旧東ドイツの遊園地跡へ
ベルリンに来たのは90年代の半ばだが、その当時は旧東ベルリンを中心に至るところに空き地があり、そこにバラック小屋のようなものが出現しては、夜な夜なパーティーのようなものが行われていた。旧東ベルリンの街全体がほぼ灰色だった時代だ。
街全体がびっくり箱のようで、道を歩く人も、今以上に訳がわからなかった。スマホもネットも普及していない時代なので、道を歩いたり、カフェに座れば知り合いができる、といった具合だった。とにかく、道を歩けば棒に当たるので退屈する暇などなかったのだ。
それが、マルクがユーロになったあたりから事情が変わり、持ち主不明だった不動産には買い手がつき、空っぽだったビルも解体あるいは新築されるにつれ、次第に普通の都市へと変化していく。そして、時間と共に道を歩いている人もベルリンにやってくる人たちのタイプも変わってきた。それがいいとか悪いとかではなく、時代の変化と共にベルリンという街も大きな変貌を遂げたわけだ。
気がついてみればずいぶん長く住んでいるベルリンという街に、最近は正直なところ、少し物足りなさのようなものを感じている。だから、意識してカメラを持って普段は行かない場所に出かけるようになった。以前のように歩けば何かに当たるとは限らないが、歩かないよりはいいはずだ。
今回はそんなわけで、ずっと前から気になっていたある場所に足を運んでみることにした。旧東ベルリンにあった遊園地跡である。
シュプレーパークと呼ばれる遊園地跡だが、現在は敷地の周りにはフェンスが張り巡らされており、自由に行き来はできないようになっている。ただし、1時間ほどのガイドツアーに申し込めば、敷地内をガイドと共に歩くことが可能だ。2024年中に観覧車が再建される予定になっているようだが、到底間に合うようには思えなかった。3年から5年後くらいには新しい市民公園として再出発できるかもしれない。ベルリンのこうしたプロジェクトの完成予定は、未定同然なので気長に待つより他はない。
ベルリンの市内にいくつかある公園と同じように、ここでもベルリン市民の声を取り入れて公園を整備する、というやり方が採られている。ここも、ベルリンの代表的な公園であるテンペルホーファーフェルト(Tempelhofer Feld)や壁公園(Mauerpark)と同じGrünBerlinが中心になってプロジェクトが進められているようだ。
ガイドの話を聞いて驚いたのが、「シュプレーパーク」としてこの公園が1989年から2001年まで稼働していたという事実だった。一度くらい足を運んでいても不思議ではないのに、全くそんな機会がなかった上、それほど周りでも話題になっていなかったように思う。その当時はまだ大きな観覧車にもジェットコースターにも乗れたはずだというのに。
2001年に閉鎖されてからは、遊園地は長い間放置され、自然に半ば飲み込まれるような形になってしまう。その後、2016年になってようやく公園の将来的な整備についてベルリン市が動いたことになる。今でも、こうして長年手付かずになっていた場所が市内に残っているというのがこの街の面白いところだ。
「シュプレーパーク」と呼ばれる以前の東独(DDR)時代には、1969年から1989年まで「カルチャーパーク・プレンターヴァルト」(Kulturpark Plänterwald)と呼ばれていた。
ここが東ドイツ唯一の常設遊園地であり、10年後にはDEFA映画(東ドイツの国策映画会社)の傑作「観覧車の下のお化け屋敷」(Spuk unterm Riesenrad)の舞台となる。そのためこの場所は、数世代にわたる子供や若者の記憶にしっかりと根付いているのだそうだ。YouTubeのトレーラーを見る限り、子ども向けのテレビ番組のようだがいかがだろう。
そのくらい、この場所と観覧車は切っても切り離せない関係にある。2024年に完成が予定されている新しい観覧車は人工池に吊るされるような形のデザインになっている。オリジナルのゴンドラが6人乗りだったのを4人乗りにし、240人から160人にしてサイズダウンするのだそうだ。
この場所にまつわる歴史を振り返ると、いくらでも書くことは尽きないが、今回はこの辺で。
シュプレーパークHP:https://www.spreepark.berlin/