Als das Kind Kind war… / ブルーノ・ガンツ氏死去

ベルリン国際映画祭も明日が最終日。

ヴィム・ヴェンダース監督作品「ベルリン天使の詩」の冒頭でブルーノ・ガンツが演じる天使のダミエルが手紙を書くシーンがある。

©Schrkamp Verlag

Als das Kind Kind war,
ging es mit hängenden Armen,
wollte, der Bach sei ein Fluß,
der Fluß sei ein Strom,
und deise Pfütze das Meer.
Als das Kind Kind war,
wußte es nicht, dasß es Kind war,
alles war ihm besselt,
und alle Seelen waren eins.
Als das Kind Kind war,
hatte es von nichts eine Meinung,
hatte keine Gewohnheit,
saß oft im Schneidersitz,
lief aus dem Stand,
hatte einen Wirbel im Haar
und machte kein Gesicht beim Fotografieren.

彼の少しスイス訛りのドイツ語の響きが好きで、このフレーズはドイツに来る前によく声に出して読んでいた。

ベルリン天使の詩のベルリンを実際に歩いてみたくて、ベルリンに初めて一旅行者として訪れたのが1993年の夏だ。

まだ街のど真ん中に当たるポツダム広場には壁の残骸が放置されており、地下鉄の青い目印だけが目立っていた頃だ。

街の真ん中に空き地しかない

という事実にかなりショックを受けたのを覚えている。

とても肌寒く、天気の悪い夏だった。そしてベルリンで風邪を引いてダウンしたせいで、滞在日数を伸ばした。

東ベルリンには灰色のアパートしかなく、バルコニーも今にも崩れ落ちて来そうな状態のものが多かった。電話線すらきちんと通ってはいなかった。

集中暖房も整備されておらず、道を歩いているとかすかに石炭のにおいが漂ってきた。

路上駐車の車もまばらで、道ゆく人の表情もどこか寂しげに見えた頃だ。

それでも、ベルリンにはまだ天使がいるような気がして、街を歩けば歩くほど、ベルリンに住んでいる住民に会えば会うほど、ここに住んでみたいと思うようになった。

今のベルリンには残念ながら天使の気配は全く感じられなくなったけれど、それでも時折「まだベルリンも捨てたもんじゃないな。」と思わせる出来事があったりもする。

ヴィム・ヴェンダースに上映イベントで出会った際に「ベルリン天使の詩が私をベルリンに連れて来たのですよ。」と言うと、「そうなんだ、でも私のせいじゃないよ。」という答えが笑みと共に返ってきたことがある。

そうなのかもしれないが、ブルーノ・ガンツのドイツ語の響きや、ヴィム・ヴェンダースのベルリン天使の詩がベルリンへの興味を喚起したことは確かだ。

ガンツさん、私をベルリンに連れて来てくれてどうもありがとう。
どうぞ安らかにお眠りください。天使になってまたベルリンにも帰ってきてくださいね。またあなたの声が聴きたいです。

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