Національний музей «Чорнобиль» / 国立チェルノブイリ博物館

2006年の8月上旬にキエフとオデッサに行った。前回の続き。

キエフでその他、特に印象に残っているのはチェルノブイリ博物館の入り口だ。

チェルノブイリ原発事故の展示入り口へと続く階段。
奥に見えるのがチェルノブイリの文字。

チェルノブイリ博物館展示入り口

2006年に博物館を訪れた時にはまさか、その5年後に福島で原発事故が起こるだなんて想像すらしていなかった。

チェルノブイリ博物館は国立の博物館だ。原子力発電所事故が起こってから6年後の1992年4月26日にキエフ市の中央に開設された。

日本で同じような国立の博物館が開設される日が来るのだろうか。現在、チェルノブイリ博物館では1階の展示スペースはほぼ福島の原発事故についての展示に当てられているのだそうだ。

そして、もちろん広島や長崎の原爆被害を伝える展示もある。

手書きで記された事故の記録

展示を見終わって、上ってきた階段を逆から見て背筋が寒くなった。

原発事故によって消滅した村々の名前が書かれたプレートが延々と続く。

チェルノブイリの事故の影響で、当時のドイツでも牛乳や野菜、果物などが大量に破棄された。

福島の原発事故からすでに8年が経っているが、現状がどうなっているのか正直あまり把握できていない。事故処理のその後についての報道がほとんどなされていないのもその原因だろう。

事故が収拾しているとは到底思えない

それでも、来年には東京でオリンピックが開催予定だ。

現実と理想の乖離が甚だしいようにも思えるが、皆さんはどうお考えだろうか。

ウクライナのチェルノブイリ事故から日本は何か学ぶことができているのだろうか。久しぶりにキエフで撮った当時の写真を見ながら、こんなことを考えていた。


Київ/ 2006年キエフへの旅

先日、「イースターとウサギ」についてブログを書く際に、以前撮った写真を探していたら長い間そのままになっていたFlickerのアカウントに行き着いた。

ヤフーアカウントにアクセスできなくなったせいで、Flickerのサイトにログインできなくなってしまったのは不便だが、自分で撮影してアップロードした写真にはまだアクセスできるのが唯一の救いだ。

そのサイトにいくら探しても見つからなかったウクライナ旅行の写真の一部を見つけたのである。

ずいぶん前になるので、いつ行ったのかも記憶に定かではなかったがFlickerの写真とその説明書きによると、2006年の8月に足を運んでいたようだ。

2006年と言えばドイツでサッカーワールドカップが開催された年である。5月下旬から約1ヶ月間の開催期間中、半分以上はロケでドイツ各地を回っていたので、W杯が終わってから代休を利用してウクライナに行ったのだろう。

このひとり旅、不思議なことになぜかあまり記憶に残っていないのだ。当時のカレンダーを見ると8月1日から10日までウクライナにいたことになっている。

2006年はW杯があったため、月に数回はロケに出ていたため移動続きで、旅の印象が薄れてしまったのだろう。例の「春のCM」、なんと撮影は1月下旬から2月上旬にかけてであった。さすがに2月下旬、3月上旬の話だと思っていたのだが。

さて、話をキエフに戻そう。

タイトル写真のキエフの中央駅もどこから撮影したのか全く覚えていない。ひとつ覚えているのは駅の前で周囲から完全に浮いていた女の子3人が警察官に穏やかに尋問されていたことくらいだ。

そして警察官が去った後にカメラを向けると、とてもいい笑顔を返してくれたこと。

ロシアでよく売られていたクヴァスのスタンドも駅前で見かけた。クヴァス(クワス)はライ麦と麦芽を発酵させて作る微炭酸でアルコールも少し入った飲み物である。味はビールをすこし甘くした感じ。ドイツのマルツビールともよく似ている。

アンドリュー坂という観光地では撮影隊と出会った。午前中の雨で撮影時間が遅れたのだそうだ。

andriyivsky uzviz 1
andriyivsky uzviz 2

撮影隊と別れを告げ、坂を上って行くと教会があり、そこではちょうど結婚式が行われていた。

st. andrew’s church

写真が一部しか見つからないのが残念だが、キエフでは他にも市場やマイダン広場などを見たはずである。

チェルノブイリ博物館も訪れているので、次回は博物館の写真を中心にご紹介しようと思う。