Nordbahnhof und Mauerpark / 北駅と壁公園②

前回の続き。現在の壁公園があった場所は、以前ベルリンの北列車(Berliner Nordbahn)のターミナル駅だった。1950年までは「北駅」(Nordbahnhof)と呼ばれていた。

この北列車は、ベルリンとメクレンブルク=フォアポンメルン州にあるシュトラールズントを結んでいた。

19世紀末までは貨物列車のみが運行していたが、東と西ベルリンにまたがる地形だったため、ベルリン分割によって1948年以降はその意味を失うことになる。それでも、路線の一部は1985年に東ドイツ政府が閉鎖するまで利用されていたらしい。

上のマップを見ると、東西ベルリンを分断していた「ベルリンの壁」が壁公園をまっすぐに走っていたことがわかる。

1992年に駅だった敷地のほとんどを利用した壁公園が作られた。当時の面影はほとんど姿を消してしまったが、グライムトンネル(Gleimtunnel)は記念建造物として保存されている。

グライムトンネル、1990年
Von Roehrensee – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0 / Wikipedia

その他にも、駅の壁が一部ヴェディング地区のヴォリーナー通りに残っている。

ヴォリーナー通り
Von Global Fish – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0 / Wikipedia

政治的理由から、戦後それまでポーランドの街、シュテティーンにちなんで名付けられたシュテティーン駅が「北駅」に改名されたのが1950年頃。こちらの「北駅」の名前が「ベルリン エヴァースヴァルダー駅」に変更されのも混乱を避けるためだろう。

最後に、壁公園らしいエピソードをひとつ。

ベルリンの水道局が2018年1月に壁公園の南東に当たる基礎を工事のために掘り返したところ、東ベルリンから西ベルリンに逃げるために掘られたとみられる「地下トンネル」が見つかった。

赤のラインがトンネルの部分を示す。矢印の向きとは反対の方向に逃亡したことになる。

トンネルの全長、約80メートル。トンネルは壁の下を抜け、オーダーベルガー通りに繋がっていた。

参照ページ:
Wikipedia: Berlin Eberswalder Strasse
Wikipedia: Mauerpark
Tagesspiegel: DDR-Fluchttunnel am Berliner Mauerpark entdeckt

*タイトル写真は新たに整備中の壁公園

Leipzig-Pragwitz / ライプツィヒ・プラークヴィッツ地区

ある撮影で数日前までライプツィヒに滞在していたのだが、最終日に時間が出来たのでリサーチ中に見つけて気になっていた地区にシェアバイクを利用して足を運んでみることにした。
中央駅から南西に自転車で約20分ほど行ったところにPragwitz(プラークヴィッツ)という地区がある。ここはDDR(東独)時代には工業地帯が集中していた場所であるらしい。
自転車で走っていると、壁画や柵の色がカラフルなので何かと思いきや、畑らしき敷地が目に止まった。ここで作られた野菜を直販しているようだ。
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そしてその真向かいにTapetenwerkのロゴが。まだ時間的に早かったので人もまばらだったが、敷地内ですれ違った男性に少し話を聞いてみた。
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「この辺り一帯は工場地帯だったところで、壁崩壊後は目も当てられない状態だった。この建物も当時は屋根がなかったんだよ。25年前からエリア一帯にある建物を少しずつ修復して、やっと今の状態になったんだ。Spinnereiもそうだけれど、ここにはそういった工場跡地を利用したアートギャラリーや建築事務所、コワーキングスペース、アート協会、カフェ、などがたくさん集まっているんだ。入り口のカンティーネ(食堂)ではランチも食べられるから是非。」
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Tapetenwerk(絨毯工場)やSpinnerei(紡績工場)といった名前は元工場がギャラリーや工房としてうまく活用されている証しでもある。それにしてもこのエリア、空気の流れ方といい、そこにいる人といい、何だかとても懐かしい感じがする。
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その懐かしさ、一昔前のベルリンで覚えたようなワクワクする感じ。とにかくこのエリア一帯は歩いているだけで嬉しくなるのだから不思議だ。
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そして工場や廃墟好きには堪らないエリア。以前のベルリンで普通に目にすることができた光景がライプツィヒにはまだここかしこに存在していた。
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普段の日の11時過ぎだったせいか、人通りもまばらでとても静かな街角。ライプツィヒがこんなに伸び代のある街だとは思ってもみなかった。13時過ぎの列車でベルリンに戻る必要があったので、余りのんびりできないのが残念だったが、Spinnereiに到着。
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いつも思うのだが、ドイツ人は本当に古い建物の再利用がうまい。
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とても数時間では足りない規模の敷地面積。
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インフォーメーションセンターでは紡績工場の歴史を振り返る小さな展示スペースも設けられていた。
それについては、また次回に。

Barfußpark Beelitz-Heilstätten / 裸足公園

夏休みなので、ベルリン郊外のお薦めスポット、ベーリッツにある裸足公園(Barfußpark Beelitz-Heilstätten)について。
以前から気になっていた、白アスパラで有名なベーリッツにある元サナトリウムの廃墟群。その広大な敷地内に2017年6月に裸足公園がオープンした。まだ完成から1年ほどしか経っていないので、施設も新しく公園内にあるカフェもなかなかいい。ランチにちょうどよい軽食もとれるし、ピクニックもできるのでとても便利。

ベルリンからのアクセスも良好で近郊列車REが1時間に1本出ているし、車でも約1時間ほどで着く。駅から人の流れに沿って歩いて行くと、敷地内に立つ廃墟が見えてくる。
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裸足公園の入り口に着くまで、このような廃墟がところどころに立っていた。
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廃墟ツアーなどに申し込めば、建物の内部にも入れるのだそうだ。これもいずれ体験してみたい。
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さて、この裸足公園、赤・青・黄色の3ルートに分かれていて、赤がハイライトがぎゅっと濃縮された全長1,2kmのショートコース、赤と黄色を併せた全長2,1kmのミドルコース、赤・黄色・青の全長3,1kmのロングツアーとから成っている。
角を取ったガラスの上を歩いたり、堆肥の中を歩いたり、普段の生活で甘やかされた足の裏には刺激がいっぱい。
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というか、かなり痛いw

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さすがに途中で足が痛くなるので、靴を入り口のロッカーには預けず、持って行くことをお薦めしたい。

アスレチック的な要素も入っているので、子供たちも大喜び。森の中を巡るコースなので、森林浴も出来てとても気持ちがいい。まつぼっくりの上を歩いたり、ココナッツの殻の上を歩いたりと足の裏も大変である。ツボ刺激にもなり健康にも良さそう。
全コース、60箇所のステーションがあるので大人も子供も十分に楽しめる。

この裸足公園は保養所パークプロジェクトの一環で、旧サナトリウム敷地内にある記念建造物の保存と観光を融合させたものとなっている。朽ち果て自然がはびこる廃墟群は木の上の散歩道(Baumkronenpfad )と併せて、多くの観光客を引き寄せているのだそうだ。
参考リンク:
https://derbarfusspark.de/
https://www.berlin.de/special/reise/brandenburg/news/4861872-767566-barfusspark-eroeffnet-in-beelitz-heilsta.html

Haus der Statistik / 東ドイツの「統計の家」

アレキサンダー広場から北東すぐに窓ガラスもないボロボロの建物がずいぶん長い間放置されたままでいる。

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「統計の家」(Haus der Statistik )と呼ばれたその建物は1968年から1970年にかけて東ドイツ(DDR)の統計のための中央行政として建設された。そしてその最上階はシュタージ(国家保安省)によって使用されていたのである。

壁崩壊後は連邦省が一時的に入っていたが、2008年以降は空き家となっていた。数年前にBIM (Berliner Immobilienmanagement GmbH)が買い取り、その時点で芸術家のための家として再建させようという動きが強まっていた

2015年の春に難民キャンプにするというアイデアも出たが、却下されたのだとか。

ベルリンという街は本当に不思議で93年に初めて旅行で訪れた時にも思ったのだが、街のど真ん中に意味不明な残骸が残っていたり、がらーんと何もない空間が広がっていたりする。

最近ではさすがに余り見かけなくはなったが、アレキサンダー広場の目と鼻の先にこんなみずぼらしい状態の建物が何年も手付かずのまま放置されているのだから、大したものだ。

幸か不幸か、この建物がこのままの姿で放置されるのも2024年の5月まで(!)らしい。それまではホームレスの館としてまだその機能を維持し続けるのだろうか。

BIMによる今後のプロジェクト進行表は次のようになっている:

  • 今年の7月末までにプロジェクト進行の手続き
  • 11月中旬までファサードのコンペ
  • 2018年末までに仮プラン決定
  • 2020年4月末までに工事依頼の終結
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皆さんもご存知の通り、ベルリンの工事はスムーズに行程通り進む可能性の方が低いので、「統計の家」の修復工事が終わるのはまだまだ先のことだろうと思われる。

ただ、この建物は曰く付きの場所でもあるので、Zentrum für Geflüchtete – Soziales – Kunst – Kreative(難民・ソーシャル・アート・クリエイティブセンター)として生まれ変わることができれば、ベルリンの街にとって、最近の傾向でもある商業的なオフィスや億ションに姿を変えるより価値があるというものだ。

先日、息子のパスポート更新のために足を運んだミッテの市役所も今の場所は期限付きの借り物件だそうで、いずれは新しくなるこちらの建物に引っ越してくるらしい。

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計画では市役所その他の事務所関連は全体の20%のみが考えられており、その他は文化・社会的プロジェクトのためのスペースになる見込みだ。そのために建物の一部をアトリエなどのために根本的に作り直す作業も必要だという。

PCB(ポリ塩化ビフェニル)やアスベストの含まれる解体作業やその他修復作業には1億ユーロが見込まれている。

時間は掛かりそうだが、この建物の今後の行方には期待したい。

参考記事:Haus der Statistik DDR-Ruine am Alexanderplatz wird wiederbelebt https://www.berliner-zeitung.de/berlin/haus-der-statistik-ddr-ruine-am-alexanderplatz-wird-wiederbelebt-30032420#
http://www.haus-am-alex.de/about

Kaufhalle in der DDR / 東独時代のスーパー

ある夏日の日曜日。Japan Street Food祭りらしきものが文化醸造所(Kulturbrauerei)と呼ばれる元ビール醸造所を改装して作られたカルチャーセンターの敷地内で行われるというので、子供たちを連れて足を運んでみた。
お好み焼きや唐揚げ、たい焼き、プロペラ(じゃがいもを薄くスライスして揚げたもの)などを堪能した後、近くの公園に行ったが天候が崩れたこともあり、入場料無料のカルチャーセンター内にある博物館へ戻ることにした。
文化醸造所博物館(Museum in der Kulturbrauerei)はドイツ連邦共和国歴史博物館財団(die Stiftung Haus der Geschichte der Bundesrepublik Deutschland)によって、Alltag in der DDR「DDRの日常」というテーマの博物館として2013年11月にオープンした。
展示内容は東独時代の日常生活と社会主義統一党(SED)政権下におけるイデオロギー、管理メカニズム、圧迫感などの緊張関係にスポットが当てられている。
展示は数多くのドキュメント、映像、音声資料などによって構成されており、DDR時代のキオスクやバー、休暇の家なども再現されている。これら日常シーンの再現とともに、SED政権によるプロパガンダが人々の生活のあらゆる場面に侵入していたことを感じ取れるような工夫がなされていた。
どこか素朴な東欧のテイストが好きなのであるが、東独もまた然り。特に気になったロゴがタイトル写真の3人組のネオン看板だった。一緒にいたDDR出身の友人が「今のようにREWEやEDEKAというチェーンなどはなく、スーパーマーケットといえばKaufhalleだった。あのロゴはKaufhalleのものだよ。」と教えてくれた。
気になったので調べてみると、なかなか興味深い記事が出てきた。


Die gute alte Kaufhalle: https://www.mdr.de/zeitreise/kaufhalle-100.html
Am 26. September 1957 öffnete in Köln der erste Supermarkt. Er war nach amerikanischem Vorbild konzipiert und besaß eine Verkaufsfläche von 2.000 Quadratmetern. In der DDR wurde erst 10 Jahre später ein erster Supermarkt eröffnet – die “Kaufhalle”.
1957年9月26日にケルンで最初のスーパーマーケットがオープンした。スーパーはアメリカを手本にしたもので、売り場面積は2000m2だった。DDRではその10年後に最初のスーパーマーケットである”Kaufhalle”がオープンしている。


波上の屋根を持つホールの正面に素敵なKaufhalleのロゴと共にあの3人組が。左側にHOとあるので何かと思ったら、Handelsorganisation (HO)、商業組合の略だった。

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Kaufhalle in Greifswald Bildrechte: dpa

Kaufhalleでは所謂、”WtB” – “Waren des täglichen Bedarfs”パンやバター、果物、牛乳、ドラッグストア商品などの「日用品」が購入できたので、現在のスーパーマーケットやディスカウントショップなどに当たる。
ところがこのスーパー、SED党首ホーネッカーや副首相ミッタークらの休暇の家に近いという理由だけで、ほぼいつもベルリンのビールや新鮮な果物に野菜、その上南国フルーツであるアプリコット、バナナ、レモンといった他ではコネがないと手に入らない類の商品が並んでいたり、SED本部のあったベルリンは地方と比べると格段に品揃えが良かったり、というようなことがあったのだそうだ。
今でも、旧東独エリアではスーパーマーケットのことを俗語でKaufhalleと言ったりもするらしい。
たかがスーパー、されどスーパーである。


この博物館、思った以上に面白かったので是非足を運んでみて下さい。
博物館のサイトでDDR時代の展示品アーカイブがあったので、興味のある方は以下のリンクをご参考までに。ポスターや玩具、食器なども多数あるので見応えがあります。
http://sint.hdg.de:8080/SINT5/SINT/query?term=SIG

DUDU TASSA & THE KUWAITIS / イスラエル発のクロスカルチャーバンド

またあるツィートがきっかけのネタ。今回のキーワードとの出会いは素晴らしいものだった。

DUDU TASSA & THE KUWAITIS
今、「世界一かっこいいバンド」だと思う、という一文に惹かれ映像リンクに飛んでみた。それがこちら。

ドゥドゥ・タッサとクウェーティー兄弟(Dudu Tassa & the Kuwaitis)の「サーイブ・ヤー・ガルビー・サーイブ / “My heart has shattered into pieces”」。


Dudu Tassa & the Kuwaitisはイスラエル発のクロスカルチャーなユダヤ・アラブプロジェクトで、20世紀初頭のイラク音楽界で最も人気のあったAl-Kuwaiti Brothersの音楽を現代風にアレンジしてリバイバルさせている。
ドゥドゥ・タッサはイラクのユダヤ人、そしてイエメン人としての家系を持ち、自身のルーツを探るうちに素晴らしい音楽の歴史と向き合うことになる。彼の祖父と大叔父はクウェーティー兄弟として知られ、20世紀初頭から半ばにかけてバグダードで偉大な作曲家そして音楽家としてイラク、そしてアラブ世界を代表する音楽家にまで成長していく。彼らは1950年代にユダヤ人であることが理由で、イラクで迫害を受けたためイスラエルに移住している。
参照:https://www.the-kuwaitis.com/about1


私自身のアラブ音楽との出会いは、ベルリンに来てすぐに知り合いになったアルジェリアとフランス人のハーフだったミシェルやその友人たちが聴いていたシェーブ・ハレド(Cheb Khaled)他のライ音楽や、ルーム・シェアをしていたシリア人の同居人が自宅で演奏していたダルブカや常に流れていたシリア発、その他のアラブ音楽である。

ドゥドゥ・タッサとクウェーティー兄弟の「サーイブ・ヤー・ガルビー・サーイブ」、には何と言うか一撃でやられた。

たまたま、イスラエルやシリア関連のネガティブな記事が気になっていたところだったのだが、人というのは基本的に自分には理解できないものや知らないものに対する恐怖心というものがあり、それが様々な障壁を作ってしまうのではないかと思うのだ。

音楽から入ってしまえば、そんな恐怖心も一瞬で払拭できるはず。彼の歌声を聴きながらそんなことを考えた。

今のこのタイミングで彼らをベルリンに呼ぶことはできないものだろうか。是非、彼らの紡ぎ出す音を生で体感してみたいものだ。

そんな彼らのプロジェクトによるファーストアルバム、Dudu Tassa and the Kuwaitis (2011)のレコーディングの様子はIraq’n’roll (2011)に収められている。

このアルバムに収められている曲はイラクのアラビア語で歌われているが、タッサはこのプロジェクトのために特別に言葉を学んだのだそうだ。

アラビア諸国やイスラエルの歴史については正直、ほとんど無知に近い状態なのでここで自分の見解を述べることはしないが、少しづつでも知る努力をしていこうかと思っている。

タイトル写真:https://aicf.org/artist/dudu-tassa/

Dolgen / イースター休暇の小旅行②

Dolgenから車で10分弱のところに「ドイツで一番古いブナの森」があるというので、足を運んでみることに。3月末だというのに、風も強く雪がちらちらするあいにくの天気だ。
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中心部は25ヘクタールのHeilige Hallen(「聖なる大広間」)。メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルクにより1850年頃に一帯を保護するように決められ、事実上ドイツで最も古いブナの森なのだそうだ。1938年から自然保護区に指定されており、1993年には保護区域が25ヘクタールから65,5ヘクタールに拡大された。
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Heilige Hallenには300年から350年の樹齢を経た木々が多く存在するため、この森には朽ち果てた木の割合が非常に高くなっている。また、多くのSölleと呼ばれる湿地が多数存在し、沼や湿原などが形成されている。このため、多種類のきのこや昆虫、洞穴に生息する鳥類などが生息しているのだそうだ。
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樹齢350年のStieleiche(ヨーロッパナラ)の木。炭焼き労働者の憩いの場となっていたらしい。古くて立派な樹木だ。
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ドイツの自然保護区に必ず立っているふくろうの看板。この森では1950年以降、商業目的の木の伐採や枯れた木の持ち運びなども一切行われていない。道を塞ぐ倒木などについては例外的に伐採処理が行われている。
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Heilige Hallenの入り口付近のブナの木。ここにはまだ比較的若いと思われる木々が並んでいた。寒かったので早々に切り上げて戻ってしまったが、もう少し暖かくなったらもっと奥まで歩いてみたい場所だ。この辺り一帯はメッケルンブルクで最も有名なフェルトベルク湖水地方(Feldberger Seenlandschaft)の森林地帯だという。
ドイツと言えば森、というくらい昔から森と深い関わりを持つドイツ。
ドイツの森に比べて余り人の手が入っていないより自然に近いチェコの森が好きなのだが、ドイツの森についても、もう少し知りたいと思わせる散歩となった。

Stadtbad Mitte / ミッテ地区の公共プール

出来るだけ毎日継続して(今の課題!)、軽くストレッチをするように心がけているものの、子供達のお迎え時に少し多めに歩くくらいで、どう考えても運動不足。後の着替えやら何やらが面倒に思えたが、息子の水泳教室に付き合って約半年振りに泳いでみることにした。

ベルリンの、そして恐らくドイツのプールというのは距離も長ければ、深さも一番深い所で3mもあったりする。しかも水温が低くかなり冷たい。ミッテのガルテン通りにある公共プール「ジェームス・サイモン」も一往復が100mである。それを休み休み4回、で限界。あーあ。

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以前、一度ベルリンの水泳教室事情でも触れたが、ミッテ地区には子供に水泳を習わせたい親の数よりも明らかに水泳教室の数が少ない。

それでも、息子は1年半ほどウェイティング・リストに名を連ねていたお陰で何とかスポーツクラブ協会(Verein)の初心者クラスに入ることができた。

BBBではなく、スポーツクラブの水泳教室なので、会員費として最初に80ユーロ払えば、後は月々10ユーロのみでコースを受講することができる。

この日はあいにく(息子の)スポーツクラブに2レーン取られ、フィットネスコースに2コースの25m分を取られ、残り3レーンのみが開放された中で余り伸び伸びと泳ぐことができず、二回程、誰かの足を蹴ってしまった。

しかも料金が値上がりしており、15時以降の料金として5,5ユーロも取られる。私の場合、息子の水泳教室の合間を縫って正味30分ほどしか泳がないのでかなり割高な料金設定だ。

ところで、このプール、かちっとした機能的な造りだが、天井やガラス窓から外光をふんだんに取り入れる構造になっている。

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余り広くはないプールだが、晴れた日に泳ぐと水面に日が差し込んでとても気持ちがいい。写真は夕刻に撮ったのでそこまで明るくはないが、窓と天井のデザインも悪くない。

入り口の横にあった記念プレートにはこう記されていた。

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1880年にベルリン初の市民プール建設の礎石が置かれた。ジェームス=ヘンリー・サイモン(実業家、美術品コレクター及び後援者)の献金によるetc.

この人物、どうやらベルリンの新美術館に収集されている王妃ネフェルティティの像を筆頭に、ベルリンの現プロイセン文化財団の美術館島にある数々の芸術コレクションにも大いに貢献しているようだ。

そんな彼が自分の給与の3分の1を社会的貢献に当てており、そのうちの一つがこの施設の建設というわけだ。

19世紀末のベルリンには風呂やシャワーが備え付けの住居が不足していたことから、衛生的な理由で一定の住居区画ごとに屋内プール及び入浴施設の建設が進められていたらしい。日本で言えば、銭湯のような機能を果たしていたのだろう。

建築プラン:カルロ・イェルクマン(Carlo Jelkmann)、構造技術者ルドルフ・グレイエ(Rudolf Gleye)、 インテリアデザイン:ハインリヒ・テセノウ(Heinrich Tessenow)により1929年から1930年に掛けて建設された。

46のシャワーキャビン、80の浴槽、20の医療浴槽、ロシア・ローマ蒸気風呂及びサンテラスが配備されていたそうだ。

そういう意味では別ブログ「90年代のベルリン」でも触れた、シャワーも付いていないアパート暮らしをしている人が近くのプールで軽く泳いでからシャワーも浴びる、という考えは間違っていなかったのかも。

Konrad Hoffmeister(1926-2007) / 東ベルリンの写真家

テレビ番組で絵画や写真の映像を使用する際に、許可申請や版権処理を行うのだが、よく連絡をするプロイセン文化財団管轄のエージェント(bpk-Bildagentur)から、ある展覧会についての知らせが届いた。

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Konrad Hoffmeister
Invitation Card

ギャラリーの場所を見ると、幼稚園のすぐ側のよく知っている場所だったので、先日子供たちと一緒に覗いてみた。

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Konrad Hoffmeister
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Edition 1/5 (Gartenstraße, Wedding)

「ママ、これなんて書いてあんの?」「フランス語で『ここから先はフランス領ではありません、かな?」「これゲズンドブルネンって書いてあんで。あそこの駅やんな。」自分たちの住んでいる街の1959年に撮影された写真。見覚えのある風景を探そうとする子供たち。

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Konrad Hoffmeister
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Edition 1/5 (Brunnenstraße /Ecke Bernauer Straße, Wedding)

ベルリンに壁が建設されたのが1961年なので、当時32歳だったコンラッド・ホフマイスター(Konrad Hoffmeister) がこれらの写真を撮ったのが壁建設の2年前ということになる。

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Konrad Hoffmeister
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o.T. Edition 1/5 (S-Bahnhof Gesundbrunnen, Wedding)

今年2018年はベルリンの壁が存在した期間と壁崩壊後の期間がちょうど同じ28年になる年だ。恐らくこのタイミングで敢えてまだ壁がなかった頃、しかしベルリンが4強の占領下に置かれていた当時のドキュメンタリー写真の展示を行うことにしたのだろう。

ホフマイスターは東独で公式な依頼とは関係なく、独自に東ドイツの現状を見つめ記録した数少ない写真家に数えられる。彼は社会主義国家の建設という目的を否定したわけではなかったが、統一党が個人の思想や異なる見解の芽を摘むことを望んだことに耐えられず、1956年の夏にSED(ドイツ社会主義統一党)から脱退する。
「裏切り者」のレッテルを貼られたホフマイスターは、それまで教授を務めていたヴァイセンゼー芸術大学のポストを失い、二度と別のポストを得ることはなかった。しかし、彼は東ベルリンでフリーランスとして、シアター、映画、そして広告写真家としての地位を確立し、独自の芸術的興味を追い続ける。
ベルリンを撮影した同時代の有名な写真家アルノ・フィッシャーに比べると、ホフマイスターはほとんど知られておらず、彼の死後にプロイセン文化財団の絵画エージェントの出版者で写真キュレーターのマティアス・ベアトラム(Mathias Bertram)によって初めて14,000枚分ものフィルムが確認されることになった。
2014年にはホフマイスターの写真カタログがLehmstedt Verlagから出版されている。詳細な背景情報とともに選ばれた170枚のベルリンの写真が掲載されているそうだ。現在ギャラリーで展示されている作品は新たに日の目を見る20枚の写真で構成されている。
参考HP:

  • http://www.galeriefuermodernefotografie.com/
  • https://de.wikipedia.org/wiki/Arno_Fischer_(Fotograf)