「ベルリンもほんと変わったよね」②

前回の続き

90年代にモスクワからベルリンに来た友人との会話

「本当に久しぶり!前回会ったのいつだっけ?ほら、カフェ・ゴーリキーでバッタリ会ったの。あれって10年以上前かな?全然変わってないよね」

久しぶりに会った友人はずいぶんと様子が変わっていたので、声を掛けられたときに時空がゆらりと動くような感じがした。私もさすがに10年前と全く同じというわけではないが、彼の言うことは何となくわかる。あんまり変わってないよな、と自分でも思うことがあるからだ。それは見た目というより、自分を取り巻く雰囲気のようなものなんだけど。

それでも一旦話し出すと、さっき感じた時空の歪みのようなものはすぐに跡形もなく消えてしまった。常に同席している人の様子をさり気なく観察し、タバコを取り出した人を見たらすかさずライターを差し出すところとか。飲み物がなくなりそうになったら、飲み物を買いに行ってくれようとするところとか。とにかく昔から細かなところにまで気の利く人だった。

「寒くない?この上着かそうか?」

「そういうところが全然変わってないよね」

そういうと、そうかな、なんて言ってたけれど、本当にそう。私たちは特に変わってはいないのに、ベルリンという街はここ30年ほどでずいぶんと様変わりをした。私たちが初めて会ったのも28年前だからいい勝負なのに。

「ロシアから友人が遊びに来てプレンツラウアーベルクを歩くと、みんな口をそろえておしゃれなところだね、なんて言うんだよ。昔の灰色の街の写真を見せると驚いた顔をするんだよね。僕の住んでいるところは相変わらず昔と同じだよ」

今はクールだかヒップだかよくわからないことになっているが、ミッテ地区もプレンツラウアーベルク地区も当時は廃墟同然の建物があちらこちらに放置されていて、それはもう暗くて陰気なところだった。ただ、あらゆる隙間や空き地、地下室などで色んな人たちが好き勝手なことをやっていた非常にエキサイティングな時期でもあった。ツァイトガイスト(Zeitgeist)という言葉があるが、まさに「時代のもつ精神」というか過渡期のベルリンのエネルギーが街を覆っていた頃だ。

「今は何をしているの?」

彼はもともとベルリンに住むロシア語話者を読者に持つ、ロシア語の新聞社でIT関連の仕事をしていた人だ。メールでその新聞社の経営が傾いている、と聞いていたので彼の現状が知りたかったのだ。

「何だと思う?何と公務員だよ、公務員。堅い仕事だから初めは戸惑ったけど、これで将来は安心だよね。」

なんとまぁ、あれだけ自由気ままに生活していた人が公務員とは。でも、なんだかとても彼らしいと思った。さすがだな。そういう意味でも私は全く変わっていないのだ。以前は映像制作会社でフルタイム勤務を10年くらいやっていたが、それも結婚と出産を経て辞めることになった。それからはなんだかんだでずっとフリーランスとして自転車操業の日々である。

「私は相変わらずフリーで仕事してるよ。最近、日本語でベルリンについての共著を出したところ。」

と言うと、そうか日本語なのか、でも買おっかなぁ、とか言ってるので買わなくていいと言っておいた。こういうところも昔から変わっていない。なぜか常に助けようとしてくれる。

「経営学とか何かそっち系の資格ないの?そういう人を探しているみたいだったから。」

と、今度は私の仕事のことまで心配する始末である。当時、ロシア語がもっと出来ていれば新聞社にも雇ってもらえていたんだろうが、残念ながらそこまでのロシア語力は今になってもない。近況報告だけでも延々と話すことがあるが、今度は共通の友人たちの話になった。そして、やはり彼も私が常々思っていたようなことと同じことを口にした。

「みんなそれぞれ家庭を持ったり育児で忙しくなったから、以前のように頻繁に会うことはしなくなったよ。あ、そういえば、この間ミホン(共通の友人の名前)がベルリンに展示で来ていた。今はイタリアだけど、またアーティストビザ申請のためにベルリンに戻るかもしれない」

ミホンとは1995年にクロイツベルク地区のギャラリーでバッタリ会ったことがある。モスクワの友人たちも、海外に出ようとしている人がちらほらいるようだ。

「まさかこんなことになるなんてね。最後にモスクワに行ったのは2021年だよ。母の80歳の誕生日だったからね。今は直通の飛行機も飛んでいないし。次に帰るのはいつになることやら。もちろん日本みたいに遠いわけじゃないから、陸地ルートや迂回ルートで帰ろうと思えばいつでも帰れるんだけど」

私たちは変わっていないのに、モスクワも変わってしまったのだ。近いうちにまた和食でも食べに行こう、弟の家で夕食会するときにはぜひおいでよ、ダークマターにも行こう、と3つくらい約束して別れた。こういうところも昔と全く変わっていなかった。

カザフスタンにルーツを持つご近所さんとの会話

整体のあと、息子から電話をもらって急足で家に向かっていたら、カフェの前で声を掛けられた。急いでいたので一瞬誰だかわからなくて目をぱちくりさせてしまったが、ヘッドフォンを外してよく見るとご近所さんであった。

「久しぶりだねー。最近どう?子どもたち元気にしてる?」

彼の子どもがキタ(保育園兼幼稚園)で息子と同じグループだったことがあるのだ。小学校は別々のところになったし、年齢的には息子より1歳年上の女の子である。

「もう小学校も終わるなんてほんと早いよ。進学先は迷いなく〇〇なんだけどね」

ミッテ地区ではトップの成績の子が集まるギムナジウム。なんだか彼の娘らしい。そこから一気にベルリンの学校事情の話が始まった。

「娘の学年はまだ今はやりのいわゆる多様性のあるクラスだったんだけど、年々ベルリンが物価高になるにつれてここに流入してくる人たちの層が明らかに変わってきてるよね。弟のクラスなんて親の職業が弁護士に医者、スタートアップのCEOとか完全に『モノ』になってるんだから。多様性のカケラもないよ」

「ぼくたち運良く2010年にそこの物件を買えたけど、引っ越しして貸すとかできないもの。引っ越しするのに2倍以上の家賃を払わなくちゃいけない上に、郊外にしか住めないんだよ。そんなの意味ないよね。職業柄、移住も考えてはみたけれど、アメリカならLAかNYでしょ。物価はそれこそベルリンの比じゃないし、撮影そのものがハリウッドではできなくなってるんだよ。高すぎて。結局、ほとんど家に帰ることのない家のためにバカ高い家賃を払って、例えば東欧で撮影するんだとしたらベルリンが拠点の方がいいわけで」

とにかくベルリンの良さが薄れてしまったので、移住も念頭に置いたことはあるがいい代価案が思い浮かばず、子供たちの教育のことなんかを鑑みてもここ(ミッテ地区)に留まることにしたんだそうだ。なるほど。確かに持ち家があるんだったら何の問題もなさそうだ。ご近所さんの弾丸トークで印象に残ったのはしかし次の言葉だった。

「ほら、僕はルーツがカザフスタンでしょ。でも小さい頃にドイツに移住してるから、カザフスタンが故郷って感じでもなく。だからといってドイツが故郷って感じでもないんだよね。どちらかといえば故郷なし(heimatlos)。イギリスへの移住も考えたことがあるんだけど、ドイツ人は嫌われてるからなぁ(笑)」

なんとも不思議な人であるが、この人の組むセットはとにかく素晴らしい。今はNETFLIXなどのおかげで食いぶちには全く困っていないらしい。ただ、時間が不規則でキツい仕事なのでなかなかいいクルーが集まらないんだとか。それは意外だった。何かできる仕事ないのかな、なんてチラッと思ってしまったくらい。

ちょっと挨拶して別れると思いきや、完全に捕まってしまって20分以上立ち話をしていたような。それなら座ってコーヒーでも飲みならが話せばよかったな、なんて別れ際に思ったので次に会ったときはそうしようと思う。久しぶりに会ったので、よく話す人だということをうっかり忘れていたのだ。

こんなふうにルーツや職業が違う人と話をすると、ベルリンという街ひとつとっても見え方捉え方が全く違うのである。最近、「私のベルリン」について考えることが増えている。

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