Zeppelin / シャウビューネでの観劇
最近、またシアターへ行く機会が増えている。
シアターへ行く→シアター関係の知り合いができる→お勧めの公演などを教えてもらう→またシアターへ行く→行けば行くほど好きになる→
恐らくはこういうループ。
今回のZeppelin。ヘルベルト・フリッチュ監督のベルリン、シャウビューネでの最終公演だということで、彼の別の舞台(der die mann / Nullなど)に出演しているたいこさんに口をきいてもらい、チケットが完売していた公演を一緒に観に行けることになった。
しかし、この日はなぜか公演前からフライングだらけ。
時間の段取りを完全に誤っていた上に、ベルリンの壁崩壊30周年記念イベントのため市内の道路も混んでいた。バス停に急ぐが「市内の交通状況のため不規則運行」という表示が出ているではないか。その時、時間はなぜかすでに19時40分を回っていた。
Zeppelinの公演は20時開始。チケットも持たず、特別に裏からホールに入れてもらうためには、時間に間に合わなければ入ることができない。
バスは運行予定よりも10分以上も遅れてやってきた。その上、クーダムも混んでいた。普段なら観劇の際はある程度時間に余裕を持って動いているのに、こんなときに限ってヘマをする。バス停にはなんとか着いたが、バス停から劇場までが思ったよりも遠かった。雨の降る中、猛ダッシュで劇場のカフェへ。着いたのがなんと公演の2分前。
この日は開演前からこんな調子だったのだ。
舞台の上いっぱいにツェッペリンはくじらのようにどーんと横たわっていた。
スチールのスケルトンで作られた大きなツェッペリン。ワイヤーで固定されているので、おそらく上下に動くのだろう。
今回の音響はシンセサイザーとツェッペリンに接続された打楽器のようなもの。役者たちの動きに合わせてツェッペリンが軋んだり、叫んだり、音を立てるようなイメージだ。
フリッチュ監督はサッカーが好きなのだろうか。冒頭のシーンではツェッペリンの向こう側で役者たちがコミカルかつリズミカルな動きでパス練習をしたり、といったシーンも見受けられた。
恐る恐るツェッペリンに近づいて、その中に入っていく役者たち。一旦、入ってしまえば、まるで公園に設置されている遊具のように登ったり、降りたり、落ちたり、足を踏み外したりと大騒ぎだ。この世界観であれば、子供たちでもすんなりと入って行けるに違いない。
そんな風に舞台はテンポよく進行していたが、ツェッペリンが上の方に上がったまま降りてこなくなった。
これも演出かな?それにしても間が長いな。と首を傾げていると、案の定、技術担当が舞台裏から顔を出した。
「技術的な問題でツェッペリンが降ろせません。今、しばらくお待ちください。」
その間、Axel Wandtke がアドリブで彼の叔父が昔、聞かせてくれたという小話をふたつ披露した。さすがフリッチュのアンサンブル。
しかし、二つ目が終わっても、ツェッペリンはびくともしない。
さすがに舞台の間を持たせるのが厳しくなってきた。三つ目の小話が終わったところで、再び技術担当が舞台裏から現れ、どうしてもツェッペリンを降ろすことができない、と観客および役者に伝えた。
そのアナウンスにも役者たちはうまく反応し、なんとかアドリブで舞台を繋ごうとしたものの、一旦流れの止まった舞台をアドリブでこなすには全員の息が合わないようだった。
彼らにとっては最後の共演で最後のツェッペリンだったのだ。こんなにつらいことはないだろう。
それでも、ツェッペリンと照明の生み出す影絵の美しさや役者の動きと音の重なりなどがとても印象に残る作品だった。
舞台が終わってから、役者さんたちのがっかりした様子を見るのが辛かった。こんなこともあるのだな、とその日は早々に劇場を後にした。