Bilingual und Kanji / バイリンガル教育〜漢検

息子の熱はまだ下がらず。iPhoneの天気予報が今日も「悪い」ベルリン。

さて、こんな調子の日曜日。午前中から日本語補習校で漢字検定(漢検)が実施された。昨年4月に1年生に進級した息子にはまだ早いので見送ったが、小学校3年生の娘は受験することに。3年生の必修漢字数は200字。

ドイツの現地校に通い、日中はドイツ語で生活を送っている子供にとって、日本語の漢字学習というのは想像を超える難しさなのだろうと思う。

思う。そう、自分が経験したことがないのでこればっかりは想像するほかない。

日本で生活をしていれば、耳に入ってくる言葉はほぼ間違いなく日本語だろうし、街を歩いていて目にする看板やポスターなども日本語。こんな当たり前の環境がこれまた当たり前のようにドイツにはない。

学校から帰ってきてから寝るまでの数時間、日本語話者である母親の私とたわいのない話をしたり、日本語補習校の宿題をしたりする上で使用する言語が日本語、ということになる。日本語補習校の授業は週に1度、3時間ほどだ。

ここで、本を読むのが大好きな子供だったり、漢字の面白さにハマって自主学習するタイプの子供であれば状況が違ってくるのだろうけど、普通にドイツで暮らす上で「漢字」というものに触れる機会というのはほとんどといっていいほどないのが普通だ。

9歳の娘に「漢字を習うってどんな感じ?」と聞くと、「ママ〜、なにそれ?ダジャレなん?」と返ってきた。いや、そうじゃない。

「漢検とか、何か目的がないと勉強しないと思う。」と、いう答え。なるほど。やはりそういうものか。

そもそも、今後5年、10年と長いスパンで考えた時に、果たして漢字の「読み」、は必要だとして「書き」、がどこまで必要になるのかというのは日頃から疑問に感じているというのが正直なところ。

読みができていれば、コンピューターが変換してくれるわけだし、実際に自分で書くという場面も今後はますます減っていくはずだ。音声入力の技術もさらに向上するのは間違いないだろう。翻訳技術もしかり。

世の中の変化のスピードが格段に上がっていく中で、いつまでも古典的な方法や考えに捉われるのは避けたいところだが、自分たちが子供の時に刷り込まれてきたやり方から決別するのはとても困難で勇気のいることなのだな、とつくづく思う。

例えば、書けなかった文字を漢字練習帳に何度も書かせる、といったやり方も「いつの時代だよ。」と感じる反面、じゃあ、どうする?と聞かれると言葉に詰まってしまう。やり方がわからないからだ。

そういえば、妹が忘れ物をしたら、教師がその忘れ物をした生徒に「忘れ物はしません。」と反省のために1万回書かせた、といった内容のことがTogetterに投稿されていた。あり得ない。

これこそ、究極の無駄、である。

なぞの万字トレーニング用紙

こういうやり方がまかり通る日本の教育現場にも首を傾げてしまう。これが極端な例であることを願うばかりだ。

さて、漢検に話を戻そう。娘が難しく感じるものは日常会話では余り使わない熟語だ。

手帳・県道・野球・急用・放送・石油・鉄橋・実行・決定・学級委員・整列・
始業式

などがこれに当たる。野球や県道などはドイツでは本当に使わない言葉だ。県道は日本にいても余り使わないのではないだろうか。知らない言葉は何度書いても頭には入らないので、まずは言葉の意味から説明する必要があるが、やはり実際に使わないと定着しないものだ。ドイツ語もそれは同じなのでなんとなくわかる。

漢検も今後、現地校が忙しくなるにつれハードルが上がることは間違いないので、様子を見て受験を決めようかな、くらいに考えている。
さて、どうなりますか。

息子は来年の6月に10級受験予定。長女が使っていた「いちまるとはじめよう!」で頑張ろうかなと思っているところ。噂のうんこ漢字ドリルでもいいかもしれない。

長女はさすがにうんこで釣らなくても良さそうなので、補習校で使っている過去問の7級対策をやることになるのかな。

皆さんは漢検についてはどうお考えですか?もしよければ、コメント欄にご意見をお待ちしております。



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