Lipscani / リプスカニ〜ブカレスト旧市街2

前回はブカレストの中心エリアにある旧市街の美しい書店についてご紹介した。

店内に一歩入ると真っ白な内装にため息がでるが、20世紀初頭に銀行家によって建てられ、1990年代から2000年にかけて崩れ落ち、5年ほどの修復作業を経て2015年にオープンしている。

書店の正面にある工事現場はまだ荒れ果てており、過渡期にあるブカレストを象徴している。

書店と同じ通りにこれまた修復された建物が目に入った。

中に入ってみると、警備員がルーマニア語で何やら話しかけてきた。怒られるのかと思いきや、隣の入り口から上に上がれば展示が見られるという(ルーマニア語なので予想)。

改築の歴史を地上階で展示

ブカレストはとにかく人が親切で、みんな言葉が通じなくても最後まで一生懸命教えてくれる。別の入り口まで連れてきてくれ、「Sus!Sus!」(上、上!)と階段の上を指して教えてくれた。「Sus!OK,sus!」と言いながら二階へ向かう。

この警備員のおじさんの誠意で、とてもいい展示に出会えた。

Ana Bănicăというアーティストのイラストや絵画、オブジェの展示である。彼女のブログページにあった言葉を引用しておこう。

Declaration:  To be an artist in Romania is beautifully complicated, painful otherwise and it must be naturally uninterested. As a Romanian artist, one has a great advantage: one can never get bored, because one never lacks inspiration. Only very rarely does one glow or feel the taste of success. Art is an embryo in Romania, there is still long before the development of the fetus and the child that will be born will have an extended adolescence and childhood. Thus Romanian art, following tradition, will need various steps, strength and quality, true parents and, not last, a miracle, until the point when it will achieve an otherwise natural maturity. To be an artist here is complicated because one lives in a transit society, an unstable society where the artist has no statute, nothing supports him, nothing encourages him, nothing motivates him, except for his ambition and his inner structure as an artist. When one is an artist in Romania one is alone on the road.

Ana Bănică

彼女の言葉を額面どおりに受け取るならば、ルーマニアでアーティストとして創作活動を行うのはまだ相当な覚悟がいるようだ。

ARCUBの入っている建物は元ユースホステルだったGabroveni Innを修復して2010年頃からスタートしている。残念ながら、ホームページがルーマニア語のみなので詳しいことがわからないが、シアター、展示、コンサート、イベントなど多彩なプログラムが提供されている。

ARCUBのあるリプスカに通りはライプツィヒのドイツ商人にちなんで命名された(Lipscaはルーマニア語でライプツィヒ)のだとか。ARCUBの南側に面した通りGabroveniはガブロヴォのブルガリア商人を指している。

リプスカニ地区にはこうした商人や職人にちなんだネーミングの通りが現在でも残っているのだそうだ。

今回は時間がなかったので主に東側をメインに歩いたが、今度は古い建物が残っている西側も歩いてみたいと思っている。

次回は議事堂宮殿についてです。

パンスカ通りのMuzeum / Warszawa-6

最終日のワルシャワは寒くて雨だった。頼れる旅の友は一足先に空港に向かうので、アパートの窓から手を振って別れ、帰り支度を整えてから中央駅に向かう。

天気も悪いし何しようかな?

駅から歩いてすぐの場所にmuzeum na pańskiejというカフェとブックストアが併設されたアートスペースがあるようなので、荷物を中央駅で預けてからそちらへぶらぶらと行ってみることにした。

ピアノの鍵盤になっている横断歩道

例の文化科学宮殿の斜め向かいに一見しただけではそれとは分からない建物があった。

上の写真、左下にMUZEUMという看板があるのにお気付きだろうか。どうやらこの共産主義時代の産物であるアパートの一階部分にカフェとブックストアが入っているようなのだが、正面にブロックされた空き地があるため表通りからだと非常に分かりづらい。


裏に回り中を見てみるとこの通り。アートブックを専門に扱うBookoffとeMeSenというカフェ。

Bookoff
Cafe eMeSen

年末30日の正午に展覧会の行われていないアートスペースに足を運ぶ人は皆無。スタッフも暇を持て余しているようだったので、少し話を聞いてみることにした。

「パンスカ通りのスペースは一時的にMuzeumのオフィス兼イベントスペースとして利用されているんです。正面の空き地に立っていた家具屋の事務所だったんだけれど、文化科学宮殿のパーキングエリアに2020年を目処に新しく展示スペースが確保される予定になっています。」

「ビスワ川沿いにベルリンからどうやって運んだのかは分からないんだけれど、展示キューブが設置されていて、そちらでなら展示を見ることが出来ますよ。残念ながらここでは何もやっていないので。是非、行ってみてくださいね。」

川沿いの展示スペースの方はベルリンから運ばれてやってきたキューブだというお話。まさかのベルリン繋がり。

ベルリンからやってきたというKunsthalle MuzeumHPより

こちらのキューブ。確かにベルリン宮殿跡の空き地に設置されていたことがある。デザインしたのはオーストリア人のAdolf Krischanitz。ベルリンの展示スペースが不足していることをテーマにしたテンポラリーギャラリーとして利用されていたものなんだそう。ベルリンは移り変わりが激しいので、この移動式展示スペースのことはすっかり忘れていた。2008年から2010年までここにあったらしい。

そしてワルシャワに運ばれ、仮の展示スペースとして再利用されているのがこちら。Sławomir Pawszakによってファサードにペイントが施されている。展示タイトルはniepodległa:ポーランド語で「独立」そのものを表す言葉で、ポーランド独立100周記念を念頭に据えた国としての独立と自立した女性を表す「独立」の二つの意味を兼ね備えているのだろう。国、女性、独立、いずれもポーランド語では女性名詞である。

Ewa Ciepielewska, Heimat (right) 2016; Loan (left) 201

Heimat ist da, wo das Herz ist.
心の故郷、といったところか。

ポーランドに生まれドイツで活動したマルクス主義の政治理論家、哲学者、革命家ローザ・ルクセンブルク。彼女はウクライナ国境近くのザモシチで生まれたが、その生家の記念プレートをポーランド政府が外すように言い渡したらしい。2018年3月のことだ。2015年に保守政党である「法と正義」が政権に就いて以降、情勢が変化している。

展示会場には男性の姿も多くみられ、熱心に作品の解説を読む人の姿も多く見受けられた。ポーランドの右傾化を懸念する報道も後を絶たないが、「独立」というキーワードでこうした国の今後や女性の社会的地位を示唆するようなアート作品を展示することの重要性は計り知れない。今の日本でも十分意味を成す展示内容だったように思う。

Lubaina Himid, Freedom and Change, 1984

ワルシャワにはまた良い季節になれば是非足を運んでみたいと思っています。今回のワルシャワ編はここで終わりです。最後までお付き合い頂きありがとうございました!

Spinnerei in Leipzig / ライプツィヒのシュピネライ②

前回の投稿で終えるはずだったのだが、シュピネライでの展示がとても印象に残ったので写真をメインにお伝えしようと思う。

Maix Mayer – bildarchive 35
ein figur / grund-problem.

シュピネライに着いたのが11時頃だったこともあり、まだ中に入ることのできるホールが限られていた。上の写真の展示や旧紡績工場の歴史に関するコーナーが設けられていたインフォセンターで、ホール14やゲルト=ハリー・リプケ氏のEIGEN+ART(アイゲン・アート)ギャラリーを勧められた。リプケ氏のギャラリーは1983年の4月にライプチヒの自宅で友人達にアートの展示会を開いたのが始まり。1992年にはベルリンのアウグスト通りに固定ギャラリーを開設。シュピネライのホール5には2005年に入っている。

ベルリンに戻る列車の時間まで2時間強しかなかったので、ベルリンで馴染みのあったEIGEN+ARTは今回は諦め、ホール14を駆け足で回ることにした。

Stefanie Rittler
Streetplastic, 2016

Stefanie Rittler
Streetplastic, 2016
Stefanie Rittler
Streetplastic, 2016
Ottonie von Roeder & Anastasia Eggers
Cow & Co, 2017
Studio Swine
Can City, 2013

Studio Swine
Can City, 2013
Benno Brucksh
Erde Wachsstift, seit 2017

Benno Brucksh
Erde Wachsstift, seit 2017
Benno Brucksh
Erde Wachsstift, seit 2017

幸運にも平日の開館時間すぐだったので、広い空間を贅沢に使った展示を貸し切り状態で観て回ることができた。このホール14の現代アートの展示、偶然にも水曜日は入場無料であった。

壁に組み込まれた本棚とアート書籍

次に行くときは展示を観た後は、ゆっくりと気になる本でも眺めてみたいと思う。EIGEN+ARTにも近々行ってみたい。

Leipzig-Pragwitz / ライプツィヒ・プラークヴィッツ地区

ある撮影で数日前までライプツィヒに滞在していたのだが、最終日に時間が出来たのでリサーチ中に見つけて気になっていた地区にシェアバイクを利用して足を運んでみることにした。
中央駅から南西に自転車で約20分ほど行ったところにPragwitz(プラークヴィッツ)という地区がある。ここはDDR(東独)時代には工業地帯が集中していた場所であるらしい。
自転車で走っていると、壁画や柵の色がカラフルなので何かと思いきや、畑らしき敷地が目に止まった。ここで作られた野菜を直販しているようだ。
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そしてその真向かいにTapetenwerkのロゴが。まだ時間的に早かったので人もまばらだったが、敷地内ですれ違った男性に少し話を聞いてみた。
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「この辺り一帯は工場地帯だったところで、壁崩壊後は目も当てられない状態だった。この建物も当時は屋根がなかったんだよ。25年前からエリア一帯にある建物を少しずつ修復して、やっと今の状態になったんだ。Spinnereiもそうだけれど、ここにはそういった工場跡地を利用したアートギャラリーや建築事務所、コワーキングスペース、アート協会、カフェ、などがたくさん集まっているんだ。入り口のカンティーネ(食堂)ではランチも食べられるから是非。」
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Tapetenwerk(絨毯工場)やSpinnerei(紡績工場)といった名前は元工場がギャラリーや工房としてうまく活用されている証しでもある。それにしてもこのエリア、空気の流れ方といい、そこにいる人といい、何だかとても懐かしい感じがする。
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その懐かしさ、一昔前のベルリンで覚えたようなワクワクする感じ。とにかくこのエリア一帯は歩いているだけで嬉しくなるのだから不思議だ。
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そして工場や廃墟好きには堪らないエリア。以前のベルリンで普通に目にすることができた光景がライプツィヒにはまだここかしこに存在していた。
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普段の日の11時過ぎだったせいか、人通りもまばらでとても静かな街角。ライプツィヒがこんなに伸び代のある街だとは思ってもみなかった。13時過ぎの列車でベルリンに戻る必要があったので、余りのんびりできないのが残念だったが、Spinnereiに到着。
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いつも思うのだが、ドイツ人は本当に古い建物の再利用がうまい。
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とても数時間では足りない規模の敷地面積。
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インフォーメーションセンターでは紡績工場の歴史を振り返る小さな展示スペースも設けられていた。
それについては、また次回に。

Kunsthalle Mannheim / マンハイム・クンストハレ

先日、アニメーション制作のロケハンに同行する機会があり、マンハイムへ行って来た。初日は打ち合わせと夕食同席のみだったため、早めにマンハイム入りし、今年6月に修復作業の終わったばかりのクンストハレに足を運んだ。
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マンハイムといえば、フリードリヒスプラッツ(Friedrichspl.)の給水塔がシンボルになっている。この日はAnimagiCという大型アニメコンベンション開催中だったこともあり、給水塔の周りに広がる芝生ではコスプレをした人々が写真撮影をしたり、寛いだりする姿が見られた。

東京喰種のカネキらしき人物も公園にいたので、写真を撮らせていただいた。パチリ。

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さて、このコスプレイヤーでいっぱいだった広場に面してクンストハレが無機質な姿で立っている。とても暑い日だったので、建物内の吹き抜けが心地よかった。

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Fassade Kunsthalle Mannheim
© Kunsthalle Mannheim / Constantin Meyer, Köln

時間も限られていたので、2018年6月にオープンしたばかりの新館をざっと回ってみることにした。高い吹き抜けの天井から吊り下がったインスタレーションを眺める。

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Alicja Kwade / Die bewegte Leere des Moments, 2015-2017

彫刻やインスタレーション、メディアアート、絵画など様々な作品を楽しむことができる納得のコレクション。

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Klaus Rinke / Messinstrument für Zeitlosigkeit I 1972-1973

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Gunter Frentzel / 50 geschichtete Stahlstübe 2017 Gestiftet von Rainer Adam Müller

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Anselm Kiefer / Essence – Eksistence 2011 Kiefer-Sammlung Grothe in der Kunsthalle Mannheim

中でもチェコのプラハ出身、Krištof Kinteraの作品がとても印象に残った。プラハの美術アカデミーを卒業した後、アムステルダムのRijksakademie van Beeldende Kunstenで1年間学んでいる。

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Krištof Kintera / System without Spirit. 2016 Leihgabe Pro Museum Stiftung zur Förderung der zeitgenössischen bildenden Kunst

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Krištof Kintera / Revolution. 2005 Leihgabe Pro Museum Stiftung zur Förderung der zeitgenössischen bildenden Kunst

こちらの作品は小柄な男の子がランダムに柱に頭を叩きつける「Revolution」というインスタレーション。コンコンコン!と、かなり大きな音が他の展示ルームまで筒抜けだったため「工事でもやっているのかな?」と思っていたら、なんとこの作品が音の正体だったというw 壁のコンクリートも粉々になって足元に落ちていた。
旧館のユーゲント様式の建物を見る時間がなかったのは残念だが、時間のある人は是非クンストハレに足を運んでみてはいかがだろうか。
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併設のカフェLUXXも居心地が良かった。
最後にもうひとつ。マンハイムの旧市街の住所が風変わりで、通りに名前がなく例えば宿泊先のホテルはQ6・Q7といった具合だ。数百年も前からアルファベットと数字の組み合わせで表示されていたというのだから驚きである。
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ドイツの街は本当にそれぞれが個性豊かなので、毎回なんらかの発見があって面白い。

Holzmarkt / ベルリン最後のユートピア?

もう、かれこれ2年くらい前だろうか。Holzmarkt通り沿いのRadial Systemで知人のダンス公演があったので、JannowitzbrückeからOstbahnhofに向かって歩いていた。

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すると道沿いに木の掘っ建て小屋やベンチなどが雑多に置かれたスペースがあって、「まだこんな場所があるんだ。」などと思いながらぐるっと一周して、また改めて見に来ようと思いながら、そのまま長い間そんなことすら忘れていた。

そして、昨年の秋。仕事で高城剛さんの取材に同行した際に、「ホルツマルクトってご存知ですか?面白いから行ったほうがいいですよ。」という話しになり、その時はまさか高城さんの言う「面白い場所」、というのが2年前に足を踏み入れたやたらと木でできた手作り感満載だったあの場所のことだとは思いもしなかったのである。

それからまた時間が経ち、昨年の冬にようやく再訪したホルツマルクト(Holzmarkt)。まだ午後の早い時間だったせいもあり、人もまばらで店も開いておらず、唯一開いていたカフェで暖をとることにした。

・・・のだが、ここでも残念ながらまたいつもの違和感を肌で感じたのである。この違和感のせいで、実はブログに書くのも嫌になってしまっていた。

どうしてか。店内には英語のみが飛び交い、カウンター越しの男性の対応もどこかつっけんどんで話にならなかったのである。

本当に残念なことに、この「鼻持ちならない感じ」はベルリンに来たばかりの当初、90年代半ばには微塵もなかった空気なのだ。

元来、資本主義に対抗するはずのヒッピー文化がここにきてビオブームやエコビジネスなどの流れで商業化した結果、とでも言えばいいのだろうか。ヒップスター?つまらない。

残念ながら、正直全く好きになれなかった。そして、またホルツマルクトからは足が遠のいていた。表面的には昔のベルリンを彷彿とさせる手作り感はあるので、撮った写真を何枚かここに載せておこう。

前置きばかりが長くなってしまったが、タイトルにあるようにどうやらホルツマルクトの存続が危うくなっているのだとか。

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©EckwerkのHPより

その主な原因は2014年からホルツマルクト共同組合(Holzmarkt Genossenschaft)の掲げるリビングスペース及びワーキングスペースを融合したフューチャーハウスとも呼べるEckwerkのコンセプトが頓挫したことによる。

2017年5月1日にホルツマルクト村は華々しくオープンしたのだが、Eckwerkはその時既に困難に陥っていたようなのだ。

  • ホルツマルクト協同組合(Holzmarkt Genossenschaft / Eckwerk Entwicklungs GmbH)
  • スイス年金基金(Stiftung Abendrot)
  • Gewobag
  • クロイツベルク・フリードリヒスハイン地区市議(Bezirksstadtrat für Bauen)

とにかく、何が問題になっているのかというと、Eckwerkの共同プロジェクト構想(Gewobagが噛んでいる)へのゴーが意見対立や法律的な問題でなかなか出ないことに尽きる。それに業を煮やした年金基金がEckwerk建築予定地の借地契約を解消しようとしていること、ホルツマルクト組合が長引く裁判のため経済的に圧迫され、自己破産寸前だということなどらしい。

ベルリン市の打ち出したメディアシュプレー構想に真っ向から対決し、75年の借用権利を勝ち取ったわけだが、ここ数年のベルリンの土地の異常な値上がりやそのロケーションから資金難に陥り、海外からも注目されたユートピア構想が頓挫するという、まさに今現在のベルリンの現実を目の当たりにさせられる。

とはいえ、Eckwerkにスタートアップ企業を誘致し、アーティストとのコラボから云々という文脈からはもはやジェントリフィケーションの匂いしかしない。

しかし、1年も経たないうちにここまで注目されたプロジェクトがあっさりと頓挫してしまうベルリン。それも何だか悲しい現実でしかない。一等地にユートピアを生み出す構想はこのまま終わってしまうのだろうか。その行く末に注目したい。

参照記事:
https://www2.holzmarkt.com/
https://www.rbb24.de/panorama/beitrag/2018/05/holzmarkt-berlin-finanzen-schwierigkeiten-eckwerk.html
https://www.morgenpost.de/berlin/article212700287/Holzmarkt-in-Friedrichshain-Aerger-ums-Modellprojekt.html

余談になるが、夏日が続くベルリン。偏見を捨てて、夏のホルツマルクトも体験しておいた方が良さそうだ。

Poznań / ふらりとポズナンへ③

前回、前々回とポズナンへふらりと来た経緯と街の住人たちについて少し書いたが、今回は短い滞在中に見つけたお気に入りの場所をいくつか挙げてみよう。


1)Centrum Kultuly Zamek / ザメク・カルチャーセンター
ポズナンにある建造物の中でも最大規模を誇るこの城は1905年から1910年までドイツ最後の皇帝カイザー・ヴィルヘルム二世の居住地として建設された。
第一次世界大戦後はポーランド領に戻ったポズナンの領主の居住地として、またポズナン大学によって使用されることになる。第二次大戦中はヒトラーの居住地にするためナチスによって建て替えが行われる。居住地エリアの家具調度はこの時期のものに当たるのだそうだ。
終戦後は再びポズナン大学が短期間入るが、1948年に市の行政施設として使用される。1960年代から文化パラストとして使われ、90年代半ばよりザメク・カルチャーセンターとして再スタート。2010年から2012年にかけて改装が行われ、現在の姿に至る。
とまあ、この城の歴史をざっと振り返るだけでも、ポーランドの複雑な歴史が垣間見られるわけだ。

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©CKZAMEK HPより城外観

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©marikok 旧館エリア

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©marikok 新館内部

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©marikok 新館に併設のブックストア

城の内部は自由に見学が出来るように一般公開されており、新館部分には映画館、展示スペース、子供のためのアートスペース、シアターなど様々な文化施設が入っている。天井がガラス張りになっているカフェなどもあり、とてもゆったりと過ごすことができた。


2)Galeria Miejska Arsenał / 市立ギャラリー・アーセナル
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アートを通して今の政治、社会、環境問題などを中心に議論の場や対話を提供することを目指しているギャラリー。有名な市庁舎のある旧市場広場にあり、どちらかといえば周囲の建物からは浮いた無機質なモダニズム建築である。保存を巡っては恐らく議論が起こっただろうと思われる。
このスペースに足を運んでみたが、ちょうどポズナン・デザインフェスティバル枠で環境問題に取り組む街づくりをテーマとしたnew city scenariosという展覧会を見ることができた。
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様々な都市の取り組みが分かりやすく展示されており、ベルリンやポズナンについても紹介されていたので引用しておこう。
POZNAN
Urban planning is characterised by a unique layout, with local markets and bazaars located there in each of the city’s historical districts.
BERLIN
In 2015 the city introduced a law regulating rent in city apartments to prevent the process of gentrification.
ベルリンの政策がジェントリフィケーション防止に役立っているかは別として、各都市での取り組みが分かりやすく展示されており興味深かった。オランダや北欧がリードしている印象だろうか。


3)Park Cytadela / ツィタデラ公園
長くなりそうなので、最後にポズナン北部に位置する気持ちの良い公園を紹介しておく。ポズナンの街にはステーションを持つドイツはライプツィヒ発のNextbike / rower miejskiのみがシェアバイクを展開している。
IMG_5525 旧市街は石畳が多く、自転車は乗りづらいのだが、少し遠出をする場合は要所ごとにステーションが設置されているため非常に使い勝手が良かった。結果的に今回の滞在中は市内交通3日券よりもこちらのシェアバイクを多用した。

モニュメントの立つ広場があったり、武器博物館や整備された広場のある総敷地面積約1㎢の公園。大きく一周すると約3キロあるので、ジョギングをするには最適だった。途中、モニュメントがたくさんあったため、立ち止まって写真を撮ってばかりいたが公園としてのクオリティーはかなり高かった。市民の暮らしが垣間見れるのも公園の良さだと思う。
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まだまだ、お勧めしたい場所はたくさんあるのだが、今回はここまでにします。

NULL / シャウビューネでの観劇

ヘルベルト・フリッチュ(Herbert Fritsch)監督作品、der die mannに参加している友人のお誘いで、フリッチュ監督としてはシャウビューネでの2作目に当たるNULL(ゼロ)を観に行く機会があった。

私自身も彼の作品を観るのは今回で2度目である。劇場内に入ると、前回と同様ミニマルな舞台装置が目に入った。

舞台中央にチョークのようなもので描かれた円と線からなる幾何学模様。舞台上手には布や紙で作られたカーテンのようなものが何枚か垂れ下がり、下手には大きなスクリーンが設置されている。舞台の隅には赤と黄色の円や、円がくり抜かれた四角いアクリル製ボードが並べられている。そして、長い1本のバー。

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NULL / Foto: Thomas Aurin 2018

写真でも分かるように、フリッチュ作品では役者が安全ベルトで吊られたり、フォークリフトで3mほどの高さまで持ち上げられたり、バーでサーカスのような動きを披露したり、とかなりアクロバティックな技術も求められる。

サウンドや発語、ライティングと壁に映し出される影、役者の動きなどそれぞれの要素が緻密に計算されているようなタイミングありきの演出で、観客も退屈する暇がない。

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NULL / Foto: Thomas Aurin 2018

なんと、この日は公演中に観客席にいた女性が突如、歌いながら舞台に上がるというハプニングも起きた。それに対する役者のアドリブも自然なもので、演出なのかそうでないのか観ている方にはわからないほどであった。

「いやー、あれには驚いたよね。」と公演後に役者さんのひとりが教えてくれたので、事故だったことが判明し二度ビックリ。舞台監督のアシスタントの女性がすぐ側に座っていたことも幸運だったように思う。

役者さん曰く、この作品のために6週間もの間、連日4時間ほどのリハをしたのだそうだ。シナリオなどは特に用意されておらず、テーマやそのテーマに対するフィーリングのようなものを掴むために何度も何度もコレオグラフィーを繰り返す。その上で、これだ!という振り付けだけが残され、消えていったアイデアも数多くあるのだろう。

タイトル画面の大きな「手」。この大掛かりな装置だけが先に作られ、何に使うのかは特に決められていなかったそうである。

これまでに観たフリッチュ監督の作品は言葉が分からなくても十分楽しめるので、観劇にどこか抵抗のある人にこそお薦めしたい。

Intendant Chris Dercon tritt zurück / クリス・デルコンの退陣

フォルクスビューネの劇場監督クリス・デルコン退陣。
え、さすがにまだ早すぎるのでは?
と一瞬目を疑ったが、彼の就任とそれにまつわる一連の騒動を考えると、なんの不思議もない流れなのかもしれないな、と思い直した。
ベルギー出身のキュレータ畑であるクリス・デルコンのフォルクスビューネ劇場監督就任。そして、それに対する風当たりが相当キツかったのだろう。多くの劇場関係者が批判した「イベント小屋」とやらに一度は足を運んでおくべきだろう、と考えを改めチケットを購入することにした。
シアターやダンスにそれほど詳しいわけではないので、プログラムを眺めても全くピンと来ない。何となくアンテナに引っかかったサミュエル・ベケットの劇作品とダンス・パフォーマンスの二演目を観てみることにした。
それがこちら ↓


Samuel Beckett
Nicht Ich / Tritte / He, Joe
Schauspiel
ca. 75min
In deutscher Sprache

 Jérôme Bel
The show must go on
90 min
Englisch


ところが、いざチケットを購入しようとオンラインでサイトを確認したところ余りの残席の多さに愕然とした。ベルリンの他の劇場でも、1ヶ月を切った公演チケットが半分以上も残っているというのに余り出くわした経験がないからだ。
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5月4日の公演分でまだ上のように残席だらけ(4/16現在)なのである。これはさすがに購入する側としても多少の不安が残る。この演目、果たして面白いのか!?
どうしてここまでチケットが売れないのだろう。ましてやサミュエル・ベケットのNicht Ich / Tritte / He, JoeはWalter Asmus監督作品である。Asmusは1941年にリューベックで生まれ、サミュエル・ベケット本人には1974年に当時の西ベルリンにあったシラー劇場で出会っており、彼の有名な戯曲「ゴドーを待ちながら」の演出のアシスタントを経験しているのだ。Asmus監督は言わば、70年代後半からサミュエル・ベケット作品を世界中で公演してきたサミュエル通だとも言える。
Der Regisseur Walter Asmus, geboren 1941 in Lübeck, begegnet Samuel Beckett 1974 am Schiller-Theater im damaligen Westberlin, wo er dem Autor und Regisseur bei seiner berühmten Warten auf Godot-Inszenierung assistiert. Diese Begegnung ist der Beginn einer philosophisch und formal prägenden Arbeitsbeziehung und Freundschaft, die bis zum Tod Becketts 1989 anhält. Seit Ende der 70Walterer Jahre inszeniert Walter Asmus Becketts Stücke weltweit. – Volksbühne HPより
全プログラムが仮にこのような状況なのであれば、デルコン退陣の理由もある意味納得が行く。
一連の騒動のせいで、私自身も気分的な理由からVolksbühneから足が遠のいてしまっていた。どんな気分なのかと言われれば、今のベルリンを覆っている空気とでもいうべき「ジェントリフィケーション」の気配がする対象を毛嫌いする態度、とでも言えばいいのだろうか。
既存の価値を尊重せず、ズカズカと土足でベルリンに足を踏み入れて来る外資に対する不信感のようなもの。「またか。」という一種の諦めに近いようなもの。
このようなネガティブな態度から新しいものは何も生まれないのかもしれないが、せめて既存の価値は尊重して欲しいものだと常日頃思っている。
これによってさらにハードルの高くなったカストロフの後任者探し。Volksbühneの今後の進展に期待するより他はない。正式な劇場監督が決まるまでは、代理の劇場監督としてシャウシュピール・シュトゥットガルトのクラウス・デュル(Klaus Dürr)に白羽の矢が立ったようだ。