Konrad Hoffmeister(1926-2007) / 東ベルリンの写真家

テレビ番組で絵画や写真の映像を使用する際に、許可申請や版権処理を行うのだが、よく連絡をするプロイセン文化財団管轄のエージェント(bpk-Bildagentur)から、ある展覧会についての知らせが届いた。

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Konrad Hoffmeister
Invitation Card

ギャラリーの場所を見ると、幼稚園のすぐ側のよく知っている場所だったので、先日子供たちと一緒に覗いてみた。

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Konrad Hoffmeister
o.T. 
Edition 1/5 (Gartenstraße, Wedding)

「ママ、これなんて書いてあんの?」「フランス語で『ここから先はフランス領ではありません、かな?」「これゲズンドブルネンって書いてあんで。あそこの駅やんな。」自分たちの住んでいる街の1959年に撮影された写真。見覚えのある風景を探そうとする子供たち。

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Konrad Hoffmeister
o.T. 
Edition 1/5 (Brunnenstraße /Ecke Bernauer Straße, Wedding)

ベルリンに壁が建設されたのが1961年なので、当時32歳だったコンラッド・ホフマイスター(Konrad Hoffmeister) がこれらの写真を撮ったのが壁建設の2年前ということになる。

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Konrad Hoffmeister
o.T. 
o.T. Edition 1/5 (S-Bahnhof Gesundbrunnen, Wedding)

今年2018年はベルリンの壁が存在した期間と壁崩壊後の期間がちょうど同じ28年になる年だ。恐らくこのタイミングで敢えてまだ壁がなかった頃、しかしベルリンが4強の占領下に置かれていた当時のドキュメンタリー写真の展示を行うことにしたのだろう。

ホフマイスターは東独で公式な依頼とは関係なく、独自に東ドイツの現状を見つめ記録した数少ない写真家に数えられる。彼は社会主義国家の建設という目的を否定したわけではなかったが、統一党が個人の思想や異なる見解の芽を摘むことを望んだことに耐えられず、1956年の夏にSED(ドイツ社会主義統一党)から脱退する。
「裏切り者」のレッテルを貼られたホフマイスターは、それまで教授を務めていたヴァイセンゼー芸術大学のポストを失い、二度と別のポストを得ることはなかった。しかし、彼は東ベルリンでフリーランスとして、シアター、映画、そして広告写真家としての地位を確立し、独自の芸術的興味を追い続ける。
ベルリンを撮影した同時代の有名な写真家アルノ・フィッシャーに比べると、ホフマイスターはほとんど知られておらず、彼の死後にプロイセン文化財団の絵画エージェントの出版者で写真キュレーターのマティアス・ベアトラム(Mathias Bertram)によって初めて14,000枚分ものフィルムが確認されることになった。
2014年にはホフマイスターの写真カタログがLehmstedt Verlagから出版されている。詳細な背景情報とともに選ばれた170枚のベルリンの写真が掲載されているそうだ。現在ギャラリーで展示されている作品は新たに日の目を見る20枚の写真で構成されている。
参考HP:

  • http://www.galeriefuermodernefotografie.com/
  • https://de.wikipedia.org/wiki/Arno_Fischer_(Fotograf)

 



Comments

“Konrad Hoffmeister(1926-2007) / 東ベルリンの写真家” への3件のフィードバック

  1. […] 後にモスクワとベルリンを頻繁に行き来するようになってから、彼らとの繋がりは途絶えてしまったが、Honey Suckle Companyとしての活動は2009年頃まで続いていたようだ。先日、東独の写真家について投稿したが、たまたまその現代写真ギャラリーで彼らの活動を総括したカタログの出版を記念して個展が2016年に開かれていたことがわかった。幼稚園からすぐ側のギャラリーなのに展覧会に気付かなかったのは非常に残念だ。 […]

  2. […] 1996 “Transformation Station”, Happening for Arte TV, St. Kildas Trips Drill, Berlin そう、当時のベルリンはそれこそ、どこへ行ってもカオスだったのだ。道を歩いていても、地下鉄に乗って移動していても、見るもの聞くもの目にするもの、全てが混沌としていた。そういう過渡期にあったベルリン独特の空気を彼らは痛い程感じ取って体内に取り込んで再現し、昇華させようとしていたのかもしれない。 後にモスクワとベルリンを頻繁に行き来するようになってから、彼らとの繋がりは途絶えてしまったが、Honey Suckle Companyとしての活動は2009年頃まで続いていたようだ。先日、東独の写真家について投稿したが、たまたまその現代写真ギャラリーで彼らの活動を総括したカタログの出版を記念して個展が2016年に開かれていたことがわかった。幼稚園からすぐ側のギャラリーなのに展覧会に気付かなかったのは非常に残念だ。 photoexhibition DAS BUCH 3.June – 30.July 2016 Galerie für Moderne Fotografie 以前、息子とミッテを散歩している時に偶然、洒落たブティックの前で休んでいたペーターにバッタリ会ったのだが、このブログを書くに当たり何となくFBで本人を探して友達申請をしてみた。 彼にも近いうちに会って色々話を聞いてみたいと思っている。 タイトル写真:©Honey Suckle Company […]

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Berlin 1996 / 90年代のベルリン⑤ – ベルリンスタイル へ返信するコメントをキャンセル