Aus dem Gleis kommen / レールを外れる
一時帰国6日目。
蒸し暑さもまだ思ったほどひどくはなく、アパートも冷房完備なので比較的過ごしやすい大阪。
なんでも今日のベルリンはまだ6月下旬だというのに36度まで気温が上がるらしい。交通機関や店内にクーラーがないところがほとんどなので、暑さをしのぐのは至難の技だと思う。
今週に入ってから、子供たちも例年通り小学校の体験入学中で、歩いて15分ほどのバス停からふたりで学校に通っている。
息子にはすでにサッカー友達ができ、娘は親友と連れ立って帰ってきているので何も心配がない。学校生活には1日目からすんなりと馴染んでいたようだ。
例年は秋休みを延長して帰っていたのだが、娘も8月からベルリンの現地校で5年生になるので休学することにせず、今年の6月下旬からの夏季休暇に合わせて日本に帰ってみることにしたというわけ。
丁度、プール開きも始まったところで、初めて日本の小学校でプールの時間を体験することができた。こちらについてはまた別ブログで詳しく書こうかと思っている。
そんなわけで、子供たちを朝バス停まで送ってから、近所を少し散策してみることに。
最寄駅のJR桜ノ宮へ向かう人の波と、駅から街へ、職場へと向かう人の波ができていた。そうだ、この時間は通勤時間にも当たっているんだった。
暑い中、同じような格好をした集団が列をなして歩いてくるので、初めは何事かとぎょっとしてしまった。
よくよく見ると、なんのことはない、会社へ向かうサラリーマンの群れだった。朝のこの普通の風景がある種、特異な物に映ってしまったのだから奇妙なものだ。
ベルリンの朝の風景とは全く違うのである。
何が違うのか。
まず、ベルリンの人たちはスーツパンツとワイシャツといったような同じ格好をしていない。それぞれが好き勝手な服装をしている。群れをなさない(日本のサラリーマンも別に群れをなしたくてなしているわけではないが)。子供を小学校や保育園・幼稚園に送る母親と父親の姿も多い。
全体的にもっとのんびりとしているように見える。ベルリンの親も朝はそれなりにバタバタしていたりイライラしていたりもするのだが、どこか違う。
同じ時間に大勢の人間が一斉に動かないからなのかもしれない。
恐ろしいことに、橋の上から大阪城をカメラに収めようとしたら、サラリーマンの集団に逆らって橋の手すり側に移動し、立ち止まってカメラを構えなければならなかった。
完全に一連の流れを乱す行為である。
その時になんだか心の底から実感した。「レール外れちゃってるな。」と。
たまたま通勤ラッシュ中に通勤客の動線上に居合わせただけなのはわかっているが、そこには何か無言の圧力のようなものを感じてしまった。
そして恐らく、そんなものを感じているのは自分だけで他人は何とも思っていないのだが。
その場に居合わせた私にとってはどこか「象徴的な絵」だったのである。
そんなどこか肩身の狭いシチュエーションで撮った写真たちを今回の投稿に貼っておきます。
タイトルにあるドイツ語のAus dem Gleis kommenという言い回しは、文字通りだと「レールを外れる」ということだが、「目的を外れる」とか「オリエンテーションを失う」とかいう意味で使うようだ。
日本語の意味とは若干異なるが、一瞬「行き場を失った」のでタイトルに採用することにした。