海外での就職活動のようなもの

就職活動、いわゆる就活というものをきちんとやったことがない。

大学の就職活動シーズンにはベルリン行きのことで頭がいっぱいで、就職活動どころではなかったからだ。

ベルリンに来てからは、友人が始めたクラブ兼ギャラリーのような場所で寿司を売ったり、日本語を教えたり。「うちで仕事してみないか?」と知人が私について書いた新聞記事を見たオランダ人キュレーターが運営するギャラリーから突然電話が掛かってきたりしたからだ。

モスクワの病院で受付兼通訳をすることになったのも、ロシア人の知人ネットワークの中にたまたま日本人の女性がいて、モスクワ滞在中に彼女に誘われて面接に行ったのがそもそものきっかけだった。

「モスクワで働いてみたいって言ってたよね?以前、バイトをしていた病院が英語とロシア語が話せる日本人を1年半くらい探しているが見つからない、と言っているんだけど。面接に行ってみない?」

後にも先にも、面接に一緒に行こうと誘われたのは一度きりである。

そして、ベルリンではロシア語学科に在籍していたので、あくまでインターンという形でモスクワで仕事を始めた。それが、クリニックマネージャーがアメリカ人から南アフリカの白人系に変わった途端、「受付にロシア人以外は必要ない。」という理由で首になったのである。

それだったら最初から雇うな、と言いたい。こちらはベルリンから外国人局に辻褄まで合わせて、学生の身分でわざわざモスクワにやってきたのである。

雇ってくれたのは移動になったアメリカ人クリニックマネージャーなので文句も言えなかった。

モスクワの病院で働いたのは結局半年ほどだけだったが、首になったので病院で知り合いになった日本大使館の方に産休に入る人がいるので面接に来る?とこれまたお声を掛けて頂いて、面接に行ってみた。

「ベルリンに帰れるのであれば、大してロシア語も必要ない(変化のない)仕事のためにわざわざここで働く必要はないのでは?」という最もな助言を頂き、心身ともに疲れ果てていたので素直にベルリンに戻ったわけである。

ベルリンで、「あー、これからどうしようかな。」としばらく放心状態が続いていたときに、特に親しくもない友人から電話をもらった。

「Tageszeitungに求人出てたよ。連絡してみたら?」

当時はスマホもノートブックも持っていなかったので、新聞の求人欄を探したり、掲示板や口コミを頼るしかなかったのだ。いつも困っていると、どこからか誰かしらが声を掛けてくれて、なんとかなってきた。

不思議なものだ。

テレビの制作会社のコーディネーターがどういうものか皆目わからない状態で面接に行くと、案の定こう尋ねられたのである。

「ロシアに行ってたみたいだけど、本当にロシア語話せるの?」
「病院の受付にいたので、ある程度は。」

「コーディネーターって何するか知ってる?」
「何も知りません。やってみないと分かりませんね。」
「じゃあ、やってみれば。」

約5分で面接終了である。

そうやって、真っさらの状態でコーディネーター業務につくことになったのが2002年。結局、(ビジネス)ドイツ語もドイツ人同僚に迷惑を掛けまくりながら仕事で必要に迫られて、ようやく何とか身についたように思う。会社には結局10年くらい雇ってもらった。

第二児の妊娠がきっかけで2013年からフリーランスになったわけだ。

プロジェクトを俯瞰的に見る力や、オーガナイズや交渉力が嫌でもつくので、モスクワの経験も含め、ここ20年近くで色んな意味でのサバイバル力は上がった気がしている。




Comments

“海外での就職活動のようなもの” への1件のコメント

  1. […] のスキル、のような内容を期待された方もいるかもしれない。海外での就職経験についてはこちらに簡単にまとめたものがあるが、おそらくあまり参考にはならないと思う。こんな一例も […]

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