Lebensmittelmotten und heißer Sommer 欧州の暑い夏と米ムシ

ちょっと今日はムシの話になるので、ムシが苦手な方はご注意を。

ベルリンで買う米、我が家では数年前からイタリア米の「ゆめにしき」といつからか決まっている。

これまでに特に何も問題がなかったし、おそらく今後も「ゆめにしき」を買うことになるだろう。

だが、しかし。ここ数年、ベルリンというか欧州全体の夏の暑さが尋常でない。30度以上の日が何日も続くのが普通になってしまった。

冷房のないアパートの室内温度は連日、25度以上をキープ。心なしか湿気の多い日も増えている。

まさにムシが好む最適な環境が自然と出来上がってしまっているのだ。

これまでは陳列のための空気穴が開けられた雑な袋に詰められて販売されている10キロの米を購入してきた。

自宅でも袋の口を開けて、使用したらまた輪ゴムか何かで縛り、これまた雑に保管してきた。米びつなども特にない。

ところが先日、米を研ごうと軽量カップで計ろうとしたところ、小さな幼虫が袋の口付近についているのを発見した。

ひゃっ!?

なんだこれは。一体、どこからやってきたのだろう。

その時はまさか米の中で糸を引いたり、ムシが発生しているなどという恐ろしい考えには至らなかった。

そして、数日後。また米を研ごうと袋を開けたときに、なぜか違和感が。

何かが袋の中で動いたような気がしたからだ。

!? !? !?

何かの幼虫らしきものが何匹か発生していた。恐怖でしかない。

「米 ムシ」というキーワードで検索してみたところ、日本語でも情報がかなり出てきた。どうやらそれほど珍しいことではなさそうだ。

そして、ノシメマダラメイガという食品害虫であることが分かった。農研機構のリンク先に飛んでいただければ写真付きで解説が出ているのでご参考までに。

ドイツでよく言われるLebensmittelmottenというやつに類似している。こやつは衣服を食する輩もいるので、前々からドイツでの天敵だ。

農研機構資料より

購入したばかりの10キロの米を捨てるのも心情的に辛い。ムシが付いた米はどうすればよいのだろう。

農研機構のHPにはこんなことが書いてあった。

刺したり、毒となる物質を出したりといった人に被害を与えることはありません。食品と一緒に食べてしまって健康被害が出たという事例も、私の知る限りありません。

ノシメマダラメイガ恐怖症にならないために 宮ノ下明大

間違っても米と一緒に食べたくはないが、まあそれほど害はなさそうである。

他のサイトには

ノシメマダラメイガが発生するお米は、殺虫剤などの残留物が存在しない証明にもなるので健全であり、人体に悪い影響を与えることはありません。昔ならそれほど過敏になることもなかったので、虫やごみは洗い流していました。しかし、お米に虫がわいている状態は気分的に問題があります。

ライスピア米倉HPより

全くおっしゃる通りで「気分的に非常に問題」がある。メイガの幼虫に遭遇してからというもの、小さなゴミは全て虫に見えてしまうしで軽いトラウマ状態に。

万が一、虫が発生してしまったら捨ててしまうのではなく、風通しのよい明るい場所で新聞紙を広げて、その上にお米を出します。直射日光が当たる場所だとお米が傷んでしまうので、明るく涼しい場所にお米をさらし、虫が逃げるまで放置しましょう。

ライスピア米倉HPより

バルコニーや縁側のある家ならば可能だろうが、新聞紙を広げてお米を出すのはいいが、逃げていった虫の対処はどうすればいいんだ!?

そこで様々なサイトを参考にした結果、こういう方法で保存することにした。

  • ざるに米を少量ずつ入れて念入りに振るいにかけ、ゴミなどを極力取り除く。
  • バットに広げ、半日ほど明るい部屋においておく。
  • きれいに洗ったペットボトルに詰め替える
  • 冷蔵庫(理想は野菜庫)で保管
ライスピア米倉HPより

米をザルで振るっていると、気をつけていても米が飛び散る。「あーあ、なんで時間のない時にこんな地道な作業を強いられるのか。。」という気分になる。

一番いいのは根源を断つことなので、本当なら10キロの米をえいやっと廃棄するべきなのだろう。ただ、何だかそれも気がひけるので地味ではあるが今回は米を食することにした。

詳しく言うと、実はこれ一袋目がやられていたので、新しく買った米にも発生していたので、すでに二袋目だったのだ。しかも、新しく購入した米にさらに幼虫が増殖していたのだからたまったものではない。同じ店で購入したので、恐らくそこで増えたのだろうと思われる。

結果、二袋目を破棄し、マシだった一袋目を上記の方法できれいにして冷蔵庫に保管しているというわけ。

ありがたいことに、明日から気温が下がるようなので新たなムシを目にする機会が減ることを期待している。

Seit wann bist Du hier? / ベルリン在住◯年

「ベルリンには何年くらい住んでいるんですか?」

何年だろう。気付いたら、もうかなり長くなっていた。

壁崩壊のニュースで脳内にインプットされたであろう街。当時、好きだったアーティストがベルリンについてコメントしていたり、ずっしりと心に響いた映画の舞台がベルリンだったり。何かと自分のテイストに近いイメージを持つようになった街。

「いつか行ってみたいなぁ。」が「ベルリンを歩いてみたい。」に変わっていた。

学生時代のひとり旅でそんなベルリンを実際に歩いてみて、「この街には何かある。」という確信に近い気持ちになったのを憶えている。

他の街にはなかった類の出会いが当時のベルリンにはあちらこちらに転がっていたからだ。それについては「90年代のベルリン」でも触れているので興味のある方は是非。

学生のステータスを得て、若干モスクワで回り道をしたものの、就職や結婚、出産を経て、気付けば割と長くベルリンに住んでいることになる。

初めから特にこれといった明確な目的があったわけでもなく、当時のベルリンの持つ独特の雰囲気に惹かれてちょっと住んでみたいな、といった程度の気持ちでふらりとやってきたのが始まりだ。

外国人局に英語で電話を掛ければ「Nein!」といって容赦無く切られ、一番初めに転がり込んだアパートの目の前がトルコマーケットという異国情緒溢れるロケーションだった上にシャワーすらなく途方に暮れたり。

今から考えると、とんでもない海外生活のスタートを切っている。

海外生活、しかも一人暮らしや赤の他人との共同生活がそもそも初めてだったので、「まぁ、こんなものか。」とすぐに色々と諦めがついた。

当時のクロイツベルクど真ん中。キーツ(特徴のあるエリア)でカルト的人気があるバンドの女性ボーカルに道で拾われたのだから仕方がない。知人繋がりだったのだ。

朝の3時だろうが5時だろうが、気にくわないことがあると爆音で音楽を流す同居人。彼女の御用達タトゥイストのリビング施術流血現場、バンド仲間とのニョッキパーティーetc.

極端なシェアアパートだが、今までの常識がこの街で通じるはずがない。

これまでの常識、といっても別に日本で「社会人」になったわけでもなく、大学を卒業して即ベルリンに来てしまったわけで、大した「常識」があるわけでもない。それでも自分のこうだろう、という範疇を超える日常は驚きの連続だった。

それまでは奈良という落ち着いた環境で鹿に囲まれて生活していたわけなので。

「郷に入れば郷に従え」とは言うものの、自分の周囲にはロシア人やカナダ人、アメリカ人にシリア人、フランス人にドイツ人。どこの何に従えばいいのかもよくわからない。距離感も付き合い方も違えば常識も違う。

そういう中に放り込まれると、自分は自分と割り切って自分のペースで物事を判断する他なさそうである。

そんなカオスな日々が数年続き、ひょんなことからモスクワでインターンする話が浮上し、そこからやっと現実的に物事を考えるようになってきた。

就職はそういう意味ではよかった。それが例えモスクワだったとはいえ。

モスクワの職場も日常もハードすぎたおかげで、ベルリンに帰ってきてから学生を続ける意味が完全にわからなくなった。生きるか死ぬか、みたいな現場から社会的に真っ当なドイツに戻ってきて拍子抜けしたのだろう。ようやく目が覚めた、とも言える。

生活するためには働かなければいけない。単純なことだ。

その流れで就職先が見つかり、そこで良くも悪くも10年間働くことになった。

結婚にも大して興味がなかったが、タイミングで出産数日前に婚姻届を出すことになった。妊娠中も働いていたので、妊娠していることに最後まで気付かなかった友人もいた。

それほど妊娠や出産からは程遠いと自分でも思っていたくらいなので、何だかおかしかったのを覚えている。

何が言いたいのかというと、ドイツに長く住んでいるとはいえ、失敗の方が多く、特に何かを築いたわけでも成し遂げたわけでもない、と言うこと。

だから、在住何年です、と答えて「すごいですねー。」と言われても何がすごいのかよくわからないし、基本的には話を合わせるための社交辞令だと思っている。

大阪阿倍野ハルカスより

ただ、長く住んでいて感じるのは、日本だろうがドイツだろうが、基本的な生活にはさほど違いがないという点だろうか。

朝起きて、朝食を食べ、子供がいるなら「いってらっしゃい」と送り出し、仕事を片付け、買い物をしたり、知人とお茶をしたり、映画を見に行ったり。

要は日々の生活において何に重きを置くか、によるのだと思う。

東京でバリバリキャリアを積みたいのか、自然の近いベルリンで週末をゆったりと過ごしたいのか。ドイツや日本のような国にはそういった些細な違いしかない。

住みたいな、と思えば一度住んでみて、違うな、と思えばまた移動すればいいのである。そういう意味では身軽なうちにあちこち移動して色々と見ておくことをお勧めしたい。

Community Day / コミュニティーデイ

久しぶりにポケモンGOの話題。

毎月1度、コミュニティーデイというイベント開催されるのだが、この日の指定時間に特定のポケモンが大量発生する仕組みになっている。

本日、開催されたコミュニティデイではナマケロが大量発生。なんか可愛いやつなのだ、これが。

指定時間内に進化させると特別な技を覚えたりもする。ガシガシ集めて進化させる、ただそれだけなんだけれど、みんなでやるとどういうわけか盛り上がって面白い。

たまにレアな色違いのナマケロが出現したりもするので、またまた盛り上がる。頭をポリポリ掻いたりもする。

今回もポケゴー先生の元、長女も初参戦し4名でアレキサンダー広場に集合した。こうしてポケゴーきっかけで大人も子供も一緒にワイワイ遊べるのがとにかく楽しい。

今のところ、ママ友は「へー、面白そう。」と言うだけで、なぜか乗ってくれないのでもっと浸透させたいところではある。でも、やはり積極的には誘いにくい。「教育に良くない。」とかで。

ポケカと小学生でもいかにポケモンカードの評判が保護者の間で悪いか、について書いているので興味のある方はぜひ読んでみてほしい。肩身が狭いとはまさにこのことだ。

ここはやはり今のところはまだコソコソやるしかなさそうである。

ただ、ポケゴーはひとりで黙々プレイするタイプのゲームではなく、みんなでワイワイやってこそ、その良さが出る作りになっているのだ。

もちろん、今日もコミュニティーデイをきっかけに集まったが、ひとしきり集めて無事にレアもゲットできたところで休憩。色々な話が聞けてとても面白かった。

ベルリンにはそれこそ色々なバックグラウンドを持つ人たちが、それぞれ異なる目的意識を持って生活している。人に会って話を聞く、というのはそれだけで何らかの発見や気付きがあるものだ。

チリの劇団のポストカードを頂いた/monstruosmenores.com

SNSの発達に伴い、周囲の雑音が耳にはいりやすくなったり、プレッシャーを感じることも多くなり大変なこともあるとは思う。そういうことに疲れたらどこかへふらっと出かけたり、期間限定でSNSを遮断してもいいかもしれない。

海外生活、思い通りに行かないことの方が多いのが普通だと思うので、少し不真面目くらいなのが多分ちょうどいい。

#NeuinMitte / ミッテにようこそ!

#NeuinMitteというハッシュタグを見かけたので、なんだろうと思って調べてみたら、ベルリンのミッテ区役所が難民支援の一貫として半年目処のプロジェクトを始めようとしているのがわかった。

ベルリン在住の日本人である私には直接関係のないことなのかもしれないが、「移民政策」や「難民政策」という問題は、ドイツ国籍を持たない「無期限の滞在を許可されている」ステータスの私にはとても興味のあるテーマである。

なぜか。外国人として日本の外で暮らす以上、移住先の国の法律次第で生活基盤が揺らぐ可能性がないとは言い切れないからだ。長く住めば住むほど、その国の政治や時事問題に無関心でいられなくなるのは自分の生活に直接関係してくるのが見えてくるためだろう。

さて、ミッテ区役所の応募要項をまとめてみよう。

  • 母語がアラビア語・ペルシア語/ダリ語(おもにイラン・タジキスタン・アフガニスタン及びウズベキスタン・ロシア・コーカサス地方・バーレーン・イラクの一部でも話される)・パシュート語(アフガニスタン、またパキスタンの西部に住むアフガン人)・ティグリニャ語(エリトリア中央部およびエチオピアのティグリニャ人)でドイツ語レベルがB1以上の者
  • ベルリンの難民に情報を与えるネットワークを有する者
  • ソーシャルメディアやその他の情報チャンネルに関する経験を有する者
  • リサーチやジャーナリズムに喜びを見出せる者

聞きなれない言語がわんさか出てきて面食らうが、概要はこんなところだ。ツイッター上でリツイートが多いわけでもなく、そもそも情報がドイツ語でしか出ていないところも気になった。

募集人数は1から3名、あるいは活動団体とあるが、謝礼金として時給15ユーロから20ユーロ、週に5時間程度で半年を目処となっている。履歴書とプロジェクトに関するアイデアなどをメールでwillkommensbuero@ba-mitte.berlin.deまで送付すること、とある。もし、近くに知り合いがいる方は教えてあげてほしい。

実際に上記の条件に当てはまる人々のところにまで、この情報が届くのかどうか疑問に思った次第。

ミッテの市長がこの情報をHPなどで公開したのが1月29日。応募締め切りは今月17日で面接などは今月中に行われる予定になっている。

実際に息子の通っていた幼稚園でお会いしたイラン人の家族はメールアドレスも持たず、ドイツ語も英語もたどたどしかった。彼らはいつまでたっても必要な情報にリーチできないのではないかと心配になる。クラス委員の連絡事項もメールで書いたものをプリントアウトしてロッカーに置いていたくらいだ。

リサーチをする上で一番必要なのは調べている国の言語で書かれたサイトを検索すること。英語や日本語だけではどうしても情報が偏ったり少なくなってしまう。ドイツの生活情報も詳細まで調べたいのであれば、必ずドイツ語は必要になる。

日本でも最近、日本に住む外国人の子供が義務教育を受けることができず、社会に適応できない、といった類のニュースも増えてきている。

移民・難民政策について経済界や政界にインタビューをした際にも、皆が口を揃えて「最優先事項はドイツ語教育だ。」と言っていたのが印象的だった。

ベルリンのスタートアップ業界で自分の持つ専門性を活かして仕事をする上では、英語さえできれば何も問題なくコミュニケーションが図れるのだろう。

要は自分がどのクラスタで何をどこまでしたいのか、ということになってくるのだろう。世の中はますます細分化され、分断化されていくのかもしれない。

来月以降、このハッシュタグがどのくらいアクティブになるのか、というのが気になるところ。長期的なプロジェクトに成長すればいいのだが。

2018年を振り返って

前回の一時帰国覚書に続き、「振り返る」というテーマが続いているが年の瀬も近いのでそろそろ書き留めておこう。

1. 苦手なことを克服

果たして自分の苦手とすることを継続できるのか、好きになれるのかという試み。これまでに何度も始めては挫折してきたジョギングを今年3月に開始。出張が重なったり、一時帰国などで継続が若干途絶えもしたが、少なくとも週に二回のペースで何とか12月まで続けることができた。

今のところ3キロを18分程でしか走れないのだが、来年は同じ3キロを若干速く走れるようにするか、ペースダウンして距離を5キロまで伸ばしてみたい。好きになったかどうかは別として、ジョギングそのものは余り苦痛ではなくなったのでまぁ良しとしよう。

苦手と言えば、免許取得後、全くしていない車の運転も来年はできるようにしたい。これは自分の中ではもはや「マスト」事項。機動力を上げていかないと限られた時間の中ではやりたい事が思うようにできないので切実である。もちろん仕事上も機動力の向上はプラス要素でしかない。安全第一ですが。

2. 東欧に足を運ぶ

こちらも近場ではあるが、今年はポーランドへ数回行くことができた。ポズナンへふらりと一人旅、家族旅行でバルト海沿岸のヤロスワビエツへ、念願のワルシャワへも再来週に三泊四日で行くことになっているので目標達成と言えるだろう。

今後行きたいベルリン以東の街リスト:

  • ドゥブロブニク(クロアチア)
  • ブカレスト(ルーマニア)
  • クラクフ(ポーランド)
  • ソフィア(ブルガリア)
  • モスクワ(ロシア)
  • トビリシ(グルジア/ジョージア)etc.

あくまでも広義の意味での東欧なのだが、全てに足を運ぶのは難しいだろう。少なくとも上から2つの街には行ってみたいところである。ロシアやキエフはこれまた何度も発言しているが、近々再訪したい街。

3. 整理整頓

こちらは日常生活上、優先順位が常にかなり低く設定されていた。頭の中も部屋の中もデータまでもがバラバラで整理整頓されていないと何かと弊害があるし、ストレスにもなるので、年末大掃除とばかりにまずは部屋の整理整頓に着手。

  • 子供部屋を二部屋作る
  • キッチン周りの整理
  • 書籍及び書類の整理

まだまだではあるが、相方が一時帰国中のベルリン居残り期間に子供部屋のベースやキッチンの整理棚を作っておいてくれたので、ベルリンに戻ってから諸々の整理を7割方終えることができた。年内に残り3割を片付けるのは厳しいだろうから、こちらも来年に持ち越しの継続課題である。

  • 写真データの整理
  • 定期的なバックアップを習慣づける
  • ブログの整備 — こちらもサーバーをレンタルして独自ドメインを取得し、ブログをきちんと運営できるようにしたい。

家の片付けのみならず、データ周りも徐々に何とかしたい考えだ。

4. ライフワークバランスの向上

端的に言えば、家族のメンバーが無理なくお互いに心地よい暮らしを目指すということになるのだろうか。子育ての方は、可能な範囲で子供の意思を尊重し、日々意見交換しながら諸々ベストな方法を考えていけることが「理想」。

仕事面で言えば、もう少し幅を持たせた活動ができる土台作りに専念したいと思っている。

  • ロケコーディネート・リサーチ・アテンド通訳以外のプラスαを作る
  • 書く・話す・撮るという作業をもっと積極的に行う
  • SNSを見る時間 < 読書の時間・音楽/映画鑑賞・ピアノ練習など
  • 東欧の言葉を使用できる一言語に加える(ロシア語のブラッシュアップ及びポーランド語?)
  • フランス語(目標は2年後)
  • かなり退化している英語を何とかする

全てにおいてさらなる底上げが必要かな、と。ジョギングやストレッチは継続し、出来るだけストレスを溜めずガミガミと小言を言う回数を減らしたいw

とまあ、至極当たり前のことをまとめただけなので何の参考にもならないとは思うが、あくまでも自分に言い聞かせるという意味合いも込めて活字にしておいた。欲張りすぎているかもしれないが、あくまでも目標なのでできる範囲でやっていこうと思っている。

宣言するのは簡単なので、まずは始めて続けるということですね。

今年の一時帰国@関西

年に一度の恒例になっている一時帰国。2018年も小学校の秋休みに10日間の休暇許可を各学校の校長からもらい計23日間の滞在となった。

日本の一時帰国についてはまだここでは綴ったことがないのだが、ふと思い立って今年の帰国を振り返ってみることにした。

大学在学中に長期休暇を利用して、英国を中心にアムステルダム、パリ、ベルリンを周ったことがある。そしてその時に一番しっくりきたベルリンに当初は1年の予定で大学卒業後にやってきたのが1995年のことだ。

ところが、海外生活の1年目など未知との遭遇続きであっという間に終わってしまい、紆余曲折の末、気付けばもう20年以上もベルリンに住んでいる。途中、病院の受付兼通訳としてモスクワでインターンをすることになり半年ほど滞在したこともあるが、それ以外は基本的にベルリンで生活をしている。「日常生活」をたまたま送っているのがベルリンだということになるのだろう。

中崎町周辺@大阪

どうしてこんなことを書いたのかというと、今回の大阪滞在中にどこかふわふわとした心もとない感じに始終付き纏われたせいだ。

モスクワ滞在中にも感じたものだったし、変な話、ベルリンに何年住んでもふとした時に立ち上がるこのふわふわとしたもの。過去にモスクワ滞在記的なブログを書いたこともあるが、タイトルに選んだ「境界線」というのも当時の帰属意識の不在のようなものから付けたものだ。ベルリナーでもなく、モスクヴィチでもないお客様でしかない自分の立ち位置から見たモスクワ滞在記として。

海遊館のジンベイザメ@大阪港

今回の大阪滞在が例年の滞在と大きく異なったわけでもないので、このふわふわとした感覚には正直戸惑ってしまった。強いて原因を探すというのであれば、今年で人生の半分以上をドイツで過ごすことになった、というくらいである。

天神橋の商店街界隈@大阪

それはそうと、今年は商店街をよくぶらぶらと歩いた。大阪滞在中にこれほど商店街を歩いたのも初めてだ。

大阪北区の夜景

長く日本を離れていると、実家の事情も年々変化する。生まれ育った奈良の実家が売られ、大阪にある所謂実家に自分のスペースがなくなる、といった具合に。日本に固定されたスペースがなくなると、自分とは余りゆかりのない土地にアパートを借りることになる。そうすると、半ば旅行者の視線で少しの間お世話になる場所をぶらぶらと探索することになるのだが、そこであのふわふわとした妙な感覚が立ち上るのかもしれない。ある意味新鮮でちょっと余所余所しいような。

春日原始林@奈良

子供達も小学校に慣れ、私も大阪での「日常生活」に慣れた頃にまたベルリンに帰る日になってしまった。

「ママ、なんか昨日来たばっかりみたいやなぁ。」

と娘は言ったが、本当にそんな気がしないでもなかった。半年くらい日本で生活がしてみたいなぁ、なんて思いながら。

タイトル写真:@六甲山