Koppenplatz / コッペン広場

普段から気になっていたコッペン広場とそこに置かれたあるオブジェ。

この広場はベルリンのミッテ地区、かつてはシュパウダウワー・フォーシュタット(Spandauer Vorstadt)と呼ばれた歴史的な場所に位置している。

どちらかと言えば、余り手入れの行き届いていない小さな緑地化された広場だ。

そんなあまりパッとしない広場の一角に机がひとつと椅子が二脚、というシンプルなオブジェがある。一脚の椅子は床に倒れたままになっている。

机と椅子は木目のある床に立っているが、その床の周囲にはネリー・ザックス(Nelly Sachs)という作家による詩が刻まれている。

観光客が椅子に座って写真を撮っていたり、先日なんかはPCで作業している男性の姿を見かけたりもした。

この広場があるのが以前のユダヤ人居住区(Scheunenviertel)に当たるため、ユダヤ人関連のオブジェなのだろうな、と思っていたし子供たちにもそのように説明したことがある。

「ママ、あそこに登ってる子がいたけど、ほんまはアカンやんな。」

ブランデンブルク門からすぐの一等地に設置されたユダヤ人慰霊碑(正式名称:虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 / Denkmal für die ermordeten Juden Europas)も同じことで、観光客がオブジェの上に登って写真を撮ることが一時期かなり問題視されていた。

恐らく今でも無神経な観光客が後を絶たないに違いない。

歴史的背景を少しでもきちんと把握していれば、慰霊碑に上ってふざけた写真、いわゆるインスタ映えする写真を撮ろうなどとは常識のある人であれば思わないだろう。

さて、コッペン広場について少し調べてみることにした。

1853年8月12日から存在する広場はベルリンの公安および市の職員であったクリスチアン・コッペ(Christian Koppe)の名前がその由来になっている。彼は1696年にこのエリアを買い取り、1704年にベルリン市に貧しいもののための墓地を作るために寄贈した。

コッペンの貧困層のための墓地(Koppesche Armensfriedhof)は現在のコッペン広場よりも敷地が大きかったのである。

1849年の墓地の地図

墓地そのものは1853年に放棄され、公共交通網のために解放されている。

広場に面した場所に少し不思議な柱が立っている場所がある。実はここにコッペ氏や彼の親族の墓があり、墓の上に記念碑が作られている。

机と椅子のオブジェは「置き去りの部屋」Der verlassener Raumという作品で1991年にカール・ビーダーマン(Karl Biedermann)とエファ・ブッツマン(Eva Butzmann)によって考案され、1996年に作成された。

この記念碑は強制収容所に送られたユダヤ人を象徴しており、その歴史を記憶するために作られたのだろう。

ドイツではこのように自分たちの過去の負の歴史に向き合おうとする姿勢が至る所で感じられる。

小さな街角の何気ない広場の一角にも多くの歴史があった。

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