出産と仕事 〜Geburt und danach〜
前回の「対等な関係と出産」では、出産前は対等だった関係が妊娠・出産を経て崩れてしまう、ということを中心に書いた。
今回は「育児と仕事」というテーマで、あくまでも個人的な出産後の仕事に対するコミットの経緯について書いていきたいと思う。
1 一人目の出産と半日勤務
一人目の出産に伴い、これまでフルタイム勤務だったのが半日勤務に。週に20時間と時短になったわけだ。当然だが収入はその分減ることに。
業務内容はこれまでのロケ現場のコーディネーターから一転して事務所でロケのオーガナイズや経理担当へとシフトすることに。
時短とはいえ、ロケが立て込むとどうしても残業する必要が出てくるので、実質これまでの半分の時間で同じ作業量をこなしているような状態だった。
一番辛かったのは授乳中である。出勤前、長女に授乳してから保育園へ預けるのだが、勤務中に胸がパンパンに張って熱を持ってくるのであわや何度か乳腺炎になりかけた。
授乳中なので余計な薬も飲めない中、可能な限り最速で作業し、文字通り駆け足で保育園へ向かい、その場で授乳。あの瞬間の開放感というか安堵が忘れられない。
2 二人目の出産と解雇
一人目の半日勤務がきつかったこともあり、二人目の妊娠が分かった時はどこか素直に喜べない自分がいた。
「一時帰国がこれまでのように頻繁にできるのだろうか。」
「仕事はおそらく続けられなくなるだろう。」
真っ先にそんなことを考えている自分が正直、少し悲しかったのだ。
これまでの生活を変えなければならないのは私ばかりではないか、とも感じていた。
相方はこれまでの仕事だけでは家族を賄えないこともあり、カウンセラーの資格を取るための勉強を並行して始めることになった。
「でも自分は?自分には何ができる?」
半日勤務だった制作会社も表向きには「希望退職」扱いで解雇になり、再教育コースを半年受けながら自問する日々。コースを受けた半年分は失業保険手当も延長になった。そのためだけにやる気のなき受講生と机を並べる日々。
「ジョブセンターの悲劇」でもその時の体験記を書いているので気が向いたらよんでみてほしい。
悶々と悩みはするのだが、日々の育児疲れで考える気力がそれほどあったようにも思えない。二人目の息子は一人目とは全く勝手が違った。お腹が空けば泣き叫び、気に入らないことがあれば泣き叫ぶ。朝から晩までとにかく大声で泣き叫ぶのである。
娘は2歳。保育園への送り迎えも補習校への送り迎えにも弟を連れて行く必要がある。日々、そんな調子なのでMPもHPも限りなくゼロに近くなっていたわけだ。
3育児とフリーランスの両立
失業保険が切れる頃、そろそろフリーランスとして少しでも仕事をしてみるのはどうか、という考えに至った。とはいえ、子供たちはまだまだ手の掛かる2歳児と4歳児。ロケなどで家を長期的に空けるわけにもいかず、まずは在宅ワークが可能なリサーチや翻訳の仕事を始めることに。
「在宅ワーク」が可能、と書いたが2歳児と4歳児は当然のことだが冬場は決まって風邪を引く。
一度、新聞記者の同行取材の後に1週間以内でドイツ語の6時間強のインタビューを全て書き起こした上で翻訳をする必要があったのだが、もちろんこのタイミングで長男が保育園を休んだのである。
ただでさえ膨大な時間と集中力が必要な作業。まとまった時間が取れず、なかなか作業が進まない時はさすがにもう無理だ、と匙を投げそうになった。
相当な体力と精神力がない限り、幼い子供の育児と締め切り日のある仕事を並行してしようとは思わないほうが身のためである。
無理が続くと完全に病む。
相方は、というとこちらが仕事をしながら、散々子供たちに振り回されていることなど想像もできないので、帰宅時にストレスが最大値に上がっている私に途方に暮れる始末。
この時期に十分な会話がパートナー間でないと、かなりの高確率で産後クライシス(出産後2、3年ほどの間に、夫婦仲が悪化するという現象を指す)まっしぐらなのではないだろうか。この用語、実は2012年にNHKが提唱したものだということを今回初めて知った。
とまぁ、「仕事」にフォーカスすると夢も希望もない話ばかりになってしまい恐縮ではあるが、もちろん子供のいる生活、というのは大変な中にも新しい発見あり、ほんわか癒される瞬間もあり、とポジティブ要素も多々あるのでご心配なく!