Alltägliches Gespräch / ドイツ語日常会話

ドイツ語話せる?
日常会話ぐらいだったら大丈夫。

皆さんもこんな会話を交わしたことがあるのではないだろうか。ところが、この日常会話、意外に難しい場面が多いような気がする。

なぜそんなことを思ったのかと言うと、先ほど日本語補習校の前に歯の矯正歯科医(Kieferorthopäde: KFO)に子供たちを連れて行った時にそう感じたからだ。

その時のやり取りがややこしく、はっきりと状況を把握するのに少し時間を要した。

長女は今のところ矯正はしていないが、乳歯が虫歯になり根幹治療が乳歯のためできず、抜歯。永久歯が生えてくるまでスペースを確保するための器具(この場合はPlatzhalter「場所を確保するための器具」を夜間だけ利用している。

Platzhalter

そして、長男。まず上下の歯の噛み合わせに問題があり、1年半くらいかけて矯正する必要があるとのこと。それとは別に長女と類似した歯の問題がある。

乳歯が虫歯になり、乳歯とその下から生えてくる永久歯の間の隙間に炎症が起こったり、膿(Eiter)が溜まったりするのである。

出来るだけ抜歯しない方向で炎症部分をきれいにし、薬を塗布してもらったり、ひどければ膿の溜まっている部分を切って膿を出したりして様子を見る、という治療方法しかない。

ただ、矯正するのであれば永久歯の位置によっては抜歯してしまって矯正器具にPlatzhalterを組み込めないか、という話が歯科医から出ているのだ。

と、こういう内容のやり取りをきちんと伝えた上で、今後の進め方を理解しなければならない。そして、歯科医の受付に言われたことと矯正歯科医の言うことが食い違っていたりもする。

夏休みを取った相方に長男を矯正歯科医に連れて行ってもらったが、正直、帰ってきてからの報告があまり的を得ていなかった。ドイツ人でもこうなる。

言葉の問題ではなく、これまでの治療の過程を把握していないと理解しづらいのだろう。

ちょうど都合よく、長女の予約が1週間後に入っていたので自分で今後の治療の進め方を確認してきたというわけだ。

モスクワで以前、日本人患者さんのための通訳として受付兼通訳業務を半年ほどインターン先の病院でしたことがあるが、その時も実感した。

身体の調子が悪い時に母国語以外で自分の状態を説明するのは並大抵のことではない、ということを。身体が辛いのに訳のわからない(自分の言葉ではない)言葉で説明しようとするだけで精神的なストレスが半端ないのだ。

この時はアメリカ人のカウンセラーの通訳としても立ち会う機会があった。カウンセリングを受ける日本人の女性の通訳という立場。

カウンセリングの通訳となると、さらにハードルが上がる。文化背景などが分からなければ理解できない事柄も多々あるからだ。

それに、話しているより3人で沈黙している時間の方が長いセッションもあった。あの時間はモスクワで体験した中でも特別なものだ。

絶対的な信頼感というか、沈黙していても許される時間。

話が逸れてしまったが、医療通訳というのは色々と奥が深い。ベルリンでも知人の代打で、ある日本人女性の診察に付き添って通訳に入ったことがあるが、とても重要な検査だったのでドクターの報告をきちんと伝えるのにとても神経を使った。

結局、検査の結果を受けて日本に帰国されることとなった。その後の経過も気になるが、恐らくもうベルリンでお会いする機会はないのかもしれない。

医療のドイツ語も勉強してみようかな。

そしてこの問題、自分が歳を重ねていくと間違いなく自分に降りかかってくる問題でもあるんだよなぁ。

Schraibm nach Gehoä / 聴覚をもとに書く

タイトルのドイツ語を見て、あれ?と思った方、正解です。
正しくは„Schreiben nach Gehör“ 、聴覚をもとに書く、という意味だ。

これが何のことを指しているのかと言うと、ドイツの小学校教育でテーマになっているドイツ語の学習方法のこと。「小学校3年生になってもドイツ語がきちんと書けない」問題を語る上で必ず持ち出される教授法である。

我が家の9歳の長女もLRS(Lese- und Rechtschreib-Schwierigkeiten)一歩手前というか、とにかく正書法にかなり問題がある。

ドイツの学校教育は最高!などと謳うインチキサイトのようなものも巷では見かけたりもするのだが、個人的な意見としては、基本的に日本の小学校の義務教育は素晴らしいと考えている。学校の設備もそうであるし、何と言っても基礎学習能力がきちんと身につくイメージがあるからだ。

さて、ドイツは連邦制で州ごとに事情は大きく異なるが、自分の子供たちが実際に通うベルリンの小学校を見ていると、疑問に思うことがかなりある。中でも母語ドイツ語の教育方法に首をかしげる場面が多い。

Quelle: Florian Schuh/DPA

タイトルの「聞いたとおりに書く」というメソッドがそのひとつで、実際にどういうことかというと、子供に耳で聞いたとおりにドイツ語をまずは自由に書かせ、教師(親)が特に誤りを指摘しない、というやり方だ。

1年生の1学期間だけ、というなら話は違ってくるが、ひどい場合だと3年生になっても誤りを指摘しない場合もあるのだから仰け反るしかない。
この頃になると、間違ったスペルが定着してしまい、そこからまた訂正して新たに覚えるという作業が必要になり、時間も労力も削り取られることになる。

ドイツで育ったわけでも、学校に自分が実際に通っていたわけでもないので、これが正解、という比較できる情報がなかったため、放置してしまったのが悔やまれる。この教授法のせいなのか、長女は4年生だというのに正書法が身についておらず、かなり大変なことになっている。

1年生の時に間違ったままで放置されている単語帳に驚き、担任に聞いたことがあるが、「今はまだ特に訂正する必要はありません。」と言われ、クラスの保護者にこれが普通なのか、と尋ねると彼らが実際に学校で習った時は全く別のやり方で教わったのでよく分からない、という返事だった。

LRSやSchreiben nach Gehörに関する記事などをざっと読んでみたところ、共感できる記事があったので、その中から何箇所か引用しておきたい。

„Schreiben nach Gehör“ ist unterlassene Hilfeleistung. Denn die Lehrmethode verlegt das Lernen von der Schule nach Hause.

In den weiterführenden Schulen heißt es dann, ein Drittel der Kinder habe eine Lese-Rechtschreib-Schwäche.

Wie eine solche haarsträubende Methode flächendeckend Eingang in die Grundschulen finden konnte, bleibt ein Rätsel.

Der Preis für die Eltern, meist ja die Mütter, ist allerdings hoch: Sie müssen für nachmittägliche Rechtschreib-übungen Zeit einplanen.

Kinder aus bildungsfernen Familien oder von Migranten sind benachteiligt, wenn mit ihnen keiner üben kann.

“Schraibm nach gehöa” vom 04.03.2015 FAZ
https://www.faz.net/aktuell/politik/inland/orthographie-in-schulen-schraibm-nach-gehoea-13456654.html
  • 「聞いた通りに書かかせる」メソッドは学校教育を家庭に持ち込む原因になっている。
  • 小学校以上の高等教育の場において3分の1の生徒がLRS(読み書きが困難な状況)に陥っている。
  • このような状況を生み出すメソッドがドイツ全国に浸透している理由が全くわからない。
  • このメソッドにより親、特に母親が多大な迷惑を被っている:放課後の家庭学習に正書法の時間を割り当てる必要があるからだ。
  • アカデミックでない家庭の子供や移民背景を持つ子供たちについては正書法を学ぶ機会が失われてしまう。

日本でも家庭学習が必要がというのはドイツの状況と同じなのかもしれないが、母語のドイツ語教育について学校に任せられない状況である、ということは手遅れにならない前に認識しておくことが大事だと思った次第。


Warum gerade ich? / なんで私が?〜エジプトで遭難しかけた話

93年に初めてベルリンに旅行者としてやってきた時、Uバーンの2番線はまだ壁の二重に走っていたポツダム広場で断ち切られていた。壁の撤去もまだ全部終わっていなかった頃だ。

95年に1年住んでみるつもりで戻ってきたときには、U2の開通記念でアレキサンダー広場駅には”Warum gerade ich?”というテーマで展示が行われていた。

Warum gerade ich?

当時は右も左も分からなかった。街の中心にがらーんとした空き地が広がり、独特の空気が流れていたベルリンに惚れ込み、ただ住んでみたくてやってきただけだった。何をすればいいのか皆目見当も付かなかった。

ワーホリ制度もなかったので、一番の近道は大学留学を目指す、語学留学生としてビザを申請するという方法だ。

大学で英米文学学科で、たまたま第二外国語はドイツ語を先行していたが、まさかそのドイツにやってくることになろうとは。

生活のため、ビザ延長のためにドイツ語学校に通い、1年半以内に大学入学資格テスト(DSH)に受かる必要があった。

しかし、当時のベルリンには誘惑が多すぎた。

90年代といえば、ベルリンのいわゆるアングラシーン絶世期。毎日、どこかで誰かがアクションを起こし、訳の分からぬ熱気があった時期である。シークレットパーティーが連日、街のあらゆる隙間で行われていた。

結果、毎日寝不足→翌日遅刻、の繰り返し。

ドイツ語学校は文法がさっぱりだったのにもかかわらず、少し話せるというだけでなぜか中級コースに入れられてしまい、案の定全くついて行けなかった。

コース終了後、授業料の安い語学学校に変わり、大学で語学試験を受けるが2点足りずに不合格。

毎日、街を歩き倒し、ろくに勉強もしなかったので当然の結果である。

ドイツの試験は2度までしか受けられない、というのが鉄則。

次の試験で合格しなければ滞在許可の延長も叶わないだろう。まさに崖っぷち状態。

さて、どうするか。

煮詰まっていた時に、シリア人の同居人に「そんな時は気分転換した方がいい。」と誘われ、8歳の子供と一緒になぜかエジプトの砂漠に行くことになったのである。

テスト前だというのに、完全な現実逃避がいとも簡単に実現したわけだ。

その頃、家族のようにお世話になっていたドイツ人の「兄」は「これを一冊読んでおけば大丈夫。」とポール・オースターのMusik der Zufallsをポンッと手渡してくれた。

後が全くないというのに、大好きなポール・オースターの著書を一冊字面を追ってなんとか読み、試験勉強は終了した。

カイロではシリア人の友人の住む、ナイル川に浮かぶハウスボートに泊まり、ベドウィン族であった友人のオーガナイズするツアーに参加する形で白い砂漠へ向かった。

周辺には宇宙か!?というような不思議な形状の石や化石が散らばり、きのこの形をした石灰岩のようなものが出没していた。(残念ながら手元にそれらの写真が見当たらないので、見つけたらアップしようと思う。)

周りにはそれこそ砂漠と砂漠の上を吹く風くらいしかない。

ふと気が付くと、耳の奥でピーンという音以外、なんの音も聞こえなくなった。
どうやら道に迷ったようである。

これはまずい、落ち着け。

じっとその場に立ち止まり、三角座りをして耳をすます。
何分くらい経ったのだろう、向こうのほうからかすかに人の声のようなものがとぎれとぎれに聞こえてきた。

声の聞こえてきたと思われる方向に向かって、早足で歩く。

ドイツ語のテストが例えダメでも死なないが、砂漠で迷うと死ぬ。
単純なことだ。

紅海でシュノーケリングをしたりして、ベルリンに戻り大学入学資格のためのドイツ語テストにはギリギリで合格した。

滞在許可も2年延長することができ、大学に入学届けを出す必要があったので、ロシア語学科、ドイツ語学科、ジャーナリズム学科を専攻することに。

そして、またベルリンを歩き倒す日々が始まったのである。


Als das Kind Kind war… / ブルーノ・ガンツ氏死去

ベルリン国際映画祭も明日が最終日。

ヴィム・ヴェンダース監督作品「ベルリン天使の詩」の冒頭でブルーノ・ガンツが演じる天使のダミエルが手紙を書くシーンがある。

©Schrkamp Verlag

Als das Kind Kind war,
ging es mit hängenden Armen,
wollte, der Bach sei ein Fluß,
der Fluß sei ein Strom,
und deise Pfütze das Meer.
Als das Kind Kind war,
wußte es nicht, dasß es Kind war,
alles war ihm besselt,
und alle Seelen waren eins.
Als das Kind Kind war,
hatte es von nichts eine Meinung,
hatte keine Gewohnheit,
saß oft im Schneidersitz,
lief aus dem Stand,
hatte einen Wirbel im Haar
und machte kein Gesicht beim Fotografieren.

彼の少しスイス訛りのドイツ語の響きが好きで、このフレーズはドイツに来る前によく声に出して読んでいた。

ベルリン天使の詩のベルリンを実際に歩いてみたくて、ベルリンに初めて一旅行者として訪れたのが1993年の夏だ。

まだ街のど真ん中に当たるポツダム広場には壁の残骸が放置されており、地下鉄の青い目印だけが目立っていた頃だ。

街の真ん中に空き地しかない

という事実にかなりショックを受けたのを覚えている。

とても肌寒く、天気の悪い夏だった。そしてベルリンで風邪を引いてダウンしたせいで、滞在日数を伸ばした。

東ベルリンには灰色のアパートしかなく、バルコニーも今にも崩れ落ちて来そうな状態のものが多かった。電話線すらきちんと通ってはいなかった。

集中暖房も整備されておらず、道を歩いているとかすかに石炭のにおいが漂ってきた。

路上駐車の車もまばらで、道ゆく人の表情もどこか寂しげに見えた頃だ。

それでも、ベルリンにはまだ天使がいるような気がして、街を歩けば歩くほど、ベルリンに住んでいる住民に会えば会うほど、ここに住んでみたいと思うようになった。

今のベルリンには残念ながら天使の気配は全く感じられなくなったけれど、それでも時折「まだベルリンも捨てたもんじゃないな。」と思わせる出来事があったりもする。

ヴィム・ヴェンダースに上映イベントで出会った際に「ベルリン天使の詩が私をベルリンに連れて来たのですよ。」と言うと、「そうなんだ、でも私のせいじゃないよ。」という答えが笑みと共に返ってきたことがある。

そうなのかもしれないが、ブルーノ・ガンツのドイツ語の響きや、ヴィム・ヴェンダースのベルリン天使の詩がベルリンへの興味を喚起したことは確かだ。

ガンツさん、私をベルリンに連れて来てくれてどうもありがとう。
どうぞ安らかにお眠りください。天使になってまたベルリンにも帰ってきてくださいね。またあなたの声が聴きたいです。

Gruppenstruktur der Kita und Schule / キタと小学校のクラス構成

先日はベルリン、ミッテ地区の小学校の申し込みについて少し触れたが、到底書き切れないので、普段から気になっていることを少し。
子供たちがお世話になっている公立のドイツのキタ(保育園及び幼稚園)だが、とにかく我が家も含め外国人(移民背景を持つ)家庭が多い。長女の年はそうでもなかったが、息子の最近のグループ構成はざっとこんな感じである。
去年:アルメニア、イタリア、中国、ドイツ、トルコ、日本、ポーランド、ロシア
今年:アラブ圏(国は不明)、イギリス、イタリア、ドイツ、トルコ、日本、ロシア
ちなみにグループの人数は12人。今年はドイツ人家庭がなんと二家族しかいない。担当の先生曰く、ジェスチャーを交えてのコミュニケーションがかろうじて取れるドイツ語力しかない家庭がひとつあるらしい。
ところが、長女の小学校の3年生のクラスは26人だが、名簿を見る限りそのほとんどがドイツ人家庭のようだ。割合としては8割くらいになるだろうか。キタであれだけの割合を占めていた外国人は一体どこへ?
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そこで思い当たるのが、学校選び。ミッテ地区には公立の小学校が8つあるが、トルコやアラブ圏の生徒が8割以上だという学校が隣接するヴェディング地区に2つほどある。これらの学校ではアラビア語トルコ語を母語とする子供達が、母語の定着とそれによる二ヶ国語使用(この場合はドイツ語)をサポートする授業を選択できるようになっている。その近辺に住むドイツ人家庭はそのような学校を避ける傾向にあるので、地区をまたがって希望する先で席が確保できなくなる子供が出てくる、というわけだ。
ミッテ地区内の小学校を考えても、どうやら蓋を開けてみると人気の学校=ドイツ人の割合が多い学校、という構図なのではないか、という結論に至る。
家の近所の小学校では本校舎にドイツ人家庭の子供を、別校舎に外国人家庭の子供を集めている、なんていう噂もあるほどだ。子供を通わせている知人曰く、実際にそういう割り振り方になっているらしい。
正直に言うと、ドイツで自分の子供を敢えてドイツ人が少数派の小学校に入れようとは思わない。キタでも常々感じているが、やはり片言のドイツ語しか話せない子供達の多いグループではドイツ語力がきちんと伸びないからだ。小学校入学のための案内冊子によると、ベルリンでは約1/3の子供がドイツ語が母語ではないらしい。思った以上に高い割合である。
Rund ein Drittel der Schulanfänger in Berlin haben eine andere Muttersprache als Deutsch. (Schulbeginn 2018 Ein Ratgeber für Eltern der Schulanfänger, Senatsverwaltung für Bildung, Jugend und Familie)
所謂「バランス・バイリンガル」と呼ばれる人はふたつの言語をしっかりと操ることができるが、家庭でドイツ語を全く使用しない環境で育つと、そのバランスを望むのはかなり難しくなる。これも一概には言えないが、やはり現地語がまず基礎としてあって、それにプラスαというのが理想ではないだろうか。思考の基になる言語が確立していないと、物事を考える力が備わらないからだ。
大量の難民や移民背景を持つ人々の受け入れによっても、小学校入学時点で基礎ドイツ語ができない子供が近年は特に増加傾向にあるのではないかと思う。それ以前にドイツという国はガストアルバイターなど移民を迎え入れてきた長い歴史があり、トルコ人家族のドイツ語能力については既に前から問題になっていた。
小学校の申し込み用紙にも必ず、両親の出身国、母語、家庭での使用言語、子供のドイツ語能力などについて問われる欄があるのも、この「基礎ドイツ語」が重要な問題になっているからだろう。
小学校に必要書類を提出すると、その場でSchulärztliche Untersuchung(学校医による検診)の日を選択しなければならない。基本的な身体測定や情緒の発達などに加え、ドイツ語運用能力を確認するためのものだ。ここで、医師が必要だと判断した場合はロゴペディと呼ばれる言語聴覚療法の診断書を出してくれたりもする。
キタの先生曰く、「ロゴペディを見つけて予約を入れるのも相当大変なので、ドイツ人家庭ですら勧めてもなかなか動いてくれない。」とのこと。息子も小児科の先生に診断書を出してもらったことがあるが、確かに電話を入れてもとにかく予約で一杯だと言われ、何とか食い下がって交渉し、初回は飛び込みで何とか行けることになった。初回の診察で「必要ない。」と言われたのが幸いしたが、確かに交渉レベルのドイツ語力が両親共にない場合はロゴペディに子供を連れて行く前段階で相当のストレスになるはずだ。これではハードルが高すぎる。
国も様々なインテグレーション支援対策は立ててはいるものの、それがどこまで現実的な目線で行われているのか、その実情を知る由もない。それぞれ個人の背景や渡独理由、経済状況、精神状態etc. まさに十人十色で、まずは生活のために「基礎ドイツ語力」を付けろ、なんて上から目線では到底叶わないだろうからだ。
今後、メディアなどで注目していきたい問題のひとつだし、何か自分にもできることがないか考えてみようと思っている。自分もドイツ語で苦労してきたので、人ごとではないからだ。
手始めにまずは、コミュニケーションが取りにくいであろうキタのクラス委員を引き受けてみることにした。