Nationalsprache /「国語」とは何か

「国語」と聞いてあなたはまず何を思い浮かべるだろうか。

日本で日本人として小学校に通っていれば時間割りに「国語」という表記が普通にあり、別に何とも思わないはずだ。「国語」は学校で習う単なる一教科にすぎない。

ところが、ドイツの小学校に通う子供たちの時間割を見ていて、ふと思った。

あれ、どうして日本では「日本語」ではなくて「国語」という教科名なのかな。

ドイツの時間割りでは「国語」という言い方ではなく、「ドイツ語」という呼び名が使われていたためだ。

「国語」というのは文字通り訳せばNational Languageということになる。ドイツ語ではNationalspracheやLandesspracheくらいが妥当だろう。

この「国語」という言い方を使っている国の方が少ないのではないか。ふとそんな気がしたのである。

実際、ドイツでは基本法にNationalspracheの記述が見られない。行政手続法(Verwaltungsverfahrensgesetz / VwVfG)では16の連邦州のうち13の州においてドイツ語および現地言語や少数言語を公用語(Amtssprache)とする記述が見られる。

このように諸外国では歴史背景や民族問題を鑑みて、どの言語を「国語」として認定するかということにとても慎重になっているように感じた。

さて、こんなことを考えるきっかけになった本がある。

温又柔(おんゆうじゅう)さんの「国語」から旅立って、という一冊。

夏休みに帰省したときに大阪のルクアイーレの蔦屋書店でふと目に止まり手に取った本だ。

電子書籍ではなかなか見つけられなかったであろう本との出会い。本と出会うためにやはり書店という箱は重要な存在だと思っている。

作者の温さんは台湾生まれの日本育ち。両親に連れられて2歳で台湾から日本に移住したという経歴の持ち主だ。

2歳で日本に渡り、日本で育ったのだからおそらくメンタリティー的にもほぼ日本人である彼女が台湾のパスポートを所持していることで、様々な場面で言葉と人種、自己のアイデンティティを問われる。

日本人の両親の元で日本で生まれ育ち、日本名を持つ子供。いわゆる「ふつうの日本人」であれば良かったのに、と温さんはこれまでに幾度となく感じてきた。

あなたを育みつつあることばが、あなたのことを支えはしても、あなたを貶めるようなことがありませんように。ことばに縛られるのではなく、ことばによってあなたを解き放つことができますように。あなたにとってのニホン語も、あなたがのびやかに生きるための力の源でありますように。いま、あなたがどこにいて、何歳だったとしても。

「あとがき」より 温又柔

手に取った書籍の帯にあった彼女の言葉。

彼女の視点はバイリンガルの子供を持つ親が触れておくと、何かのヒントになるのではないかと思う。自分の子供たちも多かれ少なかれ、自分たちの「母語」や「背景」について悩んだり、葛藤したりする時がくるかもしれないからだ。

そんな時に「ふつうの日本人」である自分が、少しでも子供たちの置かれた状況を理解する助けになるのではないか。そんな風に感じる内容だった。

いつか、子供たちがこの本を自分で読めるくらいの日本語力を付けてくれるといいなぁ、なんて思いながら。

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