれ。

館内で写真撮影が不可だったので、イメージ画像は全てVabaliのHPから借用しています。

Jobcenter / ジョブセンターの悲劇

労働局やジョブセンターについては実はずいぶん前から書こう、書こうと思いつつ書いていなかったネタだ。

あくまでも個人的な私の経験を以下、記しておこうと思う。

2002年からほぼ10年間勤務した職場を第二児妊娠を理由に解雇(あくまでも表向きは希望退職という形)されて辞めることになった。

さて、どうしたものか。当時は希望退職という形で労働局(Arbeitsamt:現Bundesagenture für Arbeit)に失業保険を申請する場合は手当を3ヶ月カットされてしまうからだ。

ここは正直に解雇になった理由と経緯を書面で先方にきちんと伝えることにした。

こちらの説明が正当な理由として認められ、結局失業保険3ヶ月分をカットされることは免れたのを記憶している。

長女がまだ4歳、長男が2歳になったばかりで育児に振り回される日々の最中、非常に煩雑な手続きだったことを覚えている。

とにかく、週に20時間のオフィス勤務から全く別の生活リズムに慣れることが先決だったのだが、手のかかる小さな子供達の育児で全くもって手一杯だった。

正直なところ、二人目の妊娠によってこれまでの職場を解雇される、というのが自分の中でなかなか気持ちの上で割り切れなかった。

今になって振り返ってみると、10年(も)勤務したタイミングで退職できて本当に良かった。恐らく会社というものはそういうものなんだと思う。

しかし、その当時は妊娠したために解雇になった、という流れに「結局、実際に妊娠や出産をしなければならない女性の方がこれまでの職場を放棄し生活の変化を余儀なくされてしまうのか。」という思いが先に立ってしまった。

そして、労働局というかジョブセンターの対応には心底がっかりした。なぜか。

失業保険が給付される必要条件として、労働局管轄のジョブセンターに定期的に出向して現状報告をするという義務が課されていた。

とにかく再就職の意思を見せておかないと色々とまずいことになるような感じなのである。

細かなやりとりまでは残念ながら余り記憶していないのだが、「再教育プログラム」なるものを受講すればその間は失業保険が延長して給付されるということらしく、どういった内容のコースがあるのかについて相談を受けたことがあった。

一言でいうと、担当者の言っていることがトンチンカンで全く役に立たなかったのである。

仕方がないので、自分で色々と調べた挙句、家から自転車で通える距離にあるコースを半年だけ受けてみることにした。

英独ビジネス翻訳講座、正式名称は忘れてしまったが、とにかくビジネス英語とドイツ語を一度に習えていいだろう、という安易な考えで選んだコースである。

朝の8時から午後13時までの週5回を半年間。これだけ聞くと、なかなか良さそうではあるが、実際に通ってみてすぐにこう思った。

「時間のロスでしかない。」

やる気のないコース受講者にやる気のない講師。これに尽きた。免除される受講料は数千ユーロ。全くもって税金の無駄遣いである。

ただ、全てのコースがだめなはずはないので、運が悪かったのだろう。ただし、ジョブセンター絡みの再教育コースに関する良い噂は余り聞かないのも事実である。

極端な話、この時間にブログをきちんと書いたり、独学でプログラミングでもやった方がよっぽど何かの足しになったに違いない。当時は残念ながらそういう考えには至らなかったのだから仕方がない。

それでも、結果として失業保険が半年延びたのだから良しとせねばなるまい。

とにかく子供達が最強に手が掛かる時期だったので、ゆっくりと考える気力や体力もなかったのだろう。想像力も欠如していたようで、キタへのお迎え時間までに終わるコースで自分にも何らかの見返りがある内容のものとして絞り込んだ結果だった。

もし、就職して失業するようなことがあれば、失業保険はしっかりと申請し、1年なり1年半なり次に繋がる何かを自分なりに見つける時間を確保するのがいいのではないかと思う。

気の利いたアドバイスはできないが、ジョブセンターの言うことは鵜呑みにしない方がいい、ということだけははっきりと言っておこう。基本的には自分でリサーチした上で経験者の意見を取り入れつつ判断を下すのがベストかと思う。

結局、1年半ほどの失業保険の後はフリーランスとして、メディア全般のコーディネートを中心に仕事を始め、今に至っている。

子供達も大きくなってきたので、そろそろ並行して、他のプロジェクトにも着手したいと考えているところだ。

 

Aufnahmeleiter / Koordinator / 撮影コーディネーター

珍しく仕事の話を少し。

今月はなぜか毎週のようにロケや取材が入っていて忙しい日々を過ごしている。毎日、制作会社勤めをしていた頃のような忙しさである。

ロケに行って洗濯をし、また荷造りして次のロケへ出る。

正直、今年前半はテレビ番組の撮影が数本入ったきり、後は小さな案件がちょろちょろ入る程度で閑古鳥が鳴いていた。

「いよいよ、営業しないと仕事が取れないな。」などと思いつつ、夏休みによく考えず帰国したのが嘘のようだ。結局、子供中心に動いたため営業もできなかった。

フリーランスというものは定期的に仕事が入るわけでもないので、このように先行きが見えない不安、というものを多かれ少なかれ感じるものなのだ。

会社にいた時はまだテレビ全盛の時代であったので、それこそバラエティーに富んだ番組の撮影を経験してきた。W杯にサッカーの取材、クラシックコンサートの中継から旅番組、情報番組などなど。

タレントがわざわざドイツまで来て海外ロケをする、というのも極めて頻繁に行われていた頃だ。

フランクフルトのボーリング場にスタジオセットを組んで撮影したこともある。その時は日本側とドイツ側のスタッフ総勢40人ほどを相手に仕事をしたが、あんな仕事はもう2度とやりたくない。

手配したクレーンが日本のものと違うと言われ、発注し直したクレーンからカメラマンが落ちるわ、撮影が長引きすぎてドイツ人の照明スタッフが途中で帰る、と言いだすわ。

まるでワガママまな幼稚園児を束にした相手と仕事をしているような現場だった。

某スポーツカーの撮影では300キロの車をヘリで追跡する撮影を行った。上下左右に振られ、危うく胃の中のものが全て出そうになったり。真っ青な顔でギリギリ着陸。

気球を使った撮影では風まかせで降りたところが畑のど真ん中で持ち主が飛んできて怒鳴られたり。

それはもう色んなことが現場では起こるのである。

会社を辞めてフリーになってからは、割と落ち着いた案件が多い印象だ。

気心の知れたクライアントさんや知人友人繋がりの仕事だからなのだろうが、時代の変化もあるのかもしれない。

最小限の機材に最小限のスタッフ。小回りが利き、無駄がない体制。ずいぶんと現場もやりやすくなっている印象を受ける。

ベルリン見本市でのカメラチーム

無駄がない分、一人当たりの負担は増えるわけだが、先日のベルリンとフランクフルトの見本市でもご一緒したカメラチームのほとんどがコミュニケーション力抜群でとても助かった。

ドイツ語や英語使いのクルーだと、間に割って入る必要がない分、進行がスムーズ。フランクフルトには以前から一緒に仕事をしているドイツ人音声と共に向かったが、日本からいらしたベテランカメラマンが英語で話してくれる、と嬉しそうにしていた。

コンパクトだが優秀な4Kカメラ

ドイツ人音声で日本のカメラチームに入ると、誰とも会話できないという状況も多々あるからだ。

そんなわけで、現場における自分の仕事は圧倒的に減ってしまったのだが、そこは割り切ってフードコーディネーターに徹してみた。

さすがビジネスの街フランクフルト。レストランのクオリティーはいたって高めの印象だ。

・ランチは時間のある時はラーメンにお寿司。それ以外は見本市会場でソーセージなど
・夕食はドイツ、イタリア、ベトナムに韓国レストラン

フランクフルト名物のGrüne Soße

どれも非常に美味しく、美味しいと翌日も楽しく仕事ができるというわけでいい感じに全行程を終えることができた。

寿司ランチ@岩瀬

ロケの食事は侮れない。