Amphitryon / ヘルベルト・フリッチュ監督、シャウビューネでの最後の作品

2018年2月にベルリンのシャウビューネでヘルベルト・フリッチュ監督作品der die mannを観てから、もう随分と時間が経ってしまった。

日本語補習校ですれ違った友人のたいこさんから「彼の新作にまた出るよ!」という話を聞いていたこともあり、シャウビューネのプログラムをチェックしてみるも、チケットは全て完売。

あちゃー、また出遅れたな。。とガッカリしていたら翌日、たいこさんから「友達がチケットを余分に買っちゃって1枚余ってるんだけど来る?」との嬉しい連絡が。もちろん「行くっ!」と即答して小躍り。

10月13日日曜日のプレミエだとなぜか勘違いしていたのだが、公演の日付はボヘミアン・スイスから戻る18日金曜日だった。どうか間に合いますように。

開演15分前に劇場に無事到着

そんなわけで、先日モリエールの劇曲を元にしたヘルベルト・フリッチュ監督の「アンフィトリオン」をベルリンのシャウビューネで観劇してきた。

前回よりも舞台はこじんまりとしたシンプルな作り。天井から吊られたカラフルな色の紙が舞台にフレームと奥行きを与えている。ライトも効果的に使われ、様々な表情を見せることが可能だ。

©Thomas Aurin, 2019

フリッチュ監督作品では軽快なテンポやリズムがかなり重要視されているような気がするので、シーンごとに替える必要のないセットは相性が良いのだろう。

舞台装置はシンプルだが、登場人物の衣装はゴージャスだ。

プロローグのピアノとマリンバの織りなす演奏によって、舞台の世界に自然に誘われる。フリッチュ作品では「音」や「リズム」もなくてはならない要素だ。

さて、今回の劇曲はドイツ人というかヨーロッパの人なら普通に知識として持っているギリシア神話がモチーフになっている。

美しいアルクメーネーとの結婚初夜の後、戦争へと旅立つアンフィトリオン。ジュピターはアルクメーネーの美しさに魅了され、アンフィトリオンに化けて地上へと降りてきた。ともに連れてきたマーキュリーは、アンフィトリオンの使用人「ソジー」に姿を変えた。戦場で戦っていたアンフィトリオンは大活躍し、それを知らせるためにソジーを家へ向かわせた。ソジーは、彼そっくりに変身しているマーキュリーによって迎えられたが、彼にぶちのめされ、マーキュリーこそが「本物のソジー」であると納得させられてしまう。本物のアンフィトリオンは、アルクメーネーと再会するが、当然状況が呑み込めないので困惑し、さらに情事があったことを知ってショックを受けてしまう。

アンフィトリオン(劇曲)

予習を全くしないで行ったのだが、今回の舞台はセリフが韻を踏んでいるせいか、一言一句を理解するのはハードルが高かった。喜劇という性格もその理由だろう。冗談を外国語でというか頭で理解するのは難しい。

©Thomas Aurin, 2019

とはいえ、アンフィトリオンの本物と偽物、ソジーの本物と偽物の一騎打ちやそれぞれのパートナーとのちぐはぐなやりとりなどがテンポよく交わされ、かなり楽しめる作品になっている。

とにかくフリッチュ監督のコアメンバーによるどこまでがアドリブでどこまでが計算された演出なのかわからぬドタバタ劇には参ってしまった。一人一人の役者の持つ技術とエネルギーがとにかくすごい。

驚いたことに、もしかするとこの作品Amphitryonが彼のシャウビューネでの最後の作品になるのだとか。ウィーンのブルグ劇場から新たにアンサンブルに加わったソジー役のJoachim Meyerhoffが少し気の毒になる。

今年の公演分は完売になってしまっているが、当日券なども出るかもしれない。来年の2月にも公演があるそうなので、機会があれば是非足を運んでみては。

»Wer bin ich? Ich muss doch schließlich auch was sein.«

とは普遍的なテーマである。

タイトル写真©Thomas Aurin, 2019



Comments

コメントを残す