Namen und Nationalität / 名前と国籍

ミュンヘンの空港で手に取ったDie Zeit(ツァイト紙)。分厚くて読み応えのある週一発行の新聞だ。

以前、ドイツ語の勉強のために時々買っては読もうと試みていたことがある。

ただ、一記事の文字数も多く内容も濃いため、辞書を片手に読むのに相当苦労する。

さて、その中でも気になった見出しの記事がこちら。

Mein Name ist Fatima
私の名前はファティマです。

Fatimaと聞いて、あなたはどんな人物を想像するだろうか。

ドイツ人の多くはムスリム(イスラム教徒)を連想するらしい。

“Oh, wir haben jetzt jemand anderes erwartet” – das hört Fatima Krumm oft
「おや、私たちは別の人を想像していましたよ。」ファティマ・クルムにとってはお決まりのセリフだ。

ドイツ人の彼女に両親はなぜこの名前を与えたのだろう。そして、この名前によって彼女は何に対面することになったのだろう。

記事への興味が否応なしに湧く見出しだ。

我が家の子供たちも相方のドイツ人の姓ではなく、日本人である私の姓を引き継いでいる。この選択は果たして正しかったのだろうか、と思わないでもない。

ドイツ人ではなく外国人だと思われることで、ドイツで生活する際にマイナスになることがあるのではないだろうか。

ただ、一方でそんなことくらいでマイナスになるような世界(会社や組織)には敢えて入って欲しくないとも思える。

そして、彼らが成人する頃にはもしかすると、既存の「国」や「国境」や「外国人」といった概念も今よりは薄らいでいるような気もする。またそうであって欲しい。

それはそうと、ファティマさんは一体これまでに何を経験してきたのだろう。

ファティマさんは1988年、ベルリンの壁が崩壊する一年前にDDR(東ドイツ)で生まれた。彼女の父親はこう語る。「もしいずれ西側に引っ越しするとわかっていたら、別の名前を付けていただろう。」と。「外国人など知らなかったのだから。」ここで彼の言う外国人とはイスラム世界の人々のことだ。

父親はトーマスというよくあるドイツ人の名前だ。娘は特別でなければならない。そこで、両親はアイゼンヒュッテンシュタット(Eisenhüttenstadt)のドイツ人として生まれた赤ちゃんに70年代のDDRコミックで知られていたベドウィンのプリンセスの名前が選ばれたのである。

ファティマさんが名前による風当たりを受けたのは西側のヴォルフスブルク(Wolfsburg)に引っ越しをしてからだったという。

学校には多くの移民背景を持つ子供たちがいた。それまでの学校は民族的にはほぼ単一の環境だった。ファティマとして突然、ムスタファやモハメッド、ハムザやラムツィアといった中に座っているととても違和感を感じた。誰も彼女がファティマという名前だということを信じようとしなかったためだ。

学校でも、仕事上でも、日常においても「ファティマ」には偏見や思い込み、誤解や不利な状況などがつきまとう。中でもキール(Kiel)で家を探している際は特に顕著に感じたのだそうだ。

「君はもう書類を送る必要はないよ。どうせ読まれないんだから。どこかで選別されなければいけないんだしね。」こんな風に面と向かって言ってきた仲介者もいたという。しかも仲介者自身、ドイツ人ではなかったのだそうだ。

そこで、ファティマはドイツ人のフェークネームで書類を出すことにした。そうすれば高確率で返事がもらえ、部屋を見ることができたからだ。

小さなことだが、買い物をしている時にも「これはあなた名義のクレジットカードではないですよね?」だの、「ここですぐに返却遅れの罰金を払ってもらえますか?」など、写真付きの図書カードでさえ本人名義のカードだと信じてもらえないような場面もあったそうだ。

日本でも外国人はアパートを借りるのが難しい、とよく耳にするがドイツでも実際には同じことなのかもしれない。

ここまで、多種多様な人種が生活しているベルリンでも気付かないところで選別は行われているのかもしれない。

ベルリンの壁が崩壊しても東と西ドイツ人の心の壁は解消されないと聞く。外国人となるとさらにハードルが上がるのかもしれない。

名前など気にせず自由に暮らせる世の中になるのはいつのことだろう。

参照記事:Die Zeit / Mein Name ist Fatima
タイトル写真: ©Florian Thoß für DIE ZEIT



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