Fussballverein in Berlin / サッカークラブ事情

以前の投稿「サッカーと週末」で少し触れたように、ドイツでのサッカー熱というのは学校の勉強云々以前に厳しい印象を持っていた。

小学校2年に新級する前の夏休みにとうとうサッカーチームから連絡が入る。

「新学期から週2で練習に来れませんか。」

とうとうこの日が来たか。行けないことはないが、曜日によっては調整が必要。水泳教室の曜日をずらしてもらうことができたので、しっかり2日参加できることになった。

週2で16時半から18時までのトレーニング。場所は自宅から自転車で約10分から15分ほど離れたところにある人工芝のサッカーグラウンドだ。

通えない場所ではないが、まだひとりで行くには少し遠い。週2回のトレーニングに加え、週末にはベルリンの様々な地区にあるチームとの遠征も控えている。

実質、週に3度みっちりサッカーをすることになるというわけ。

息子の場合、サッカーでも水泳でもやり始めてからエンジンが掛かるまでかなりの時間が必要だった。サッカーの場合はほぼ2年。水泳の場合は1年半ほどだろうか。

一旦、エンジンが掛かると長く続けられるタイプなのかな。

そんなわけで、8月初旬から本格的にサッカーの練習が始まった。

「やっと本気サッカーできるな。もっと試合したかってん。」

確かに週一土曜日のチームでは半年前ほどから物足りなさそうな印象だった。

大阪でサッカークラブを探してみたことがあるが、練習場が遠いところにしかなくびっくりした。そういえば小学校の運動場や近所の公園でもサッカーを禁止しているところが多かったように思う。

スケジュール的にはこんな感じである。

月:16時半〜18時 サッカー
火:16時から17時 水泳
水:15時半から18時半 日本語補習校
木:16時半〜18時 サッカー
金:—–
土:午前中 サッカー(ホームあるいはアウェイゲーム)
日:—–

低学年のうちはまだなんとかなりそうだが、ドイツ語や算数はいつやるの。。

少なくとも補習校の宿題をする時間を取るため、サッカーの練習が始まる前の30分を確保する必要がある。そのために小学校へ迎えに行く時間が1時間ほど早くなる算段だ。

全て1時間ほどの前倒しになるので、サッカーのトレーニング中は近くのカフェで作業をしてその分を取り戻す。仕事が忙しい時はそれでもなかなか大変である。

サッカーの練習が増えた分、夕飯の仕込みや学校の迎えが早まり、さらに時間の確保が難しくなってしまった。ここは集中して作業を進めるより他、なさそうである。それも限度あるよなぁ、というところか。

先日の「日本語補習校」でも書いたが、長女の補習校の宿題をゆっくり見る時間がほとんどないので、完璧を目指すのではなく、8割を目処にできる範囲でやるしかない。

今のところは楽しそうにサッカーに行っているので、付き合えるだけ付き合ってみるか、という心境かな。週末の試合の方は相方に任せている。サッカー好きで本当に良かった。親も好きでないとなかなかハードルが高い。

アウェイの試合がこれまた車で30分、40分離れた場所、集合時間が8時15分など早朝開始というのが割と多いので、土曜日も早起きだ。これは正直かなり辛い。

これから冬に向けてどれほど試合があるのか定かではないが、お手柔らかに願いたいところ。寒くなってくるのでトレーニングウェアやら雨天用の上着など、揃えなければならない物も多くなる。

ドイツのサッカー熱は思った通り熱かった。オーガナイズは相変わらずあってないようなものですけどね。それについてはまた次回。

Japanische Ergänzungsschule / 日本語補習校

ベルリンで子供たちが小さな頃からお世話になっている日本語補習校。

先日、小学校4年生を担任するベテランの先生による懇談会が行われた。

日本で教員歴が30年ほどという先生。気さくで本当に素敵なお人柄。長女も大好きな先生である。

1時間弱という短い時間で「なるほど!」という気付きの多いお話が聞けたので備忘録としてまとめてみようと思う。

4年生は週に1度、15時半から18時半頃まで途中に休憩を入れて国語の授業が行われている。現在は11月に行われる劇の発表会に向けて1時間目に「劇学習」の時間が設けられている。

劇が終われば、漢字検定試験の対策授業として「漢検」の授業、漢検を受けない子供たちのために「文字学習」の授業などが行われる。

ベルリンの現地校によっては1時間目の授業に間に合わない生徒もいるため、1時間目は教科書を使わない授業が設定されているようだ。

さて、4年生の授業だが、以下のような流れで行われている。

10分 漢字テスト(読みおよび書き)→漢字に強い子はそのままテストを行うが、漢字が苦手な子供については見本を見ながらこの時間内に集中して視写を行い漢字学習をさせる。

漢字や視写については、この子にしてはきれいに書けている、もっとキレイに書けるはず、というように個人内評価で丸を付けている。「見ているよ。」というアピール。

50分〜60分 教科書を使用した読解など

30分 作文指導

10分 新出漢字 →時間が限られているのでポイントになる漢字を集中して学習する。

日本語の学習は「読む、書く、聞く、話す、コミュニケーション」力を養うことを目指している。

4年生の日本語学習で問題になるのは、音読み熟語が増えることだという。

「聞いてね。」というと聞けるが、「質問してね。」と言うとわからない子が出てくる。「プリントを先生に渡してね。」だとわかるが、「提出してね。」となると理解できない。

理解できない言葉が増えるに従い、モチベーションが下がってくるのだ。

花が一本なのか一輪なのか。周辺、周り、辺りなど類似するが微妙なニュアンスの違いを理解できているか。

4年生、5年生の山場はさらに政治や経済などの概念が出てくること。これらの概念はドイツ語でもはっきりとは分かっていないし、それを漢字で理解するとなるとさらにハードルが上がることになる。

これは娘の音読の様子を見ていて既に感じていたことでもあるが、物語だと比較的すらすら読めているのに、説明文になった途端、読めない漢字が続出し、すらすらと読めなくなる。

これは、物語は訓読みの世界で説明文はどちらかというと音読みの世界だということに起因している。文中に使用されている熟語の差であり、語彙不足から来る理解不足ということに繋がるのだろう。

語彙を補うにはどうすればよいのだろう。

・宿題に入っている「多読教材」を行うこと。とにかく漫画でも本でもいいのでどんどん読ませること。
・単文作り。文にする力をつけること。ひとりでスラスラ書ける子もいれば、こちらが作ってあげて読み上げたことを写す(聴写)子もいる。その子にあったレベルで指導に当たる。主語と述語をきちんと書かせることが大切。
・音読というのは最重要課題。きちんと聞こうとすると親も疲れてしまうので、気持ち半分くらいで聞くのが良い。

語彙感覚を養うこともとても重要だ。

自分の前へ 
    に
    を

たった一文字だけでニュアンスが大きく変わる。

あの有名な先生、といったときの「あの」に含まれる意味は??

日本語ネイティブの自分にとっては普通の言い回しひとつとっても、奥が深いことに気付かされる。

我が家の子供たちはドイツ語と日本語で育っているが、日本語に関してはドイツに住みながら家庭での母親とのやり取りや補習校の授業でのみ使用される言語ということになる。

日本で日本語を自然と身に付けた自分では気付けない難しさがドイツで育つ子供たちにはあって当然だということを忘れてはならない。

日本語学習の楽しさや言葉の持つ深みなどを子供たちの日本語学習をサポートすることで改めて感じられることに感謝したい。

仕事との兼ね合いで補習校の宿題がかなり適当になってしまうこともあるが、やはり日本語補習校の存在はとても大きな助けになっている。

これから子供たちが成長していく上で、メンタル面での変化やバイリンガルならではの悩みなども出てくるだろう。そんな時に同じような境遇に置かれている友達に学校に行けば会える、ということも日本語学習をする上で励みになるはずだからだ。

まだまだ先は長いが、できるだけのことはしてあげたいな、と常に思ってはいる。ただ、志はあっても、なかなかそれを実行に移すのは難しいというのが正直なところではありますが。。


Ämter in Berlin / 使えないお役所

先日の労働エージェント(前労働局)やジョブセンターについての投稿「ジョブセンターの悲劇」に続き、またお役所のダメっぷりを押し出すような形の投稿になってしまうが、今、非常に困っているのでその件について少し書いてみよう。

そういえば、巷ではまた来年度の新一年生のための入学申し込みの時期だ。

校区が長女の時と長男の時とで運悪く変わったため、姉と弟はなぜか違う小学校に通うことになってしまった。こちらについても「小学校入学までの道のり」で詳細を書いているので気になる方は目を通してみて欲しい。

別々の小学校で何が困るかと言えば、行事が重なったり2度学校に出向く必要があったりと面倒なことだ。

姉と弟のふたりで初めは通学できたところなのに、それも叶わず。

こういったことを避けるため、「兄弟優先枠」というもの建前上は存在する。長女の学校に席を確保すべく校長や秘書に交渉したり、市の担当者に掛け合ってみたりもしたが、こちらの希望は認められず別々の学校に通うことになった。

最後に学校局(Schulamt)から受け取った手紙にははっきりとこう書かれていた。

Widerspruch(「反対の意」)は受理しました。審査の結果をお知らせしますのでお待ちください。

待てど暮らせど書面での知らせは来なかったのだから、本当にずさんな対応である。

来ない知らせの内容によって、同じ学校に通えるのか通えないのかがはっきりするわけなので非常に迷惑な話だ。

結局、長男が現在通っている小学校の事務担当者に状況を伝え、返事が来るまで正式な入学手続きを待ってもらえることになった。

しかし、全く進展がないので「入学できることはもうないだろう。」との判断で今の小学校の入学手続きを進めたわけである。

義務教育の小学校の入学申請でさえこの有様。

今回、困っているのは急遽決まった日本行きの直前に提出したホート(学童保育)のための手続きが一向に進まないという点だ。

ホートに行けないとなると、娘の帰りは早ければ13時半を少し回ったくらいの時間になってしまう。

仕事がないときはそれでも何とかなるが、ロケや取材が入ってしまうと娘は完全に鍵っ子状態になる。それは出来るだけ避けたいところだ。

6月中旬に提出した申し込み書に対して、返答が来たのが7月下旬頃。そこには「追加で必要な書類があるので8月下旬までに送付してください。」とあった。

そこで、8月上旬に追加で書類を送ったのだが「メールを受け取りました。」という自動メールが返ってきただけで、今まで全くの音沙汰なし。

2019年は夏季休暇が6月中旬から8月頭だったので、新学期開始に全く間に合っていないのである。

そこから1ヶ月半が経ち、まず小学校のホート担当が「ホートの許可書が届いていないがどうなっているのか。」といった旨の連絡をよこした。

許可書がないとホートで子供を預かってもらえないのだから、これはわかる。

こちらの事情を説明すると、小学校の方から直接担当者にメールで確認メールを入れてくれたようだ。小学校の担当者からのやりとりに関する転送メールにはこう記されていた。

「保護者から足りない書類が届かないので、手続きできません。」

いやいやいや。8月上旬に送ったメールは一体どこに行ったのか。

9月は私も仕事の関係で出たり入ったりが続き、ホート案件に時間を取られている場合ではなかった。

そんなわけで、ほぼ放置してしまっていたのだが、ベルリンのお役所の手続き関係で2週間以上の音沙汰がない場合は担当者に電話なりメールなりで状況を確認した方が良い。

追記:担当者を電話で捕まえて状況を確認したところ、こちらの予想通り「メールは受け取っていない。」との返答。メールを8月上旬に送信済みで、メール受理の自動返信が来たことを伝えると、今度はこちらが送った内容が明確ではないので云々などと責任転嫁を図る担当者。

さすがにこれだけ無駄に待たされた挙句、それはないだろうということで猛烈に反論したところ「今日中に処理します。」と担当者。

こちらから電話で確認をしていなければ、この件はそのまま闇に葬られていたことだろう。

Jobcenter / ジョブセンターの悲劇

労働局やジョブセンターについては実はずいぶん前から書こう、書こうと思いつつ書いていなかったネタだ。

あくまでも個人的な私の経験を以下、記しておこうと思う。

2002年からほぼ10年間勤務した職場を第二児妊娠を理由に解雇(あくまでも表向きは希望退職という形)されて辞めることになった。

さて、どうしたものか。当時は希望退職という形で労働局(Arbeitsamt:現Bundesagenture für Arbeit)に失業保険を申請する場合は手当を3ヶ月カットされてしまうからだ。

ここは正直に解雇になった理由と経緯を書面で先方にきちんと伝えることにした。

こちらの説明が正当な理由として認められ、結局失業保険3ヶ月分をカットされることは免れたのを記憶している。

長女がまだ4歳、長男が2歳になったばかりで育児に振り回される日々の最中、非常に煩雑な手続きだったことを覚えている。

とにかく、週に20時間のオフィス勤務から全く別の生活リズムに慣れることが先決だったのだが、手のかかる小さな子供達の育児で全くもって手一杯だった。

正直なところ、二人目の妊娠によってこれまでの職場を解雇される、というのが自分の中でなかなか気持ちの上で割り切れなかった。

今になって振り返ってみると、10年(も)勤務したタイミングで退職できて本当に良かった。恐らく会社というものはそういうものなんだと思う。

しかし、その当時は妊娠したために解雇になった、という流れに「結局、実際に妊娠や出産をしなければならない女性の方がこれまでの職場を放棄し生活の変化を余儀なくされてしまうのか。」という思いが先に立ってしまった。

そして、労働局というかジョブセンターの対応には心底がっかりした。なぜか。

失業保険が給付される必要条件として、労働局管轄のジョブセンターに定期的に出向して現状報告をするという義務が課されていた。

とにかく再就職の意思を見せておかないと色々とまずいことになるような感じなのである。

細かなやりとりまでは残念ながら余り記憶していないのだが、「再教育プログラム」なるものを受講すればその間は失業保険が延長して給付されるということらしく、どういった内容のコースがあるのかについて相談を受けたことがあった。

一言でいうと、担当者の言っていることがトンチンカンで全く役に立たなかったのである。

仕方がないので、自分で色々と調べた挙句、家から自転車で通える距離にあるコースを半年だけ受けてみることにした。

英独ビジネス翻訳講座、正式名称は忘れてしまったが、とにかくビジネス英語とドイツ語を一度に習えていいだろう、という安易な考えで選んだコースである。

朝の8時から午後13時までの週5回を半年間。これだけ聞くと、なかなか良さそうではあるが、実際に通ってみてすぐにこう思った。

「時間のロスでしかない。」

やる気のないコース受講者にやる気のない講師。これに尽きた。免除される受講料は数千ユーロ。全くもって税金の無駄遣いである。

ただ、全てのコースがだめなはずはないので、運が悪かったのだろう。ただし、ジョブセンター絡みの再教育コースに関する良い噂は余り聞かないのも事実である。

極端な話、この時間にブログをきちんと書いたり、独学でプログラミングでもやった方がよっぽど何かの足しになったに違いない。当時は残念ながらそういう考えには至らなかったのだから仕方がない。

それでも、結果として失業保険が半年延びたのだから良しとせねばなるまい。

とにかく子供達が最強に手が掛かる時期だったので、ゆっくりと考える気力や体力もなかったのだろう。想像力も欠如していたようで、キタへのお迎え時間までに終わるコースで自分にも何らかの見返りがある内容のものとして絞り込んだ結果だった。

もし、就職して失業するようなことがあれば、失業保険はしっかりと申請し、1年なり1年半なり次に繋がる何かを自分なりに見つける時間を確保するのがいいのではないかと思う。

気の利いたアドバイスはできないが、ジョブセンターの言うことは鵜呑みにしない方がいい、ということだけははっきりと言っておこう。基本的には自分でリサーチした上で経験者の意見を取り入れつつ判断を下すのがベストかと思う。

結局、1年半ほどの失業保険の後はフリーランスとして、メディア全般のコーディネートを中心に仕事を始め、今に至っている。

子供達も大きくなってきたので、そろそろ並行して、他のプロジェクトにも着手したいと考えているところだ。

 

Ein besonderer Tag / 晴れの入学式

晴れの入学式。

新入生を歓迎するため、2年生に進級した息子は舞台に上がって一学年下の子供たちとその晴れ姿を見守る大人たちの前で歌を歌うという使命を果たしてきた。

「ママ、いつ歌うん?今日はいつ授業あるの?」

1日前からどことなくソワソワしていた息子。土曜日、しかも入学式の当日に授業はないのでご心配なく。

セレモニーが行われたスペースが広くなかったため、歌は聞けなかったが息子曰く「うん、よかった。」とのこと。

担任の先生が後日、合唱の動画を送ってくれるのだそうだ。

息子とクラスメートが式に参加している間、保護者は入れ替え式ですでに式を終えて中庭に降りてくる子供と保護者のために飲み物やケーキなどを販売することになっていた。

当日の朝に慌てて焼かれたと思われる生焼けのケーキ、気温が高くて暑いにもかかわらずチョコレートがたっぷり使われたケーキなど、途中からドロドロに溶けて売り物にならないケーキがいくつか出たりもした。

販売を手伝ったおかげで来年、ケーキの寄付をする際の参考になったわけだ。

息子の小学校はきちんとした日本語補習校とは仕切りが全く違うので、事前に販売料金を知らされてもいないければ、何のケーキだという説明のメモ書きなども一切ない。

「ヴィーガンケーキ」というこだわりのケーキにだけメモ書きが添えられていた。

結果、値段の割には小さくカットされすぎのケーキや一見なんのケーキか分からないものなども多々あった。

そんな相変わらずの緩さでオーガナイズされる保護者会の販売スタンドも、天気に恵まれ晴れ晴れとした顔の新入生や子供の進級を祝う親たちの嬉しさオーラで特に問題なくとり行われていた。

緩くても何となく始まって何となく終わるのだから、これはこれでありなのだろう。

普段のお迎えどきにはじっくり話し込む時間がないので、相変わらずクラスメートの半分以上の子供とその両親の顔と名前が一致しないので困るのだが、覚えられないので仕方がない。

誕生日に呼んだり、呼ばれたりした子供と両親の顔だけがきちんと分かっているような具合だ。

とにかく子沢山のクラスのようで兄弟姉妹が増えてますます賑やかになっていたのには驚いた。

新学期が始まり、1週間が経って新しい規則などに関するお知らせが入っていた。新入生が登校してくるタイミングでこれまでの遅刻の多さ対策なのか8時5分を過ぎて登校してきた子供は事務所で遅刻を届け出てから教室にいくように、とのことだった。

うーん。こんなことをすれば遅刻してきた子供はますます教室に行くのが遅くなるだろうし、この新しいルールによって遅刻者が減るともあまり思えない。

長女の小学校のように初めから時間が来たら正門をきっちりと閉めておけば、遅刻者もそれほど増えずにすんだのではないのかな、と疑問に思う。

ケーキを売りながら、他の保護者とそんな話が出たりもした。

何はともあれ、新入生の皆さんご入学おめでとうございます!!

来週の月曜日は始業日。混乱は目に見えているのでいつもより少し早めに起きて準備しようねー。
頼むぞ、2年生になった息子よ。。

Zum Lesen motivieren / 読書習慣

我が家の子供たちを見ていると、自分が子供の頃の読書量とは比べものにならないほど自分から進んで本を読まない。

最近の子供にありがちなのだろう。じっくりと落ち着いて本を読む、という行為よりもYouTubeなどの動画を見ている時間の方が圧倒的に長い。

少し話は逸れるが、長女がお世話になっているピアノの先生とも「なぜ今の子供が楽譜を読めないのか問題」について度々話をしたことがある。

楽譜を読まずに暗記で曲を弾くことに慣れている子などは、18歳くらいになってもドレミがわからないのだそうだ。練習の際も、曲の途中で「はい、ここから弾きなおしてみて。」と言っても、それが一体どこのことなのかさっぱりわからず曲の最初から弾き直さないといけなくなるらしい。

自分たちがそんなことで困ったことがないので、まず原因が分からない。そして何がそんなに難しいのか理解できない。

その時にもやはり今の子供たちは生まれた時からスマホのある環境で育っているので、落ち着いて譜読みするという行為が苦手なのではないか、という結論に至った。

これは何もデジタルネイティブ世代だけに当てはまる問題ではない。

大人だって全く同じで、ふと気が付けばTwitterなどのSNSをチェックしたり、YouTubeで動画を受動的に見たりしている時間が増えているはずだ。

そしてそれに反比例して、読書量が致命的に減っているに違いない。

紙に鉛筆で文字を書く、という行為もほとんど必要なくなった現代では、漢字を書けない人を山ほど生み出していると思う。タイピングで素早くテキストをまとめる作業なども脳の使い方に何らかの影響があるに違いない。

懐古主義とかではなく、デジタル化によって脳の処理能力やその他、多方面で明らかに影響が出ているのではないかと思ったわけだ。

前置きが長くなってしまったが、そんなわけで読書量を意識的に増やす努力をしたいと考えた。

そのために必要なのはもちろん自分が興味を持てる本を入手すること。
短い時間でも構わないのでとにかく時間を確保すること。
必要であればスマホを見ない時間を設定すること。
移動中にスマホを操作する代わりに本を読むこと。

スマホを手にする回数を減らせば、自然と時間が確保できるのでその時間を読書に当てることができればいいだろう。

そして、習慣化できてしまえば何の問題もなさそうだ。

子供たちについては、補習校の音読の宿題や読書感想文を余力のある時にやらせたり、ドイツ語を1日1ページでもよいので声に出して読んでもらうようにしている。

日々の小さな積み重ねがいつか山になることを願って。

と、書くのは簡単だがなかなか思うようには行かないんだよなぁ。。

今日の読み聞かせは「けんた・うさぎ」。「ぐりとぐら」や「ももいろのきりん」を書いている中川 李枝子さんの作品。山脇百合子さんの絵も可愛い。

そして、寝る前にザミャーチンの「われら」を読むことにしよう。1920年代ロシアのディストピア小説。

タイトル写真:「読書管理ビブリア」の本棚

Wiedersehen nach 10 Jahren /10年ぶりの再会

一時帰国中に奈良で昔の同僚と。

先日はベルリンで昔の友人と。

10年、あるいはそれ以上会うことのなかった友人に会いに行った。

なぜそんなにブランクが空いてしまったのだろう。

子供たちも不思議そうに言っていた。

「ママ、なんで友達やのにそんなに会ってなかったの?」

そして、その理由を考えた。来月、長女は10歳になる。

ちょうど、第一子を出産したのが10年前に当たるのだ。

その頃は自分に子供ができるなど全く想像もしていなかった。年齢的にも微妙と言えば微妙で、もう子供は産まないだろうな、くらいに考えていたように思う。

ところが子供は生まれた。そして、それ以降は未知の世界が待っていた。

それまでは自分が世界の中心にいたわけだが、妊娠して出産してからというもの、世界の中心は子供に取って代わられたのである。

それがいいとか悪いとかそういう話ではなく、ただ、そうなっただけなのだ。

外国で生活する、というのはそれほど難しくはない。それまではそう思っていた。ところが、自分の事で手一杯だったところに子供の存在が加わった。

それによって仕事のやり方も生活スタイルも変えざるを得なくなった。

自分の世話だけでなく、赤ちゃんの世話が必要になった。

すぐに体力の限界、精神力の限界がくる。そんなキャパオーバーになる自分に愕然とした。

こんな状況になると、好きな時に自分の知人・友人に会う気力も体力も失われてしまうのである。

そんな調子で10年などあっという間に経ってしまった。これまでは気軽に声を掛けてくれていた友人たちも子供が生まれた途端に連絡が途絶えた。

忙しいだろうから、という心遣いもあったのだろう。

でも、子供たちも気が付けば7歳と9歳になって少し自分の中にゆとりが生まれた。ゆとりが生まれた、と言っても以前のようなわけにはいかないが、それでも子供たちが0歳と2歳、2歳と4歳だった頃に比べれば随分と楽にはなったのだ。

そんなタイミングで奈良では子供たちを連れて、以前同じ職場で働いていた同僚に再会できた。

そして、ベルリンでもひょんなことから連絡を取ることになった友人と再会できたのである。

彼らからすれば10年以上も連絡をよこさなかった薄情な友人なのかもしれないが、私にとってはそのわずか数時間の再会はとても貴重なものだったのだ。

久しぶりに会って話せたことが単純に嬉しかったし、やはり自分の繋がりも大切にしないとなぁ、と当たり前のことを再確認した。

10年振りに会っても、ほとんどギャップを感じられず何だか安心した。これもSNSのなせる技なのだろう。近況はなんとなく流れてくるからだ。

「また近いうちに会おうね。」と言って別れた。

近いうち、が10年後になりませんように。

最後に、この再会を記念してロシア人の友人が「いい曲だよ。」と教えてくれたTORPEDO BOYZ – Ich Bin Ausländer (Leider Zum Glück)のリンクを貼っておこう。

Villeicht bleibe ich auch hier.

Ferien mit Kindern / 長期休暇と子供たち

さて、日本でも夏休みが始まった頃だ。

今年のベルリンの休暇は「もうすぐ夏休み」でも書いたとおり、なぜか6月中旬から始まっている。残すところ、わずか2週間である。

わずか、というかまだ2週間もある。

ドイツはこんな風に毎年、それぞれの州ごとに休暇のタイミングを意図的にずらしているのだ。休暇大国ドイツの知恵とも言えるだろうか。

それでも今年は格安のフライトで急遽日本に行って来たので1ヶ月はメインイベントができたわけだ。イベントマネージャーとしては非常に助かる展開である。

残りの2週間については最初の1週間で残っている補習校の宿題ややり残しのドイツ語のワークなどを一緒にしたり、部屋の片付けをしたりしようと考えている。

息子の小学校のホート(学童)はつまらないという噂だし、子供たちもほとんどいないらしい。そんなわけで休暇ホートは利用しない考えだ。

娘の小学校はホートが充実しているが、高学年になってくると喜んで行ってはくれなくなってくる。

最終週に相方が休みを取ったそうなので、ブランデンブルク州に日帰り旅行するなり、湖に行くなりできるといいかな。日本で海と山に行けなかったので、ザクセンドイツ辺りで山登りをしてもいいかもしれない。

休暇の終わり頃に申し込んでいたサッカーキャンプはキャンセルすることにした。イベントが多すぎるのもどうかと思ったからだ。

とまあ、こんな風に6週間にわたる長期休暇が来ると、小さな子供たちのためのイベントを考えるのも親の仕事だ。

ドイツ人というか、欧州の人々はバケーションのために働いているといっていいほど、休暇に入った途端、旅行にいってしまうので街から人の気配がなくなる。

仮に長期的な旅行に出かけなくても、ベルリンのような都市に住んでいれば様々なイベントやワークショップも行われているので積極的に利用するのも手だ。

  • 休暇ホート
  • 各種ワークショップ(美術館、博物館など)
  • 休暇パス(Ferienpass)の利用:スーパーなどで9ユーロで入手可能。公共プールが無料になったり、施設の優待チケットなどが付いているので便利。「年間100日間の休暇分9ユーロ」が謳い文句。
  • 郊外や近場(ポーランドやチェコ)に遊びに行く

例年はこんな風にして長い休暇を乗り切っているわけだ。ここ最近は少し暑すぎるが、これまでは夏は非常に過ごしやすい気候だったのでわざわざ出かける必要を感じなかったというのもある。

ふと思ったのだが、自分の子供の頃を振り返ってみても特に特別なことはしていなかったんだよなぁ。京都にハイキングに行ったり、たまに海に連れて行ってもらったくらいで旅行らしい旅行はしていなかった。海外なんて以ての外だ。

そういう意味では小さな頃から自然と異文化に触れられる環境の子供たちを羨ましく思わないでもない。

皆さんはこの夏休み、どんな風に過ごされていますか?

Münzprägeanstalt Osaka / 造幣局見学

大阪の人は造幣局、と聞けば桜の通り抜けを連想するくらい造幣局の春の桜は見事だ。

桜の通り抜けで有名な造幣局本局

娘が工場見学に行ってみたい、というので滞在期間中に見学が可能だった造幣局へ行ってみることにした。

食品系の工場見学はかなり人気が高いようで直前の予約だと空きが全くなかったためだ。カップラーメンとかMeijiの工場見学など面白そうなものがたくさんある。

造幣局へは近所なのでよく考えずに足を運んだのだが、紙幣を作っているのは東京にある国立印刷局で大阪の本局では貨幣や記念コイン、勲章や褒賞を製造している。

紙幣と貨幣について深く考えて使っている人は少ないと思うが、紙幣は日本銀行券と印刷されているように発行先が日本銀行、貨幣の方は財務省の発注、要は政府によって発行されている。発行元が違うのだ。

見学案内の方の説明ではまずここで、お札が大量に工場で製造されている様子を期待して造幣局に来た人はがっかりするのだとか。

さて、見学の流れだが、造幣局の沿革や貨幣製造工程などをまとめたビデオを鑑賞した後に工場をガイドの方の説明付きで見学するというもの。博物館は最後に自由に見学が可能だ。所要時間は1時間半から2時間ほど。

大阪らしいなぁ、というか驚いたのは「はい、ではこれから蚊の非常に多いところを通って工場まで移動しますので、必要な方はこちらのスプレーをご使用ください。」という下りだった。

子供たちもきょとんとしていたが、見よう見まねでシューシューやっていた。

どんなところを歩かされるのかと思いきや、川沿いの桜の通り抜けとは反対方向に桜の木の立つ庭をほんの数分移動するだけであった。

案内係りの方曰く、「いつも蚊と戦っております。」とのこと。どこまでが冗談なのかよくわからない。工場にもあちらこちらに蚊除けのスプレーの缶が置かれていたので本気なのだろう。

右がドイツ製の圧印機

そんな工場の入り口前にはふたつの古い機械が展示されていた。造幣局の創業期に使われたいたフランス製とドイツ製の圧印機である。当時の造幣技術は欧州の方が断然進んでいたためだ。

圧印機とは貨幣に縁を付けたり、模様を付けるプレス機のこと。

本日できたて!の100円

現在の圧印機もドイツ製シューラー社の機械が導入されていた。ガラス越しなのと人が映り込むため写真がないのが残念。

工場見学はタイミングが悪かったのかラインがほとんど稼働しておらず子供たちと一緒にがっかり。貨幣製造工場なので、金庫と同じため見学者はどちらにせよ細かな製造過程を実際に見ることはできないのだと思う。

圧印機が1台の生産量は500円硬貨の場合こうなる:

  • 1台    272000枚 1億3600万円
  • 1コンテナ 68000枚  3400万円
  • 1分間   750枚   37万5000円
  • 1秒間   12、5枚  6250円
何の工場だか見た目だけではわからない

製造過程が気になる方は貨幣の製造過程のリンクを貼っておくのでご参考までに。

結局、メインは工場見学よりも博物館の方になった。

博物館の展示内容はとても充実していて情報量も多かった。多すぎて途中で疲れてしまったほどだ。

小判座模型

造幣局の沿革、貨幣の歴史、製造に関する展示、記念硬貨のコレクションなどとにかくお金に関する情報がぎっしりと詰まった展示内容となっている。

千両箱
地方自治法施行60周年記念貨幣
ガス燈

上の写真左上にあるのは、明治4年(1871年)の創業当時、構内や付近の街路に立てられた65基あった 屋外照明用のガス燈のひとつ。その明るさは当時、ろうそくや行灯の灯りしか知らなかった 大阪の人々を驚かせた。

桜宮橋

桜宮橋、またの名を「銀橋」と呼ばれる橋のふもとにある大阪の造幣局。機会があれば是非足を運んでみては。